あなたの魂のテーマを探す に戻る

黒い一年

暗さが、線を重ねた数だったこと

黒い一年

朗読で聴く

第一章 言わない年

七十一になった。

五十のとき、会社を、辞めた。

辞めさせられた。

二十八年、いた会社だ。

それから、一年、仕事が、無かった。

その一年を、こちらは、黒い一年と、呼んでいる。

呼んでいるのは、頭の中でだ。

口には、出さない。

妻にも、言わない。

息子にも、言わない。

息子は、そのとき、十九だった。

いま、四十だ。

あの一年のことを、息子は、知らない。

知らないのではなく、こちらが、言わなかった。

黒い塊だと、思っていた。

塊は、開けると、黒い物が、出てくる。

出てくると、家が、黒くなる。

だから、閉じていた。

二十一年、閉じていた。

妻は、知っている。

いっしょに、いたからだ。

妻も、言わない。

言わないので、二人で、閉じていた。

二十一年、閉じたまま、暮らした。

閉じた塊の上で、飯を食い、寝た。

暮らせた。

黒い一年が、一つ、あって、そのほかは、ふつうだった。

そう、思っていた。

第二章 息子

春に、息子が、来た。

来て、言った。

父さん、五十のとき、一年、家にいたよね。

こちらは、言った。

いた。

息子は、言った。

何、してたの。

こちらは、言った。

何も。

息子は、言った。

何もって、何。

こちらは、黙った。

息子は、言った。

俺、あのとき、十九で、何も、聞かなかった。

聞いちゃいけない気が、してた。

こちらは、言った。

そうか。

息子は、言った。

今なら、聞ける。

こちらは、考えた。

黒い塊を、開けることに、なる。

開けると、何が、出てくるか。

こちらは、開けた。

開けて、出てきたのは、朝だった。

朝、起きた。

妻が、弁当を、作った。

こちらは、それを、持って、出た。

行くところは、無かった。

図書館に、行った。

求人の、紙を、見た。

五十の男の、仕事は、少なかった。

履歴書を、書いた。

昼、公園で、弁当を、食べた。

はとが、いた。

夕方、帰った。

帰る道は、朝と、同じ道だ。

妻に、今日も、だめだった、と言った。

妻は、そう、と言った。

次の日も、同じだった。

こちらは、そこまで、言って、止まった。

息子は、言った。

それだけ。

もっと、ひどいことが、あったと、思ってた。

こちらは、言った。

それだけだ。

それが、三百日、あった。

第三章 線

若いころ、版画を、見た。

銅版の、エングレービングだ。

線で、全部が、彫ってある。

暗い隅が、あった。

こちらは、言った。

ここは、黒く、塗ったんですね。

彫った人は、言った。

塗ってない。

こちらは、聞いた。

黒いですよ。

彫った人は、言った。

線を、重ねた。

縦に、彫って、横に、彫って、また、斜めに、彫った。

四回、重ねた。

四回重ねると、黒に、見える。

黒じゃない。

一本ずつは、そこの、明るい壁の線と、同じだ。

同じ刀で、同じ深さで、彫った。

こちらは、聞いた。

重ねただけで、そんなに、暗くなるんですか。

彫った人は、言った。

なる。

重ねた数だけ、暗くなる。

それだけだ。

塗ったのとは、違う。

塗った黒は、近くで見ても、黒だ。

重ねた黒は、近くで見ると、線に、戻る。

こちらは、そのとき、それを、聞いただけだった。

息子に、話して、思い出した。

黒い一年は、塗った黒だと、思っていた。

開けたら、線だった。

朝、起きた。

弁当を、持った。

図書館。

履歴書。

はと。

今日も、だめだった。

そう。

一本ずつ、細い線だった。

それが、三百日、重なっていた。

重なったところが、黒く、見えた。

塗った黒では、なかった。

第四章 妻

妻に、言った。

息子に、あの一年のこと、話した。

