窓の光
手数をかけたところだけが明るいこと

朗読で聴く
第一章 窓
六十八になった。
アメリカの、小さな町に、住んでいる。
夫は、二年前に、七十一で、死んだ。
結婚して、四十五年だった。
居間に、大きな窓が、ある。
南を、向いている。
窓の前に、椅子が、一つ。
こちらの椅子だ。
四十五年、そこに、座って、本を、読んだ。
窓は、明るかった。
朝から、昼過ぎまで、光が、入った。
明るい窓だと、思っていた。
明るいのは、こちらが、拭くからだと、思っていた。
毎週、土曜に、窓を、拭いた。
内側を、上から下まで、拭いた。
拭くと、光が、よく入る。
入るのを、見て、思った。
これは、こちらの手数だ。
こちらが、拭くから、明るい。
四十五年、そう思っていた。
夫は、外にいた。
庭にいた。
庭で、何かを、していた。
何をしているかは、よく、見なかった。
庭は、夫のものだった。
窓は、こちらのものだった。
そう、分かれていた。
夫が、死んだ。
庭は、そのままにした。
窓は、拭き続けた。
毎週、土曜に。
同じように、拭いた。
拭いても、去年の春から、窓が、暗くなった。
第二章 暗い
拭いても、暗い。
もう一度、拭いた。
同じだった。
ガラスが、曇ったのかと、思った。
外側を、見た。
外側は、夫が、拭いていたのかもしれない。
思って、外に出て、拭いた。
同じだった。
暗い。
窓の前の椅子に、座った。
座って、本を、開いた。
字が、読みにくかった。
読みにくいので、窓を、見た。
窓の外に、枝が、あった。
カエデの、枝だ。
庭のカエデが、窓の前まで、伸びていた。
葉が、光を、さえぎっていた。
いつから、こんなに、伸びたのか。
分からなかった。
去年は、こうでは、なかった。
その前も、そうでは、なかった。
四十五年、カエデは、窓の前まで、来なかった。
来なかったのは、伸びなかったからでは、ない。
息子が、来て、言った。
母さん、枝、切らないと。
こちらは、言った。
切ったことが、無い。
息子は、言った。
父さんが、毎年、切ってたよ。
秋に。
母さんが、ふいてる横で。
こちらは、黙った。
黙って、思い出そうとした。
秋に、夫が、はしごに、乗っていた。
乗っていたのは、覚えている。
何をしていたかは、覚えていない。
枝を、切っていた。
窓の前の枝を、毎年、秋に、切っていた。
こちらが、内側を、拭いている横で。
第三章 反対
明るいのは、こちらの手数だと、思っていた。
土曜に、拭く。
四十五年、二千三百回。
二千三百回の雑巾が、窓を、明るくしていた。
そう、思っていた。
反対だった。
窓を明るくしていたのは、夫の、はさみだった。
年に一回、枝を、切る。
四十五年、四十五回。
四十五回の、はさみだ。
こちらの、二千三百回より、ずっと、少ない。
少ないが、それが無いと、光が、入らない。
光が入らなければ、拭いても、暗い。
拭くのは、入った光を、通すことだ。
入れるのは、枝を、切ることだ。
入れる人が、いなくなった。
いなくなって、二年で、枝が、窓を、ふさいだ。
ふさがれた窓を、こちらは、二千三百回の手で、拭いた。
拭いても、明るくならなかった。
明るくならないので、初めて、外を、見た。
外に、枝があった。
枝の向こうに、夫の、四十五回があった。
四十五回を、こちらは、見なかった。
見なかったのは、拭いていたからだ。
拭くのに、忙しかった。
忙しいので、横で、夫が、はしごに乗っているのを、見なかった。
見ないで、明るさを、自分のものだと、思った。
自分の手数だと、思った。
手数は、こちらのほうが、多かった。
多いので、自分のものだと、思った。
多い手数が、明るさを、作っていたのでは、なかった。
少ない手数が、光を、入れていた。
入れた光を、多い手数が、通していた。
二つで、一つの窓だった。
