同じ朝
少しずつではなく、段で変わっていたこと

朗読で聴く
第一章 少しずつ、と言われた
七十二になった。
妻は、去年の夏に、六十九で、死んだ。
三年、病気だった。
最初に、医者が、言った。
少しずつ、悪くなります。
こちらは、聞いた。
どのくらい、少しずつですか。
医者は、言った。
人に、よります。
こちらは、家に帰って、妻に、言った。
少しずつだそうだ。
妻は、言った。
そう。
少しずつなら、いい。
少しずつなら、慣れられる。
妻は、そう言って、台所に、戻った。
こちらは、その日から、毎朝、妻を、見た。
昨日と、同じか。
同じだった。
次の朝も、同じだった。
同じ朝が、続いた。
春が、終わって、夏になって、秋になった。
同じだった。
こちらは、思った。
少しずつ、と言ったが、変わっていない。
医者が、間違えたのか。
妻は、台所に、立っていた。
立って、味噌汁を、作っていた。
昨日と、同じ味だった。
こちらは、同じ味を、飲んで、安心した。
安心して、次の朝を、待った。
第二章 朝
冬の、ある朝だった。
妻が、起きてこなかった。
起こしに行くと、起きられない、と言った。
起きられないのは、初めてだった。
前の日は、台所に、立っていた。
その朝は、立てなかった。
あいだが、無い。
こちらは、医者に、言った。
少しずつでは、なかった。
いきなりだった。
医者は、言った。
そう見えます。
でも、中では、少しずつ、進んでいました。
こちらは、黙った。
中で、少しずつ。
外には、出ない。
外に出るのは、ある朝、いきなりだ。
こちらは、その朝から、朝が、こわくなった。
こわいまま、次の朝も、見た。
その日から、妻は、寝ていた。
寝て、また、同じ朝が、続いた。
昨日と、同じか。
同じだった。
同じ朝が、一年、続いた。
寝ているが、話せた。
話して、笑った。
寝ている妻と、寝ていない妻は、別の段だった。
別の段で、また、同じ朝が、続いた。
一年、同じだった。
次の冬の、ある朝。
妻が、話さなくなった。
前の日は、話した。
その朝は、話さない。
あいだが、無い。
また、同じ朝が、続いた。
話さないが、目が、こちらを、見た。
半年、同じだった。
目が見る妻と、見ない妻も、別の段だ。
夏の、ある朝。
目が、こちらを、見なかった。
あいだが、無い。
三日後に、死んだ。
三年で、四つの朝だった。
四つの朝の前の日は、四つとも、同じ朝だった。
第三章 版
妻の父は、版画を、彫る人だった。
銅版を、酸に、浸ける版画だ。
若いころ、一度、見せてもらった。
空が、四つの濃さで、できていた。
薄い、少し濃い、濃い、いちばん濃い。
あいだが、無かった。
妻の父は、言った。
酸に、浸ける。
浸けているあいだ、版は、少しずつ、食われている。
目には、見えない。
引き上げて、刷ると、一段、濃くなっている。
少しずつ食われたのが、一段になって、出る。
なだらかに刷りたければ、何度も、少しずつ、浸けなおす。
それでも、段は、段だ。
細かくなるだけだ。
こちらは、そのとき、分からなかった。
妻が死んで、分かった。
医者の言った通りだった。
中では、少しずつ、進んでいた。
外に出るときは、段だ。
少しずつは、見えない。
見えるのは、段だけだ。
段と段の間は、同じ朝だ。
同じ朝が、何か月も、続く。
こちらは、その同じ朝を、数えていた。
昨日と、同じだ。
同じだ。
同じだ。
数えているあいだ、版は、酸の中に、あった。
食われていた。
こちらには、見えなかった。
見えないので、同じだと、思った。
同じでは、なかった。
同じ段に、いただけだ。
第四章 四つの朝
三年で、段は、四つだった。
立てなくなった朝。
話さなくなった朝。
目が、見なくなった朝。
死んだ朝。
四つの朝以外は、全部、同じ朝だった。
三年のうち、四日だ。
あとの日は、平らだった。
平らな日に、こちらは、何をしていたか。
昨日と同じか、と、見ていた。
同じだと、安心していた。
安心して、次の朝も、見た。
その朝が、段の朝だったことが、四回、あった。
四回とも、こちらは、前の日に、安心していた。
安心した次の朝に、段が、来た。
段は、少しずつ、来ない。
来るときは、一日で、来る。
その一日の前に、何か、あったか。
無かった。
前の日は、同じ朝だった。
いちばん同じ朝の、次が、段だった。
段の朝は、前の日と、何も、つながっていない。
つながっていないので、備えられない。
こちらは、思った。
少しずつ、と言われて、少しずつを、探した。
探しても、見つからなかった。
見つからないので、変わっていないと、思った。
変わっていた。
中で、変わっていた。
外に出る日が、段だった。
少しずつを、探したのは、間違いでは、ない。
探しても、見えないだけだ。
見えないものを、見えないと知って、同じ朝を、過ごせばよかった。
過ごしていた。
安心して、過ごしていた。
それで、よかったのだと、思う。
こわがって過ごしても、段は、同じ日に、来た。
第五章 同じ朝
娘が、来た。
四十だ。
娘は、言った。
お母さん、少しずつ、悪くなったね。
こちらは、言った。
違う。
娘は、聞いた。
何が。
こちらは、言った。
四つの朝で、悪くなった。
あとは、同じだった。
娘は、黙った。
こちらは、続けた。
立てなくなった朝。
話さなくなった朝。
見なくなった朝。
死んだ朝。
四つだ。
娘は、言った。
覚えてる。
全部、いきなりだった。
こちらは、言った。
いきなりだった。
あいだは、同じだった。
娘は、言った。
同じ朝のとき、私、安心してた。
こちらは、言った。
こちらも、安心してた。
娘は、言った。
安心してて、よかったのかな。
こちらは、言った。
よかった。
同じ朝は、同じ朝だった。
嘘じゃない。
娘は、黙った。
黙って、言った。
お母さんも、同じ朝、って言ってた。
今日も、同じ朝、って。
こちらは、聞いた。
いつ。
娘は、言った。
寝てたとき。
毎朝、言ってた。
今日も、同じ朝だ、って。
こちらは、黙った。
妻も、数えていた。
同じ朝を、数えていた。
数えて、安心していた。
こちらと、同じだった。
同じ朝を、二人で、別々に、数えていた。
数えていることを、言わなかった。
言えば、同じ朝で、なくなる。
言わないで、二人とも、今日も同じ朝だ、と言った。
エピローグ
朝、起きる。
台所に、立つ。
味噌汁を、作る。
妻の味とは、違う。
昨日と、同じ味だ。
同じ朝だ。
妻が、いた三年、同じ朝を、数えた。
同じ朝の次に、段が、来た。
段は、四つだった。
四つの朝を、こちらは、覚えている。
あとの朝は、全部、同じ朝だ。
同じ朝は、少しずつ悪くなる途中では、なかった。
同じ朝だった。
妻も、そう言っていた。
今日も、同じ朝だ。
中では、少しずつ、進んでいた。
見えなかった。
見えないものを、見えないまま、同じ朝を、過ごした。
二人で、過ごした。
それが、三年だった。
いま、こちらは、一人で、同じ朝を、過ごす。
次の段が、いつ来るかは、分からない。
来るまでは、同じ朝だ。
同じ朝を、数える。
数えて、安心する。
安心して、いい。
今日も、同じ朝だ。
あなたの魂のテーマに気づく場所