末の子の分
後の分ほど薄かったこと

朗読で聴く
第一章 薄かった
七十になった。
アメリカの、小さな町に、住んでいる。
夫は、四年前に、七十三で、死んだ。
子どもが、三人いる。
四十五、四十二、三十九。
三人とも、別の町に、いる。
春に、末の娘が、来た。
三日、泊まった。
三日目の夜に、娘が、言った。
私の分は、薄かった。
こちらは、聞いた。
何が。
娘は、言った。
お母さんの、育て方。
上の二人には、決まったやり方が、あった。
寝る前の話。
朝の、決まった一言。
叱るときの、決まった順。
私には、無かった。
こちらは、黙った。
娘は、続けた。
三人目だから、疲れてたんでしょう。
上の二人で、使い切ったんでしょう。
私には、残りが、来た。
薄い残りが。
娘は、笑って、言った。
いいの。
もう、慣れた。
こちらは、黙った。
黙って、思った。
娘は、正しい。
娘の分は、薄かった。
上の二人と、同じものを、渡していない。
娘は、それを、疲れのせいだと、思っている。
三人目だから、減っていたのだと、思っている。
減っていたのでは、ない。
こちらは、それを、三十九年、言っていない。
第二章 同じ原紙
上の二人は、同じ原紙で、育てた。
こちらが、若いころに、決めたやり方だ。
寝る前に、同じ話を、する。
朝、同じ一言を、言う。
叱るときは、同じ順で、叱る。
一人目に、それで、通った。
二人目にも、通った。
二人目は、一人目より、少し、薄かった。
同じ原紙の、二枚目だ。
二枚目でも、読める。
同じ形が、出た。
二人とも、寝る前の話を、覚えている。
いまでも、言える。
三人目が、生まれた。
同じ原紙で、刷った。
出なかった。
寝る前の話を、聞かなかった。
朝の一言に、返事をしなかった。
同じ順で叱ると、黙って、部屋に、入った。
同じ原紙が、通らなかった。
原紙が減ったのでは、ない。
紙が、違った。
同じ原紙で、同じ強さで、刷って、出ない紙が、あった。
こちらは、原紙を、捨てた。
捨てて、切り直した。
三人目のための、原紙を。
話を、変えた。
朝の一言を、変えた。
叱る順を、変えた。
変えながら、探した。
探しながら、切った。
切りながら、刷った。
切りながら刷ると、薄い。
線が、決まっていない。
今日の線と、明日の線が、違う。
違う線を、毎日、刷った。
決まっていない線で、刷ると、薄く、出る。
三人目の分は、薄かった。
減った原紙で、刷ったから、薄いのでは、ない。
切ったばかりの原紙で、刷ったから、薄い。
第三章 二つの薄さ
若いころ、学校の事務で、謄写版を、動かしていた。
先生が切った原紙を、受け取って、刷る。
一枚目は、濃い。
百枚を過ぎると、薄くなる。
原紙が、減る。
減った原紙の刷りは、薄い。
もう一つ、薄い刷りが、あった。
新しく来た先生の、原紙だ。
切るのに、慣れていない。
線が、細い。
細い線の原紙は、一枚目から、薄い。
二つの薄さを、並べたことが、ある。
減った原紙の、百枚目。
切ったばかりの原紙の、一枚目。
紙の上では、同じだった。
同じように、かすれていた。
同じように、読めるところと、読めないところが、あった。
もらった側には、どちらか、分からない。
刷った側だけが、知っている。
こちらは、それを、刷った側で、知っていた。
娘は、もらった側にいる。
もらった側から見ると、娘の分は、百枚目に、見える。
三人目の、減った分に、見える。
違う。
一枚目だ。
娘のために切った原紙の、一枚目だ。
切りながら刷った、いちばん先の一枚だ。
薄いのは、減ったからでは、ない。
まだ、線が、決まっていなかったからだ。
娘は、それを、知らない。
知らないのは、こちらが、言わなかったからだ。
知らないので、残りをもらったと、思っている。
第四章 言わなかった
三十九年、言わなかった。
言わなかったのには、理由が、ある。
上の二人と、違う原紙だと、言えば、娘は、自分だけ、違うと、思う。
同じ原紙が、通らなかったと、言えば、自分のせいだと、思う。
どちらも、言いたくなかった。
言わないで、薄いまま、渡した。
渡して、三十九年、そのままにした。
渡した側は、薄い理由を、知っている。
もらった側は、薄いとだけ、知っている。
薄いとだけ知っている側は、理由を、自分で、作る。
娘は、作った。
三人目だから。
疲れていたから。
使い切ったから。
減った原紙の百枚目を、もらったのだと、作った。
作った理由は、間違っている。
間違っているのを、こちらは、三十九年、直さなかった。
直さなかったので、娘は、三十九年、百枚目だと、思っていた。
百枚目だと思って、生きてきた。
残りだと思って。
こちらは、思った。
言わなかったのは、娘のためだと、思っていた。
娘のためでは、なかった。
娘は、百枚目だと、思って、生きた。
それより、一枚目だと、知って、生きるほうが、いい。
薄くても、一枚目だ。
自分のための原紙の、一枚目だ。
第五章 一枚目
娘に、言った。
薄かった。
娘は、言った。
うん。
こちらは、言った。
減っていたんじゃ、ない。
娘は、黙った。
こちらは、言った。
上の二人と、同じやり方が、あなたには、通らなかった。
寝る前の話を、聞かなかった。
朝の一言に、返事を、しなかった。
娘は、言った。
覚えてる。
こちらは、言った。
だから、捨てた。
あなたのために、作り直した。
作りながら、渡した。
作りながら渡すと、薄い。
娘は、黙った。
こちらは、言った。
あなたの分は、残りじゃ、ない。
あなたのための、一枚目だ。
娘は、長く、黙った。
黙って、言った。
どうして、言わなかったの。
こちらは、言った。
自分だけ違うと、思わせたくなかった。
娘は、言った。
思ってたよ。
三十九年、思ってた。
自分だけ、残りだって。
こちらは、黙った。
娘は、言った。
残りより、違うほうが、いい。
こちらは、言った。
そうね。
娘は、言った。
一枚目なら、薄くていい。
こちらは、黙った。
黙って、うなずいた。
うなずいて、台所に、立った。
娘が、横に、来た。
来て、黙って、皿を、拭いた。
エピローグ
娘は、帰った。
こちらは、台所に、いる。
三人の子に、三枚、刷った。
二枚は、同じ原紙だ。
一枚は、別の原紙だ。
別の原紙は、切りながら、刷った。
切りながら刷ると、薄い。
薄い一枚を、末の子は、後の刷りだと、思った。
後では、ない。
先だ。
その子のための、いちばん先の一枚だ。
もらった側には、減った薄さと、切ったばかりの薄さの、区別が、つかない。
紙の上では、同じだ。
刷った側だけが、知っている。
知っている側が、言わなければ、もらった側は、減ったのだと、思う。
三十九年、思わせた。
言った。
言えたので、いい。
娘は、一枚目を、持って、帰った。
薄いままだ。
薄いままで、一枚目だ。
一枚目だと、知って、持っている。
知って持つ薄さと、知らないで持つ薄さは、違う。
紙は、同じだ。
減った原紙の百枚目では、ない。
上の二人の原紙は、二枚で、終わった。
末の子の原紙は、一枚で、終わった。
どちらの原紙も、もう、無い。
残っているのは、三枚の、刷りだ。
三枚とも、薄さが、違う。
違う薄さで、三人とも、読める。
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