片方しか、知らなかった。
知らなかったほうが、光の元だった。
第四章 版
若いころ、版画を、見た。
黒い版に、白い線を、彫る版画だ。
最初は、全部、黒だ。
彫ったところだけが、白くなる。
彫らなければ、黒のままだ。
明るさは、彫った線の数だ。
勝手に、明るくは、ならない。
窓は、その版画だった。
こちらは、毎週、線を、彫っていた。
二千三百本。
夫は、年に一本、彫っていた。
四十五本。
こちらの線は、細い線だった。
夫の線は、太い線だった。
太い一本が、黒を、大きく、開けた。
開いたところに、こちらの細い線が、二千三百本、入った。
入って、白く、開いた。
開いたのを、こちらは、自分の線だと、思った。
自分の線だけを、数えていた。
夫の線は、数えなかった。
年に一本では、数えるほど、無かった。
無いと、思っていた線が、いちばん、太かった。
太い線が、無くなった。
無くなって、二年で、黒が、戻った。
戻った黒の中で、こちらの細い線は、見えなくなった。
二千三百本あっても、見えない。
太い一本が、無いからだ。
黒は、太い線から、開く。
細い線は、開いたところを、白くする。
順番が、あった。
順番を、こちらは、知らなかった。
知らないで、細い線を、自分の手数だと、誇っていた。
誇るほどのものでは、なかった。
夫の一本の上に、乗っていた。
第五章 はさみ
物置に、はさみが、あった。
夫の、枝切りばさみだ。
はしごも、あった。
息子が、はしごに、乗った。
乗って、枝を、切った。
一本、切るたびに、窓に、光が、入った。
こちらは、なかから、見ていた。
椅子に、座って、見ていた。
光が、少しずつ、増えた。
増えて、本の字が、読めるように、なった。
息子が、降りてきて、言った。
これで、一年は、いいよ。
こちらは、言った。
父さんが、毎年、これを。
息子は、言った。
うん。母さんが、ふいてる横で。
こちらは、聞いた。
私、見てなかった。
息子は、笑った。
笑って、言った。
父さん、言ってたよ。
母さんは、内側を、やる。
俺は、外側を、やる。
どっちが欠けても、暗い、って。
こちらは、黙った。
黙って、思った。
夫は、知っていた。
二つで、一つだと、知っていた。
知っていて、言わなかった。
こちらには、言わなかった。
息子には、言った。
言われた息子が、はしごに、乗った。
こちらは、四十五年、夫の一本を、知らなかった。
知らないで、自分の二千三百本を、明るさだと、思っていた。
思っていた明るさは、夫の一本の上に、あった。
一本が、無くなって、初めて、分かった。
分かって、椅子に、座った。
座った窓は、明るかった。
息子の一本で、明るかった。
エピローグ
土曜に、窓を、拭く。
拭きながら、外を、見る。
枝を、見る。
枝が、伸びると、息子に、言う。
言えば、息子が、来る。
来て、一本、切る。
こちらは、その一本の上に、細い線を、彫る。
彫っても、自分の手数だとは、思わない。
思わないで、拭く。
拭くのは、入った光を、通すことだ。
入れるのは、別の人だ。
別の人の一本が、あって、こちらの二千三百本が、ある。
順番は、変わらない。
変わらない順番を、四十五年、知らなかった。
知らないで、明るい窓の前に、座っていた。
座って、本を、読んでいた。
読めていたのは、夫の一本のおかげだった。
おかげだと、言わないで、夫は、切っていた。
切っているのを、こちらは、見なかった。
見なかった一本を、いま、息子が、彫る。
彫った上に、こちらが、彫る。
二人で、一つの窓を、明るくする。
明るくなった窓の前に、座る。
座って、本を、開く。
字が、読める。
読めるのは、太い一本が、あるからだ。
あることを、知って、読む。
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