妻は、言った。

そう。

こちらは、言った。

話したら、黒くなかった。

妻は、聞いた。

どういうこと。

こちらは、言った。

黒い塊だと、思ってた。

開けたら、朝起きて、弁当持って、図書館行って、帰って、だった。

線だった。

妻は、言った。

私、毎日、弁当、作ってた。

こちらは、言った。

作ってた。

妻は、言った。

あれも、線。

こちらは、言った。

線だ。

妻は、言った。

三百本。

こちらは、言った。

三百本、あった。

一本も、覚えてなかった。

こちらは、黙った。

妻は、言った。

私、あの一年、黒いと、思ってなかった。

こちらは、聞いた。

思ってなかったのか。

妻は、言った。

毎日、弁当を、作ってたから。

作ってるあいだは、その日の、弁当のことしか、考えてない。

一日ずつだった。

こちらは、言った。

こちらは、一年で、見てた。

妻は、言った。

一年で見ると、黒いでしょう。

こちらは、言った。

黒い。

妻は、言った。

一日ずつ見ると、弁当。

弁当は、黒くない。

こちらは、それを、聞いて、少し、笑った。

笑ったのは、二十一年ぶりだった。

あの一年のことで、笑ったのは。

第五章 重ねた数

息子に、もう一度、話した。

あの一年は、黒くなかった。

息子は、言った。

この前は、黒いって、顔してた。

こちらは、言った。

黒い塊だと、思ってた。

二十一年。

息子は、聞いた。

違ったの。

こちらは、言った。

線だった。

朝起きて、弁当持って、図書館行って、はと見て、帰る。

一本ずつは、細い。

三百本、重なってた。

重なると、黒く、見える。

息子は、言った。

塗ったんじゃ、なくて。

こちらは、言った。

塗ってない。

一日も、塗ってない。

毎日、線を、一本、引いてただけだ。

息子は、黙った。

黙って、言った。

俺、いま、それ。

こちらは、聞いた。

何が。

息子は、言った。

仕事、うまくいってない。

半年、黒い。

こちらは、言った。

半年で、見てるからだ。

息子は、言った。

どう見るの。

こちらは、言った。

一日で、見る。

今日、何した。

息子は、言った。

朝起きて、会社行って、怒られて、帰ってきた。

こちらは、言った。

線だ。

一本。

息子は、言った。

細いな。

こちらは、言った。

細い。

俺のも、細い線だった。

細いのが、重なって、黒く見えてた。

塗った黒なら、近くで見ても、黒だ。

お前のは、近くで見たら、線だろう。

息子は、うなずいた。

うなずいて、言った。

線なら、数えられる。

こちらは、言った。

数えられる。

数えたら、終わりも、見える。

塊は、数えられない。

エピローグ

朝、起きる。

あの一年と、同じ、朝だ。

あの一年を、黒い塊だと、二十一年、思っていた。

開けたら、線だった。

朝起きて、弁当持って、図書館。

三百本、重なっていた。

塗った黒は、一日も、無かった。

重ねた数だけ、暗く、見えた。

彫った人が、そう言った。

妻は、一日ずつ、弁当を、作っていた。

一日ずつ見ていたので、黒くなかった。

こちらは、一年で、見ていた。

一年で見ると、黒い。

同じ三百日だ。

見る幅が、違った。

息子は、半年を、黒いと、言った。

一日で見ろと、言った。

一日で見れば、線だ。

細い線だ。

細いのは、悪くない。

細いから、重ねられる。

重ねたものは、近くで見れば、戻る。

塗ったのは、戻らない。

こちらは、塗っていなかった。

二十一年、塗ったと、思っていた。

妻の弁当が、三百本、あった。

弁当の線と、だめだった線が、重なっていた。

どちらも、細い。

黒くなかった。

線だった。

ソウルミッション358

あなたの魂のテーマに気づく場所