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三つの段

少しずつではなく、段で変わっていたこと

三つの段

朗読で聴く

第一章 少しずつ

六十五になった。

息子が、一人いる。

三十九だ。

隣の県に、妻と、子どもと、いる。

息子とは、少しずつ、遠くなった。

そう思っていた。

毎日、少しずつ。

子どものころは、近かった。

いまは、遠い。

あいだに、四十年ある。

四十年、少しずつ、離れた。

そういうものだと、思っていた。

誰に聞いても、そう言う。

子どもは、少しずつ、離れていく。

夫も、そう言った。

夫は、三年前に、死んだ。

死ぬまで、そう言っていた。

去年の秋、風邪で、寝込んだ。

三日、寝ていた。

寝ていると、することが、無い。

息子のことを、思った。

いつ、遠くなったのか。

数えてみた。

数えて、驚いた。

少しずつでは、なかった。

段だった。

三つの段だった。

第二章 三つ

一つ目は、息子が、家を出た日だ。

十八だった。

朝、荷物を、車に、積んだ。

こちらは、玄関で、見ていた。

車が、出た。

こちらは、家に、入った。

入って、息子の部屋の戸を、閉めた。

その日から、息子は、いなかった。

前の日まで、毎日、いた。

次の日から、いない。

あいだが、無い。

二つ目は、結婚した日だ。

二十九だった。

式のあと、息子は、妻の隣に、座った。

こちらの隣では、なかった。

前の日まで、電話は、こちらに、来た。

次の日から、妻に、行った。

こちらは、それを、当たり前だと、思った。

思って、その日のうちに、慣れた。

あいだが、無い。

三つ目は、孫が、生まれた日だ。

三十三だった。

病院で、息子は、赤ん坊を、抱いていた。

こちらを、見なかった。

見なくて、いい。

そう思った。

前の日まで、息子は、こちらの息子だった。

次の日から、誰かの父だった。

あいだが、無い。

三つだ。

三つの段だ。

段と段の間を、思い出した。

家を出てから、結婚までの、十一年。

同じだった。

月に一度、電話が、来た。

正月に、帰った。

十一年、同じだった。

結婚から、孫までの、四年。

同じだった。

正月に、二人で、来た。

四年、同じだった。

孫が生まれてから、いままでの、六年。

同じだ。

正月に、三人で、来る。

六年、同じだ。

少しずつ、遠くなっていない。

同じところに、いて、ある日、一段、落ちた。

落ちて、また、同じところに、いた。

一段落ちた場所は、落ちる前より、遠い。

遠いが、そこで、平らだ。

平らな場所で、こちらは、何年も、暮らした。

暮らしながら、少しずつ、遠くなっている、と思っていた。

遠くなっていなかった。

同じ場所に、いただけだ。

第三章 段

若いころ、版画を、見た。

銅版に、酸で、濃さを、付ける版画だ。

空も、壁も、床も、平らな濃さで、できていた。

濃さは、いくつかしか、無かった。

薄い、少し濃い、濃い、いちばん濃い。

四つだ。

あいだが、無い。

なだらかに、濃くなっていない。

薄いところは、どこまでも、同じ薄さで、ある線から、いきなり、濃くなる。

その線は、細くて、目立たない。

目立たないのに、そこで、全部が、変わる。

版画を見せてくれた人が、言った。

酸に、何回、浸けたかで、濃さが、決まる。

一回、二回、三回、四回。

あいだの濃さは、無い。

こちらは、そのとき、思った。

空は、そうでは、ない。

空は、なだらかだ。

版画のほうが、嘘だと、思った。

六十五で、思い直した。

息子との四十年は、版画のほうだった。

空のほうでは、なかった。

四つの濃さが、あった。

家にいたころ。

家を出てから。

結婚してから。

孫が生まれてから。

それぞれの中は、平らだった。

平らで、ある日、一段、濃くなった。

なだらかに、遠くなったと、思っていたのは、段の日を、覚えていなかったからだ。

覚えていない日を、埋めて、なだらかにした。

埋めたのは、こちらだ。

空のように、見たかったのだと、思う。

段は、こわい。

なだらかなら、まだ、途中だと、思える。

第四章 段の日

段の日は、三つとも、ふつうの日だった。

家を出た日、こちらは、洗濯をした。

結婚した日、式のあと、こちらは、普段の服に、着替えて、寝た。

孫が生まれた日、病院から帰って、煮物を、作った。

どの日も、その日に、遠くなったと、思っていない。

次の日も、思っていない。

一年たって、なんとなく、遠いと、思った。

なんとなく、が、なだらかに、見せた。

遠くなったのは、その日だ。

その日に、一段、落ちた。

落ちたことに、気づかないまま、一年、同じ段に、いた。

同じ段にいると、落ちたことが、分からない。

落ちる前と、比べないからだ。

比べるのは、何年もたって、ふと、昔を、思い出したときだ。

思い出して、遠いと、思う。

遠いのは、少しずつ、遠くなったからでは、ない。

その日に、遠くなって、そのまま、いたからだ。

そのまま、が、長かった。

長いので、なだらかに、見えた。

こちらは、それを、六十五で、知った。

知って、思った。

少しずつなら、止められた。

段なら、止められない。

止められないと、知って、少し、楽になった。

こちらが、何かを、しなかったからでは、ない。

その日が、来ただけだ。

来た日に、こちらは、洗濯をして、着替えて、煮物を、作った。

それで、よかった。

段の日に、することは、無い。

第五章 いまの段

息子に、電話をした。

息子は、言った。

どうした。

こちらは、言った。

いや、別に。

息子は、言った。

珍しいね。

こちらは、聞いた。

お前、母さんと、遠くなったと、思うか。

息子は、少し、黙った。

黙って、言った。

遠くなったって、いつから。

こちらは、言った。

いつからだと、思う。

息子は、言った。

分からない。

少しずつ、かな。

こちらは、言った。

違う。

三つの段だ。

家を出た日と、結婚した日と、子どもが生まれた日。

息子は、黙った。

黙って、言った。

そうか。

そうかも、しれない。

こちらは、言った。

あいだは、同じだった。

息子は、言った。

同じだったね。

こちらは、言った。

いまも、同じ段にいる。

六年、同じだ。

息子は、言った。

うん。

こちらは、言った。

同じ段にいるあいだは、遠くなってない。

息子は、言った。

うん。

こちらは、言った。

それだけ。

電話を、切った。

切って、思った。

いまの段に、いる。

いる間は、同じだ。

次の段が、いつ来るかは、分からない。

来るまでは、同じだ。

同じ間を、途中だと、思わない。

ここに、いる。

エピローグ

正月に、三人が、来る。

六年、同じだ。

同じことを、遠くなった、と呼んでいた。

遠くなったのは、三つの日だ。

その三つを、こちらは、覚えていなかった。

覚えていないので、四十年に、薄く、伸ばした。

伸ばして、少しずつ、と呼んだ。

少しずつでは、なかった。

段だった。

段の間は、平らだった。

平らな間を、こちらは、遠くなる途中だと、思って、過ごした。

途中では、なかった。

そこが、その段だった。

いまも、段の上にいる。

六年、平らだ。

平らなあいだは、同じだ。

同じことを、遠くなる途中だと、思わない。

思わないで、正月を、待つ。

待つあいだも、同じだ。

三人が、来る。

同じ段で、会う。

ソウルミッション358

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