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仕事を取ったら

取ったら、何も残らないものだったこと

仕事を取ったら

朗読で聴く

第一章 外側

七十になった。

四十五年、同じ仕事をした。

町の水道の、管を、直す仕事だ。

二十二で入って、六十七で、退いた。

三年、たつ。

妻は、六十八で、いる。

子どもは、二人、家を出ている。

仕事をしているあいだ、こちらは、思っていた。

仕事は、自分の外側だ。

外側の中に、本当の自分が、いる。

仕事を、やめたら、それが、出てくる。

出てきたら、やりたいことを、やる。

何がやりたいかは、分からなかった。

釣りでもないし、旅でもない。

考えても、出てこなかった。

分からないのは、仕事が、外側を、覆っているからだと、思った。

覆いを取れば、分かる。

六十を過ぎてから、そればかり、考えた。

六十七で、取った。

退いた。

出てこなかった。

朝、起きて、することが、無い。

やりたいことが、無い。

妻に、言った。

何も、無い。

妻は、言った。

何がなの。

こちらは、言った。

仕事を、取ったら、何も、無い。

妻は、黙った。

こちらは、こわかった。

四十五年、外側だけで、生きていたのか。

中は、からっぽだったのか。

こわくて、妻に、それ以上、言えなかった。

第二章 三年

三年、からっぽだと、思って、いた。

朝、起きて、座る。

昼、食べる。

夜、寝る。

あいだが、無い。

妻は、何も、言わなかった。

言わないで、飯を、作った。

妻が、言った。

散歩でも、したら。

した。

町を、歩いた。

歩くと、足が、止まる。

止まるのは、道の、決まった場所だ。

道の下に、管が、とおっている場所だ。

こちらが、直した管だ。

ここは、三十年前に、直した。

ここは、十年前に、割れて、替えた。

全部、覚えている。

誰に、言われたのでも、ない。

足が、覚えている。

足が、勝手に、止まる。

止まって、地面を、見る。

地面の下の、管を、見る。

見えないのに、見る。

こちらは、思った。

これは、何だ。

仕事は、取ったはずだ。

取ったのに、足が、止まる。

止まるのは、仕事の続きでは、ない。

こちらが、そうなっているのだ。

町の下の管の場所が、こちらの中に、入っている。

入っているのではない。

それが、こちらだ。

こちらは、立ったまま、しばらく、地面を、見ていた。

見ているあいだ、からっぽでは、なかった。

第三章 版画

若いころ、版画を、見た。

一色の、シルクスクリーンだ。

白い紙に、黒いインクで、水道の蛇口が、一つ、刷ってあった。

線では、ない。

中まで、黒い。

刷った人が、言った。

このインクは、蛇口の周りの線じゃない。

蛇口そのものだ。

インクを取ったら、何も、残らない。

こちらは、聞いた。

線で描いたら、違うんですか。

その人は、言った。

線で描いた蛇口は、線を取っても、白い蛇口が、残る。

これは、残らない。

残らないものが、本物だ。

線で描いた物は、線の絵だ。

物ではない。

こちらは、分からなかった。

七十で、分かった。

仕事は、線では、なかった。

線なら、取っても、中に、自分が、残る。

残らなかった。

残らなかったのは、仕事が、線ではなく、塊だったからだ。

中まで、仕事だった。

管の場所を、覚えている足。

地面を見る目。

水の音で、漏れの場所が、分かる耳。

冬の朝に、凍る管の場所を、先に、思い出す頭。

全部、こちらだ。

外側では、ない。

外側だと、四十五年、思っていた。

外側の中に、別の自分が、いると、思っていた。

いなかった。

からっぽだったのでは、ない。

中まで、詰まっていた。

詰まっていたものが、仕事だった。

仕事という名前を、こちらは、外側に、付けていた。

名前だけが、外側だった。

第四章 こわくない

妻に、言った。

仕事を、取ったら、何も、残らないと、思ってた。

妻は、言った。

言ってたね。

こちらは、言った。

本当に、何も、残らない。

妻は、言った。

そう。

こちらは、言った。

でも、からっぽじゃ、ない。

妻は、聞いた。

どういうこと。

こちらは、言った。

仕事が、全部だった。

中まで、仕事だった。

取ったら、残らないのは、線じゃなくて、塊だったからだ。

妻は、少し、笑った。

笑って、言った。

私、知ってた。

こちらは、聞いた。

何を。

妻は、言った。

あなたが、仕事の人だって。

仕事の向こうに、別のあなたが、いるなんて、思ったこと、ない。

こちらは、黙った。

妻は、言った。

思ってたのは、あなただけ。

妻は、笑っていた。

笑うのは、四十五年前から、分かっていたからだ。

こちらは、言った。

こわくなかったか。

妻は、言った。

何が。

こちらは、言った。

仕事しか、無い人と、暮らして。

妻は、言った。

仕事しか無いんじゃ、ない。

仕事が、あなたなの。

取ったら、何も、残らないのは、あなたが、本物だからよ。

こちらは、黙った。

四十五年、妻は、そう見ていた。

見ていて、こわがらなかった。

こちらだけが、線だと、思っていた。

線だと思って、内側を、探していた。

妻は、塊だと、知っていた。

塊を、四十五年、そのまま、持っていた。

第五章 足

朝、歩く。

道の、決まった場所で、足が、止まる。

管の場所だ。

止まって、地面を、見る。

これは、仕事の名残では、ない。

こちらだ。

仕事を、取っても、足は、止まる。

止まるのが、こちらだ。

やりたいことは、無い。

無くていい。

やりたいことは、線の内側に、あると、思っていた。

内側は、無い。

内側が無いのは、塊だからだ。

塊は、外も、中も、同じだ。

同じなので、探すところが、無い。

管の場所を、覚えている。

水の音を、聞き分ける。

それが、外で、中だ。

若い人が、道の工事を、していた。

こちらは、立ち止まって、見た。

見て、言った。

そこ、管が、浅い。

若い人は、驚いた顔を、した。

驚いて、掘り方を、変えた。

浅いところを、避けて、掘った。

こちらは、歩いた。

礼は、言われなかった。

言われなくて、いい。

歩きながら、思った。

取ったはずの仕事が、口から、出た。

取れていない。

取れないのは、外側では、ないからだ。

こちらそのものだ。

インクを取ったら、何も、残らない。

残らないので、取れない。

取れないものを、三年、取ったつもりでいた。

取れないまま、七十だ。

それで、いい。

エピローグ

朝、起きる。

することは、無い。

歩く。

足が、止まる。

止まった地面の下に、管が、ある。

こちらが、直した管だ。

四十五年、外側だと、思っていた。

外側を取ったら、本当の自分が、出てくると、思っていた。

出てこなかった。

出てこないのは、からっぽだからでは、ない。

外側が、本当の自分だったからだ。

線ではなく、塊だった。

中まで、仕事だった。

取ったら、何も、残らない。

残らないものが、本物だと、刷った人が、言った。

その通りだった。

妻は、初めから、知っていた。

仕事が、あなたなの。

そう見ていた。

こちらは、七十で、そう見た。

足が、止まる。

止まった足が、こちらだ。

からっぽだと思った三年も、足は、止まっていた。

止まっているのを、見ていなかっただけだ。

見ないで、からっぽを、探していた。

地面の下を、見る。

見える。

見えるのが、こちらだ。

ソウルミッション358

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