母の点
全部の線が一点に集まっていたこと

朗読で聴く
第一章 全部が母に
六十四になった。
母は、去年の冬に、八十九で、死んだ。
きょうだいが、四人いる。
こちらは、上から二番目だ。
四人とも、家を出て、別々の町に、いる。
母は、一人で、実家に、いた。
四人の家から、線が、一本ずつ、母に、伸びていた。
電話の線だ。
正月の線だ。
何かあったら知らせる線だ。
兄は、月に一度、電話をした。
こちらは、週に一度、電話をした。
弟は、盆と正月に、帰った。
妹は、母と、毎日、短く、話した。
四本の線は、四本とも、母に、行った。
母のところで、四本が、会った。
こちらは、兄と、話さない。
弟とも、妹とも、ほとんど、話さない。
話さなくても、母から、聞いた。
兄が、こう言っていた。
妹が、こうだった。
母が、四本の線の、真ん中に、いた。
真ん中に、いるので、四人は、つながっていた。
つながっていると、思っていた。
四人で、一つの家だと、思っていた。
母が、死んだ。
葬式で、四人が、そろった。
久しぶりに、顔を、見た。
葬式のあと、四人で、実家の片付けをした。
三日、いっしょに、いた。
三日目に、気づいた。
四人は、話していない。
母の話は、した。
母の物の話は、した。
それ以外の話を、していない。
していないというより、できなかった。
何を、話せばいいのか、分からなかった。
第二章 平行
片付けが、終わって、四人は、別々の町に、帰った。
帰ってから、兄に、電話をしようとした。
番号を、知らなかった。
六十四年、兄の番号を、知らなかった。
母に、聞けば、分かった。
母が、いない。
妹に、聞いて、兄の番号を、知った。
かけた。
兄が、出た。
出て、言った。
どうした。
こちらは、言った。
いや、別に。
兄は、言った。
そうか。
それだけで、切れた。
切れてから、思った。
こちらと、兄の間に、線が、無い。
あったのは、こちらと母の線と、兄と母の線だ。
二本の線は、母のところで、会っていた。
会っているので、こちらと兄は、つながっていると、思っていた。
つながって、いなかった。
母を、通して、つながっていた。
母が、いなくなると、二本の線は、母のところで、止まった。
止まった線は、その先に、行かない。
こちらから、兄へは、行かない。
兄から、こちらへも、行かない。
四本の線は、四本とも、母で、止まっている。
止まった先に、何も、無い。
こちらは、六十四で、初めて、兄と、二人で、話そうとした。
話せなかった。
話し方を、知らなかった。
六十四年、母を、通して、話していた。
通さないで、話したことが、無かった。
第三章 消失点
若いころ、銅版画を、見た。
細い線を、何千本も、彫った版画だ。
道と、家の壁が、奥へ、伸びていた。
全部の線が、奥の、一点に、集まっていた。
絵を見せてくれた人が、言った。
消失点だ。
全部の線が、そこへ、行く。
そこへ行くので、絵が、一つに、なる。
その点が、無かったら、線は、ばらばらだ。
こちらは、そのとき、聞き流した。
聞き流して、四十年、忘れていた。
兄と、電話が、切れたとき、思い出した。
母は、消失点だった。
四人の線が、全部、母に、行った。
行くので、四人は、一つの絵に、なっていた。
絵の中で、四人は、つながって、見えた。
つながって見えたのは、線が、一点に、集まっていたからだ。
線と線が、交わっていたのでは、ない。
線は、母で、会っていただけだ。
点が、無くなった。
無くなると、線は、その先に、行かない。
行かない線は、平行になる。
平行な線は、どこまで行っても、交わらない。
四人は、いま、平行だ。
同じ方を、向いている。
向いているが、交わらない。
母がいたころも、交わってはいなかった。
交わっているように、見えていた。
点があると、そう見える。
点が無いと、見えない。
見えなくなって、初めて、交わっていなかったことが、分かった。
六十四年、分からなかった。
