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刷る側

後の分ほど薄かったこと

刷る側

朗読で聴く

第一章 同じこと

七十四になった。

町の、小さな鉄工所を、四十年、やった。

去年、閉めた。

妻は、五年前に、死んだ。

子どもは、いない。

四十年のあいだに、若い人を、九人、入れた。

九人に、同じことを、教えた。

火の入れ方。

鉄の持ち方。

叩く場所。

言うことは、決まっていた。

最初の一人に言ったことを、そのまま、九人目にも、言った。

こちらは、同じ原紙だと、思っていた。

同じ原紙で、九枚、刷った。

九枚とも、同じ刷りだと、思っていた。

最初の一人は、こちらが、三十四のときに、入った。

二十だった。

いまは、六十だ。

隣の町で、自分の工場を、持っている。

九人目は、去年の春に、入った。

二十三だった。

半年で、辞めた。

辞めるとき、言った。

教えてもらってない。

こちらは、言った。

教えた。

九人目は、言った。

言われただけです。

こちらは、黙った。

黙って、言った。

言うのが、教えることだ。

九人目は、帰った。

帰る背中を、見た。

半年、横に、いなかった背中だ。

帰ったあと、工場を、閉めた。

閉める理由は、ほかにも、あった。

あったが、あの一言が、最後だった。

第二章 一人目

閉めて、半年、たった。

一人目が、来た。

六十になった一人目だ。

閉めたと聞いて、来た、と言った。

工場の中を、見て、歩いた。

歩いて、立ち止まって、言った。

ここで、一日、立ってたな。

こちらは、聞いた。

何が。

一人目は、言った。

あんたが。

俺の横に、一日、立ってた。

こちらは、思い出せなかった。

四十年前だ。

思い出せないのは、年のせいだと、思った。

年のせいでは、なかった。

一人目は、続けた。

最初の半年、あんた、俺の横から、離れなかった。

俺の手を、握って、動かした。

叩く場所を、俺の手で、叩かせた。

毎日だ。

こちらは、黙った。

覚えていない。

言ったことは、覚えている。

火の入れ方。

鉄の持ち方。

叩く場所。

言ったことは、九人とも、同じだ。

手を握って、動かしたことは、覚えていない。

一人目は、言った。

あれが無かったら、俺は、できてない。

こちらは、言った。

言っただろう。

一人目は、言った。

言われただけじゃ、分からない。

こちらは、黙った。

九人目と、同じことを、言った。

言われただけです。

言われただけじゃ、分からない。

一人目と、九人目が、同じことを、言っている。

一人目は、それでも、できた。

九人目は、辞めた。

違いは、こちらだ。

第三章 原紙

若いころ、町内の回覧を、謄写版で、刷った。

原紙を、切って、ローラーを、動かす。

一枚目は、濃い。

黒く、出る。

何十枚か、刷ると、薄くなる。

原紙が、減る。

刷る側は、減ったのが、分からない。

同じ原紙を、同じ強さで、動かしている。

同じつもりだ。

出てくる紙だけが、薄い。

薄いのは、紙を、見れば、分かる。

見ないで、刷っていた。

刷った紙は、配って、手元に、残らない。

残らないので、比べられない。

一枚目と、五十枚目を、並べたことが、無い。

並べたら、別の紙だ。

同じ字で、同じ文面で、濃さだけが、違う。

同じ原紙で、同じ強さで、刷った、別の紙だ。

こちらは、九人に、同じことを、した。

同じつもりだった。

一人目のときは、横に、一日、立った。

手を握って、動かした。

それが、一枚目だ。

濃い。

九人目のときは、言った。

言って、離れた。

離れて、自分の仕事を、した。

それが、九枚目だ。

薄い。

言ったことは、同じだ。

同じことを、言うのに、一人目には、体が、ついていた。

九人目には、言葉だけが、行った。

原紙が、減っていた。

減ったのは、こちらだ。

こちらは、それを、知らなかった。

原紙は、自分の手の中に、ある。

減った分だけ、自分も、減っている。

減った自分で、減った原紙を、見る。

同じに、見える。

比べるものが、無い。

第四章 薄い側

九人目は、薄い一枚を、もらった。

もらった側には、薄いとしか、見えない。

一枚目を、見ていない。

見ていないので、はじめから、こういう人だと、思う。

言うだけの人だ。

教えない人だ。

そう思って、辞めた。

辞めた側は、正しい。

薄い一枚しか、来なかった。

来なかった分を、教えてもらってない、と言った。

その通りだ。

こちらは、同じ原紙で、同じことを、した。

同じことをしても、届いた分が、違う。

届いた分で、その人は、こちらを、決める。

一人目は、こちらを、一日横に立つ人だと、思っている。

九人目は、こちらを、言うだけの人だと、思っている。

どちらも、こちらだ。

一枚目のこちらと、九枚目のこちらだ。

原紙は、一つだ。

減った。

こちらは、減ったことを、九人目に、言われて、知った。

九人目は、減ったとは、言わなかった。

薄い、と言った。

教えてもらってない、と言った。

薄いと言われたほうが、減っていた。

言われるまで、同じつもりで、いた。

第五章 一枚目を見る

一人目の工場に、行った。

一人目が、若い人を、教えていた。

若い人の横に、一人目が、立っていた。

一日、立っていた。

手を握って、動かしていた。

叩く場所を、若い人の手で、叩かせていた。

こちらは、それを、見た。

見て、思い出した。

覚えていなかったことを、思い出した。

これを、した。

三十四のとき、一人目に、これを、した。

一日、横に、立った。

手を握った。

それが、こちらの一枚目だ。

こちらは、こちらの一枚目を、持っていない。

配ったので、手元に、無い。

一人目が、持っている。

持っていて、それを、若い人に、刷っている。

こちらの一枚目が、一人目の原紙になっている。

濃い。

こちらは、それを、四十年ぶりに、見た。

自分の刷った一枚目を、他人の手で、見た。

一人目は、こちらに、気づいて、言った。

あんたのやり方だ。

こちらは、言った。

覚えてなかった。

一人目は、言った。

俺が、覚えてる。

こちらは、黙った。

九人目は、これを、もらっていない。

もらったのは、言葉だけだ。

言葉は、一枚目にも、九枚目にも、あった。

一枚目には、言葉の下に、一日分の体が、あった。

九枚目には、無かった。

無いのを、こちらは、知らなかった。

原紙が、減っているのを、刷る側は、知らない。

エピローグ

工場に、戻る。

火は、無い。

道具を、拭く。

拭きながら、思う。

九人に、同じことを、した。

同じつもりだった。

一枚目と、九枚目は、別の紙だ。

別の紙になっていたことを、刷る側は、知らない。

紙は、配って、手元に、残らない。

残らないので、減ったのが、見えない。

見えないまま、同じ強さで、刷り続けた。

出てくる紙が、薄くなっていた。

薄い紙を、もらった人が、薄いと、言った。

言われて、初めて、減った分を、知った。

減った分は、原紙には、出ない。

刷った紙にしか、出ない。

紙は、持って行かれる。

持って行った人だけが、薄いと、分かる。

九人目は、分かって、辞めた。

辞めたのは、正しい。

こちらは、減った原紙で、九枚目を、刷った。

刷った紙の薄さを、こちらは、いまも、見ていない。

九人目が、持って行った。

一枚目は、一人目が、持っている。

どちらも、こちらの手元には、無い。

手元にあるのは、減った原紙だ。

減った原紙を、しまう。

しまって、道具を、拭く。

ソウルミッション358

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