出た日
境目が、きれいに切れていなかったこと

朗読で聴く
第一章 終わり
六十七になった。
アメリカの、小さな町に、住んでいる。
夫は、五年前に、死んだ。
娘が、一人いる。
三十八だ。
娘は、十八で、家を出た。
大きな、けんかをして、出た。
何のけんかだったかは、もう、言わない。
言わないのは、けんかが、線ではないからだ。
出るとき、娘は、言った。
これで、終わり。
こちらは、言った。
そう。
娘は、戸を、閉めた。
こちらは、開けなかった。
開けたら、娘の線を、こちらが、消すと、思った。
消してはいけないと、思った。
二十年、たつ。
二十年、娘は、帰らなかった。
こちらも、行かなかった。
切れたと、思った。
娘が、きれいに、切った。
こちらも、きれいに、受けた。
線は、はっきりしていた。
これで、終わり。
そう。
二つの言葉で、引いた線だ。
まっすぐだった。
こちらは、その線を、二十年、見ていた。
第二章 カード
娘は、帰らなかった。
電話も、無かった。
一つだけ、あった。
毎年、こちらの誕生日に、カードが、来た。
絵の付いた、カードだ。
中に、字は、無い。
名前も、無い。
消印だけで、娘だと、分かった。
二十年、二十枚、来た。
一枚も、欠けなかった。
こちらが、六十七になった今年も、来た。
こちらは、返さなかった。
返すと、線が、消えると、思った。
娘が引いた線を、こちらが、消してはいけないと、思った。
カードは、箱に、入れた。
箱は、台所の、棚にある。
こちらは、毎晩、夕飯を、二人分、作った。
娘の、好きな物だ。
小さいころから、それだけは、残さなかった。
豆の、スープ。
誰も、食べない。
作って、冷まして、次の日に、こちらが、食べた。
二十年、そうした。
旅行の日も、宿で、作れないのが、気になった。
夫は、何も、言わなかった。
残ったスープを、見ても、何も、言わなかった。
言わないで、いっしょに、食べた。
こちらは、それを、癖だと、思っていた。
癖ではなかった。
第三章 版
夫は、版画を、刷る人だった。
リノカットだ。
黒いインクで、皿が、一つ。
皿のふちが、ぎざぎざだった。
結婚したころ、こちらは、聞いた。
どうして、まっすぐに、彫らないの。
夫は、言った。
彫ってる。
線は、まっすぐだ。
ふちが、まっすぐじゃない。
こちらは、聞いた。
違うの。
夫は、言った。
線は、手が、引く。
ふちは、刀が、止まったところだ。
止まるとき、版が、裂ける。
深く彫るほど、裂ける。
裂けたところが、ふちになる。
こちらは、聞いた。
直さないの。
夫は、言った。
直せない。
裂けたところを、削ると、ふちが、内側に、入る。
入ったところが、また、裂ける。
直そうとすると、もっと、裂ける。
裂けたまま、刷る。
それが、いちばん、その物に、近い。
こちらは、そのとき、分からなかった。
娘が出て、二十年目に、分かった。
夫は、もう、いなかった。
皿の版画だけが、台所に、残っていた。
娘が引いた線は、まっすぐだった。
これで、終わり。
まっすぐな線の、ふちは、裂けていた。
裂けたところから、カードが、来た。
字の無い、カードだ。
字は、線だ。
線は、書けなかった。
ふちだけが、来た。
こちらのふちも、裂けていた。
裂けたところで、豆のスープを、作っていた。
二十年、誰も食べない皿に、よそっていた。
第四章 反対
春に、娘が、来た。
二十年ぶりだった。
戸を、開けたら、立っていた。
娘は、言った。
私、あの日、きれいに、切ったつもりだった。
こちらは、言った。
私も。
娘は、言った。
切れてなかった。
こちらは、言った。
カードが、来た。
娘は、言った。
字が、書けなかった。
書くと、線が、消える気がして。
でも、出さないのは、できなかった。
こちらは、言った。
私は、返さなかった。
返すと、あなたの線を、消すと、思って。
娘は、黙った。
こちらは、言った。
でも、毎晩、豆のスープを、作った。
あなたの分も。
娘は、こちらを、見た。
見て、言った。
二十年。
こちらは、言った。
二十年。
娘は、泣いた。
泣いて、言った。
線だけ、見てた。
こちらは、言った。
私も。
二人とも、線だけを、見ていた。
これで、終わり。
そう。
まっすぐな線だ。
まっすぐなので、切れたと、思えた。
ふちを、見なかった。
ふちは、二人とも、裂けていた。
カードと、スープだ。
こちらは、思っていた。
娘が、切った。
こちらは、受けただけだ。
反対だった。
どちらも、切っていなかった。
線を引いたのは、二人だ。
ふちを裂いたのは、十八年だ。
十八年、いっしょに、暮らした。
暮らした年の数だけ、版は、深い。
深いところで、刀は、きれいに、止まらない。
止まらなかったところから、二十年、カードが、来た。
止まらなかったところで、二十年、スープを、作った。
第五章 皿
娘に、夫の皿の版画を、見せた。
娘は、言った。
ふちが、ぎざぎざ。
こちらは、言った。
お父さんが、言ってた。
線はまっすぐで、ふちは、刀が止まったところだって。
娘は、言った。
私たちの、ふちも。
こちらは、言った。
そう。
娘は、言った。
直せるの。
こちらは、言った。
直せない。
直そうとすると、もっと、裂ける。
娘は、聞いた。
じゃあ、どうするの。
こちらは、言った。
裂けたまま、刷る。
お父さんは、そう、言った。
それが、いちばん、その物に、近いって。
娘は、黙った。
黙って、台所の、棚を、見た。
カードの箱が、ある。
こちらは、箱を、下ろした。
二十枚、あった。
娘は、一枚ずつ、見た。
見て、言った。
字、書けばよかった。
こちらは、言った。
書かなくて、よかった。
字は、線だから。
線を書いたら、線の話に、なった。
ふちだけ、来たから、ふちだと、分かった。
娘は、うなずいた。
こちらは、豆のスープを、作った。
二十年、作った物だ。
二人分だ。
二十年ぶりに、二人で、食べた。
娘は、言った。
同じ味。
こちらは、言った。
毎晩、作ってたから。
娘は、スプーンを、止めた。
止めて、皿を、見た。
ふちを、見た。
止めて、また、食べた。
エピローグ
娘は、月に一度、来る。
隣の州から、車で、来る。
豆のスープを、作る。
二人分だ。
二十年、二人分、作った。
一人分は、誰も、食べなかった。
それを、癖だと、思っていた。
癖ではなかった。
ふちだった。
娘が、これで終わり、と言った。
こちらが、そう、と言った。
まっすぐな線だった。
線は、二人で、引いた。
ふちは、十八年が、裂いた。
深いところで、刀は、きれいに、止まらない。
止まらなかったところに、カードが、あった。
二十枚、あった。
スープが、あった。
二人とも、線だけを、見ていた。
線を見ていれば、切れたと、思える。
ふちを見たら、切れていないと、分かる。
分かるまで、二十年、かかった。
夫は、裂けたまま、刷った。
それが、いちばん、その物に、近いと、言った。
こちらと娘も、裂けたままだ。
直さない。
直すと、もっと、裂ける。
夫の皿の版画が、台所に、ある。
ふちが、ぎざぎざだ。
その前で、豆のスープを、作る。
ここが、ふちだ。
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