母が、真ん中に、いたからだ。
第四章 点の場所
妹に、電話をした。
妹とは、母のことで、話す。
母のこと以外を、話したことが、無い。
こちらは、言った。
お兄ちゃんと、話せない。
妹は、言った。
私も。
こちらは、聞いた。
どうして。
妹は、少し、黙った。
黙って、言った。
お母さんが、いないから。
お母さんに、言えば、お兄ちゃんに、届いてた。
届く場所が、無くなった。
こちらは、黙った。
妹は、続けた。
私、毎日、お母さんと、話してたでしょう。
あれ、お母さんに、話してたんじゃ、なかった。
お母さんを、通して、みんなに、話してた。
みんなに、届くと、思ってた。
こちらは、言った。
届いてた。
妹は、言った。
届いてたなら、いま、届かないのは、変。
こちらは、黙った。
黙って、思った。
その通りだ。
届いていたのは、母までだった。
母から先へ、届いていたかどうかは、母だけが、知っている。
母は、こちらに、妹のことを、話した。
話してくれたので、届いていると、思った。
母が、話さなければ、届いていなかった。
届けるかどうかは、母が、決めていた。
点が、決めていた。
四人は、点に、預けていた。
預けたまま、六十四年、いた。
預けたものを、自分で、届けたことが、無い。
無いので、いま、届け方が、分からない。
妹は、言った。
私たち、お母さんが、いないと、きょうだいじゃ、ないのかな。
こちらは、言った。
きょうだいだ。
言ってから、思った。
線を、引き直さないと、きょうだいでは、ない。
母を、通さない線を。
六十四で、初めて、引く線だ。
第五章 引き直す
兄に、もう一度、電話をした。
兄は、出た。
出て、言った。
どうした。
こちらは、言った。
話すことは、無い。
兄は、黙った。
こちらは、続けた。
無いけど、かけた。
母さんが、いないから、かけないと、つながらない。
兄は、少し、黙った。
黙って、言った。
そうだな。
こちらは、言った。
いままで、母さんが、真ん中に、いた。
真ん中が、無い。
兄は、言った。
分かってる。
俺も、おまえの番号、母さんに、聞いてた。
こちらは、黙った。
兄も、同じだった。
兄からこちらへの線も、母で、止まっていた。
こちらは、言った。
番号、覚えて。
兄は、言った。
覚えた。
それだけだった。
それだけで、切れた。
切れてから、思った。
線が、一本、引けた。
母を、通らない線だ。
細い。
六十四年ぶんの線に、比べれば、無いようなものだ。
無いようなものでも、母の点を、とおっていない。
通っていない線は、点が無くても、消えない。
母に、集まっていた線は、母が消えて、止まった。
止まった線を、こちらは、四本ぶん、持っている。
持っていて、使えない。
使えない線の代わりに、細い線を、一本、引いた。
引いた線の先に、兄がいる。
母では、ない。
エピローグ
電話の前に、座っている。
母の番号は、もう、無い。
兄の番号が、ある。
妹の番号が、ある。
弟の番号は、まだ、聞いていない。
聞く。
母に、聞けない。
妹に、聞く。
聞いて、かける。
かけて、話すことは、無い。
無いまま、かける。
母に、集まっていた四本の線は、母が死んで、止まった。
止まった線を、四人とも、持っている。
持っている線は、母の形をしている。
母の形の線は、母にしか、行かない。
行き先が、無い。
無いので、新しい線を、引く。
母の形では、ない線だ。
兄の形、妹の形、弟の形の線だ。
六十四年、引かなかった線だ。
引かなかったのは、母がいたからだ。
母がいれば、要らなかった。
要らなかったので、引かなかった。
引かないまま、母が、消えた。
消えて、線が、平行になった。
平行のままなら、四人は、四人のまま、終わる。
終わらせないために、引く。
細くていい。
一本ずつでいい。
母を、通らない線を、いまから、引く。
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