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形だけの人

取ったら、何も残らないものだったこと

形だけの人

朗読で聴く

第一章 娘が言った

六十八になった。

アメリカの、小さな町に、住んでいる。

夫は、三年前に、七十一で、死んだ。

死ぬ日の朝も、六時に、起きた。

同じ道を、歩いて、帰って、椅子に、座った。

座ったまま、夕方に、死んだ。

娘が、一人いる。

四十二だ。

春に、娘が、来た。

来て、言った。

お父さんは、形だけの人だった。

こちらは、聞いた。

何のこと。

娘は、言った。

無口で、決まったことしか、しなかった。

朝、六時に、起きて。

同じ道を、歩いて。

同じ椅子に、座って。

中に、何が、あったのか、分からないまま、死んじゃった。

私、お父さんのこと、何も、知らない。

こちらは、黙った。

娘は、続けた。

お母さんは、分かってたの。

お父さんの中に、何が、あったか。

こちらは、言った。

分かってた。

娘は、言った。

何が、あったの。

こちらは、言った。

何も。

娘は、驚いた顔を、した。

こちらは、言った。

中は、無い。

形が、全部だった。

第二章 線ではない

結婚したころ、こちらも、娘と同じことを、思った。

この人は、形だけだ。

決まったことを、決まった順で、する。

中に、何を、持っているのか。

こちらは、探した。

夫に、聞いた。

何を、考えてるの。

夫は、言った。

別に。

こちらは、聞いた。

本当は、何が、したいの。

夫は、言った。

これ。

これ、というのは、いま、していることだった。

椅子に座って、窓を、見ていることだった。

窓の外には、何も、無かった。

道と、向かいの家だ。

それを、四十年、見ていた。

こちらは、思った。

隠している。

形の中に、隠している。

十年、探した。

十年目に、やめた。

やめたのは、分かったからだ。

中は、無い。

夫は、線では、なかった。

線なら、内側が、ある。

夫は、塊だった。

六時に起きるのが、夫だった。

同じ道を歩くのが、夫だった。

同じ椅子に座るのが、夫だった。

外側では、ない。

それが、全部だった。

全部だと分かったとき、こちらは、さびしくなかった。

安心した。

探さなくて、いい。

目の前に、全部、いる。

探すのを、やめてから、夫が、大きくなった。

中身を探しているあいだは、線の分しか、無かった。

やめたら、塊の大きさで、あった。

第三章 インク

夫は、版画を、刷る人だった。

一色の、シルクスクリーンだ。

白い紙に、黒いインクで、椅子を、一つ、刷る。

同じ椅子を、四十年、刷った。

売れても、売れなくても、同じ椅子だった。

線では、ない。

中まで、黒い。

結婚して、二年目に、夫が、言った。

このインクは、椅子の周りの線じゃない。

椅子そのものだ。

インクを取ったら、何も、残らない。

こちらは、言った。

あなたも、そう。

夫は、こちらを、見た。

見て、言った。

そう。

それだけだった。

それだけで、こちらは、分かった。

夫は、自分が、塊だと、知っていた。

中に、何も、隠していないと、知っていた。

知っていて、そのまま、いた。

形を取ったら、何も、残らない人だと、自分で、分かっていた。

娘は、それを、からっぽだと、思っている。

からっぽなら、四十年、いっしょに、いられない。

からっぽでは、ない。

中まで、詰まっている。

六時に起きることが、中まで、詰まっている。

同じ道が、中まで、詰まっている。

インクの椅子と、同じだ。

線で描いた椅子なら、線を取っても、白い椅子が、残る。

夫は、残らない。

残らない人を、こちらは、四十年、そのまま、持っていた。

持っているあいだ、こちらは、夫の中を、聞かなかった。

聞くと、線に、戻る。

第四章 反対

娘は、夫を、形だけの人だと、言う。

形の中に、何も無い人だと、言う。

反対だ。

形の中に、何も無いのでは、ない。

形が、中まで、詰まっている。

娘は、線を、見ている。

線を見て、内側が、無いと、言う。

線では、ない。

塊だ。

塊の内側は、塊だ。

娘は、夫の中身を、探している。

こちらが、十年、探したように。

探すと、無い。

無いのは、からっぽだからでは、ない。

外と、中が、同じだからだ。

同じものを、無いと、呼んでいる。

こちらは、それを、娘に、言おうと、思った。

言う前に、思った。

こちらも、娘には、線に、見えているだろう。

こちらの中身を、娘は、探すだろう。

探して、無いと、思うだろう。

こちらが、母を、そう思ったように。

こちらの母も、そうだった。

三代、同じことを、している。

無くない。

全部、ここに、ある。

朝、コーヒーを、いれる。

夫の椅子を、拭く。

夫の刷った椅子の絵が、壁に、一枚、ある。

それを、見る。

窓を、見る。

それが、こちらだ。

取ったら、何も、残らない。

残らないのは、それが、こちらそのものだからだ。

夫と、同じだ。

四十年、いっしょにいて、同じになった。

同じになったのではなく、初めから、二人とも、塊だった。

塊と塊で、四十年、いた。

線と線なら、内側を、探し合っていた。

第五章 娘に

娘に、言った。

お父さんは、形だけの人じゃ、ない。

娘は、言った。

じゃあ、何。

こちらは、言った。

形が、全部の人。

娘は、聞いた。

同じことじゃない。

こちらは、言った。

違う。

形だけ、というのは、中が、からっぽだということ。

形が全部、というのは、中まで、形だということ。

娘は、黙った。

こちらは、続けた。

六時に起きるのは、お父さんの外側じゃ、なかった。

お父さんそのものだった。

取ったら、何も、残らない。

残らないのは、それが、本物だったから。

娘は、言った。

お父さん、自分で、分かってたの。

こちらは、言った。

分かってた。

インクの椅子と、同じだって、言ってた。

娘は、黙った。

黙って、言った。

私、探してた。

お父さんの、中を。

こちらは、言った。

私も、十年、探した。

娘は、言った。

十年も。

こちらは、言った。

十年で、やめた。

娘は、聞いた。

見つかった。

こちらは、言った。

見つからなかった。

見つからないのが、答えだった。

娘は、少し、泣いた。

泣いて、言った。

じゃあ、お父さんは、全部、私の、見てたところに、いたの。

こちらは、言った。

いた。

六時に、起きてたところに。

娘は、うなずいた。

うなずいて、夫の椅子を、見た。

エピローグ

朝、六時に、起きる。

夫の時間だ。

同じ道を、歩く。

夫の道だ。

夫の椅子に、座る。

窓を、見る。

これが、夫だった。

壁の、黒い椅子を、見る。

中まで、黒い。

線では、なかった。

塊だった。

中まで、詰まっていた。

娘は、形だけの人と、言った。

形が、全部の人だった。

取ったら、何も、残らない。

残らないのは、本物だからだ。

夫は、自分で、それを、知っていた。

知っていて、隠さなかった。

隠すものが、無かった。

こちらは、十年、探して、やめた。

やめてから、三十年、塊のまま、持っていた。

持っていて、よかった。

探しているあいだより、持っているあいだのほうが、長かった。

娘にも、言った。

探さなくて、いい。

見ていたところに、全部、いた。

夫の椅子に、座る。

インクの椅子と、同じだ。

取ったら、何も、残らない。

こちらも、そうだ。

それで、いい。

ソウルミッション358

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