優しさではなく
切られた面が、いちばん硬くなっていたこと

朗読で聴く
第一章 娘が言った
六十九になった。
アメリカの、小さな町に、住んでいる。
夫は、八年前に、六十五で、死んだ。
娘が、一人いる。
四十四だ。
隣の町に、いる。
春に、娘が、来た。
来て、言った。
お母さんは、傷ついたから、人に、優しい。
こちらは、聞いた。
何のこと。
娘は、言った。
みんな、言ってる。
お母さんは、若いとき、いろいろ、あったから、人の話を、ちゃんと、聞いてくれるって。
こちらは、黙った。
娘は、続けた。
傷が、お母さんを、柔らかくしたんだね。
こちらは、言った。
違う。
娘は、聞いた。
何が。
こちらは、言った。
柔らかく、なってない。
娘は、黙った。
こちらは、言った。
硬くなった。
娘は、分からない顔を、した。
こちらも、ずっと、分からなかった。
分かったのは、五十を過ぎてからだ。
分かっても、人には、言わなかった。
娘が、優しいと、言ったので、初めて、言う。
第二章 硬い
若いとき、いろいろ、あった。
詳しくは、言わない。
言わなくて、いい。
切られた。
そう思っていた。
切られたところは、弱いと、思っていた。
弱いところを、隠して、生きた。
隠すために、人に、優しくした。
優しくしていれば、弱いところを、見られない。
そう思っていた。
四十を過ぎたころ、人が、こちらに、話を、しに来るようになった。
近所の人。
教会の人。
娘の友だち。
みんな、切られた話を、持ってきた。
夫が死んだあとも、来た。
こちらが、聞く側で、いられた。
こちらは、聞いた。
聞けた。
細かく、聞けた。
どこで、切れたか、話している本人より先に、分かった。
分かるので、人が、来た。
来る人は、言った。
あなたは、優しい。
こちらは、そのたびに、思った。
優しいのでは、ない。
優しいなら、誰の話でも、聞ける。
こちらは、切られた話しか、聞けない。
楽しい話は、聞き流す。
自慢話は、聞き流す。
切られた話だけ、細かく、入る。
入るところが、あるからだ。
切られたところだ。
そこは、柔らかくない。
硬い。
硬いところに、細かい話が、入る。
入った話は、忘れない。
二十年前に聞いた話でも、細かいところまで、残っている。
彫られた線は、消えないからだ。
二十年分の、人の切られた話を、こちらは、持っている。
第三章 木の切り口
夫は、木を、彫る人だった。
つげの木の、切り口に、彫る版画だ。
結婚した年に、夫が、言った。
木は、切り口が、いちばん、硬い。
こちらは、聞いた。
どうして。
夫は、言った。
切られたところが、締まる。
板の面は、柔らかくて、細い線が、滑る。
切り口だけ、髪の毛の線が、入る。
こちらは、そのとき、思った。
自分の切られたところは、締まっていない。
柔らかくて、痛い。
二十代の、終わりだった。
夫は、言った。
最初は、そうだ。
何年か、たつと、締まる。
締まったら、そこに、彫れる。
こちらは、分からなかった。
五十を過ぎて、分かった。
人の話が、細かく、入るのは、切られたところだ。
そこが、締まっていた。
締まっていたので、髪の毛ほどの話でも、入った。
優しさでは、ない。
優しさは、柔らかいものだ。
柔らかいところには、細かいものは、入らない。
滑る。
入るのは、硬いところだ。
人は、こちらの硬いところに、彫っていた。
彫られたものが、優しさに、見えた。
見えただけだ。
硬い面に、細かく、彫られた線だ。
夫は、それを、こちらに、言わないで、死んだ。
言わなくても、木の話で、言っていた。
第四章 反対
娘は、傷が、こちらを、柔らかくしたと、言う。
反対だ。
傷は、こちらを、硬くした。
硬いところにだけ、人の話が、細かく、彫れた。
彫れたものが、優しさに、見える。
こちらは、思った。
優しい人だと、思われてきた。
優しかったのでは、ない。
人が、こちらの硬いところに、彫った。
彫った線が、細かかった。
細かい線を見て、人は、優しいと、呼んだ。
こちらは、それを、四十年、否定しなかった。
否定すると、硬いところが、見える。
硬いところを、見せると、人は、来なくなる。
だから、優しいことに、しておいた。
娘にも、そう見せた。
見せていたので、娘は、優しい母だと、思っている。
娘は、いま、四十四だ。
娘にも、切られたところが、ある。
こちらは、知っている。
娘は、それを、弱いところだと、思っている。
隠している。
隠して、人に、優しくしている。
こちらと、同じだ。
娘に、言わなければ、ならない。
弱くない。
硬い。
硬いところに、いつか、人が、彫りに来る。
彫られたら、優しいと、呼ばれる。
呼ばれても、硬いのだと、知っておくこと。
知っていれば、優しさに、疲れない。
こちらは、六十まで、疲れた。
優しいふりを、していると、思っていたからだ。
ふりでは、なかった。
硬かっただけだ。
第五章 娘に
娘に、言った。
優しいんじゃ、ない。
娘は、言った。
じゃあ、何。
こちらは、言った。
硬い。
切られたところが、硬くなった。
硬いところに、人が、話を、彫る。
細かく、彫れる。
それが、優しく、見える。
娘は、黙った。
こちらは、続けた。
あなたにも、切られたところが、ある。
娘は、言った。
ある。
こちらは、言った。
弱いと、思ってる。
娘は、言った。
思ってる。
こちらは、言った。
弱くない。
もう、硬くなってる。
いつか、そこに、人が、彫りに来る。
娘は、聞いた。
どうして、分かるの。
こちらは、言った。
あなたの話を、私は、そこで、聞いてる。
娘は、黙った。
黙って、言った。
お母さんの、硬いところで。
こちらは、言った。
そう。
優しいところでは、ない。
娘は、少し、泣いた。
泣いて、言った。
硬いところで、聞いてくれてたの。
こちらは、言った。
そこでしか、細かく、聞けない。
娘は、言った。
私も、そうなる。
こちらは、言った。
なる。
なったら、優しいと、呼ばれる。
呼ばれても、硬いのだと、覚えておいて。
娘は、うなずいた。
うなずいて、こちらの手を、握った。
握った手は、硬かった。
娘の手も、硬かった。
エピローグ
娘が、帰る。
近所の人が、来る。
切られた話を、持ってくる。
こちらは、硬いところで、聞く。
細かく、聞く。
聞き終わると、その人は、言う。
あなたは、優しい。
こちらは、言わない。
言わないで、うなずく。
うなずくのも、硬いところで、している。
優しくない。
硬い。
傷が、硬くした。
硬いところに、人が、彫る。
彫った線が、細かい。
細かい線が、優しさに、見える。
木が、そうだ。
切り口が、いちばん、硬い。
硬い面に、髪の毛の線が、入る。
入った線を、人は、絵と、呼ぶ。
絵は、木が、優しいから、できたのでは、ない。
硬いから、できた。
夫が、言ったとおりだ。
こちらは、それを、娘に、言った。
娘は、いつか、硬くなる。
硬くなって、人の話を、彫られる。
彫られたら、優しいと、呼ばれる。
呼ばれたとき、思い出せば、いい。
優しいのではない。
切られた面が、いちばん、硬い。
そこに、彫られている。
細く、深く。
あなたの魂のテーマに気づく場所