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店の前

手数をかけたところだけが明るいこと

店の前

朗読で聴く

第一章 乾物屋

七十三になった。

商店街で、乾物屋を、やっている。

父から継いで、四十八年だ。

妻は、二年前に、六十九で、死んだ。

店は、続けている。

一人で、続けている。

品は、同じだ。

昆布、椎茸、豆、海苔。

仕入れも、同じところからだ。

棚も、同じだ。

値段も、そう変えていない。

店の中は、妻がいたときと、同じだ。

同じにしてきた。

同じにするのが、こちらの、やることだった。

去年の夏、古い客が、言った。

なんか、暗くなったね。

こちらは、聞いた。

電気ですか。

客は、言った。

いや、電気じゃなくて。

店の前が。

こちらは、店の前を、見た。

道だ。

商店街の、道だ。

道が、暗い。

道は、店のものでは、ない。

ないので、こちらは、何もしていない。

していないので、同じはずだった。

同じはずの道が、暗かった。

客が、帰ってから、店の前に、立った。

立って、見た。

店の前の、道が、くすんでいた。

隣の店の前より、くすんでいた。

隣は、毎朝、掃いている。

掃いているのを、見ている。

こちらは、掃いていない。

二年、掃いていない。

掃かなくても、道は、道だと、思っていた。

思っていたのが、暗くなっていた。

第二章 水

妻が、掃いていた。

思い出した。

毎朝、店を開ける前に、店の前を、掃いていた。

掃いて、水を、打っていた。

柄杓で、道に、水を、まいていた。

夏も、冬も。

こちらは、店の中で、棚を、整えていた。

中は、こちら。

外は、妻。

そう、分かれていた。

分かれていることを、考えたことは、無かった。

妻が、外を、やっている。

それだけのことだった。

毎朝のことは、見えない。

四十六年、見えなかった。

妻が、死んだ。

死んで、外を、やる人が、いなくなった。

いなくなったが、こちらは、気づかなかった。

中は、同じだったからだ。

中を、同じにすることに、手一杯だった。

外は、道だ。

道は、勝手に、あると、思っていた。

勝手に、明るいと、思っていた。

二年、掃かなかった。

掃かない道は、二年で、くすんだ。

くすんで、暗くなった。

暗くなったのを、客が、見た。

こちらは、見なかった。

中にいたからだ。

中から、外は、見えない。

見えないところが、暗くなっていた。

妻が、毎朝、明るくしていたところだ。

明るくしていたことを、こちらは、知らなかった。

知らないで、店が、明るいと、思っていた。

店の前の明るさは、妻の、箒と、柄杓だった。

第三章 版

若いころ、版画を、見た。

黒い版に、白い線を、彫る版画だ。

最初は、全部、黒だ。

彫ったところだけが、白くなる。

密に彫れば、白く開く。

粗く彫れば、黒が、見える。

彫らなければ、黒のままだ。

明るさは、彫った線の数だ。

勝手に、明るくは、ならない。

店の前は、その版画だった。

妻が、毎朝、一本、彫っていた。

箒で、一本。

柄杓で、一本。

四十六年、一万六千本。

一万六千本の線で、店の前は、白く、開いていた。

開いているのを、こちらは、店の明るさだと、思った。

店は、黒い、版だ。

版は、勝手に、光らない。

光らせたのは、妻の手数だった。

手数を、こちらは、見なかった。

見なかったのは、中にいたからだ。

中から、外の手数は、見えない。

見えないので、外が、勝手に、明るいと、思った。

勝手に、明るい道は、無い。

全部、誰かの手数だ。

手数が止まると、黒に、戻る。

戻った黒を、客が、見た。

黒が、本当の店の前だった。

黒の上に、妻が、毎朝、白い線を、彫っていた。

彫っている手を、こちらは、四十六年、見なかった。

見ないで、店の中を、同じにしていた。

同じにしていたのは、中だけだった。

外は、妻が、同じにしていた。

二人で、一つの店を、明るくしていた。

片方しか、知らなかった。

第四章 箒

箒を、探した。

店の裏に、あった。

妻の、箒だ。

柄杓も、あった。

次の朝、店を開ける前に、店の前に、出た。

掃いた。

二年ぶんの、くすみは、一回では、落ちない。

落ちないが、掃いた。

水を、打った。

柄杓で、道に、まいた。

まいた水が、道の色を、少し、変えた。

濡れたところが、暗く、見えた。

暗く見えるのは、乾くと、明るくなる。

妻が、そう言っていた。

言っていたのを、思い出した。

水を打つと、ほこりが、しずまる。

しずまって、道が、落ち着く。

落ち着いた道に、客が、来る。

妻は、そう、言っていた。

聞いていたが、聞いていなかった。

毎朝のことだったからだ。

毎朝のことは、聞こえない。

いま、初めて、聞いた。

聞いて、まいた。

一本目だ。

一本では、開かない。

開くには、一万六千本、要る。

要ることが、分かった。

分かるのに、二年、かかった。

二年は、道が黒に戻る時間だった。

分かって、明日も、まく。

まくのは、こちらの手だ。

妻の手は、もう無い。

無い手が、一万六千本、彫っていた。

第五章 隣

隣の店の主人が、言った。

掃き始めたね。

こちらは、言った。

遅いけど。

主人は、言った。

奥さん、毎朝だったからね。

うちより、早かった。

こちらは、聞いた。

見てたんですか。

主人は、言った。

毎朝、見てたよ。

商店街で、いちばん、早かった。

こちらは、黙った。

黙って、思った。

隣は、見ていた。

こちらは、見ていなかった。

いちばん近くにいて、見ていなかった。

中にいたからだ。

中にいる人には、外の手数が、見えない。

外にいる人には、見える。

隣は、外にいた。

外から、妻の手数を、四十六年、見ていた。

こちらは、なかから、妻の背中も、見なかった。

背中は、店の外に、あった。

外にあるものを、なかから、見ることは、無い。

無いまま、四十六年、店の前は、明るかった。

明るいのを、店のものだと、思った。

店のものでは、なかった。

妻の、毎朝だった。

毎朝を、隣が、知っていた。

知っている人が、隣にいた。

いたことを、掃き始めて、知った。

掃かなければ、知らなかった。

知らないまま、暗い店の前で、中を、同じにしていた。

エピローグ

毎朝、掃いている。

水を、打っている。

二か月で、道の色が、戻ってきた。

戻ってきたが、妻のときほどでは、ない。

一万六千本には、遠い。

遠いことを、知っている。

知って、まく。

まいた道を、客が、通る。

なんか、明るくなったね、と客が、言う。

こちらは、言う。

掃いてるから。

言って、思う。

妻は、言わなかった。

四十六年、言わなかった。

言わないので、こちらは、店が明るいと、思った。

店は、黒い、版だ。

版の上に、妻の線が、一万六千本、あった。

線を、彫った人が、いなくなった。

いなくなって、黒が、出た。

黒が出て、初めて、線が、彫られていたと、知った。

知った手で、一本ずつ、彫る。

彫るのは、店の外だ。

中は、同じにする。

外は、彫る。

二つとも、こちらが、やる。

一人で、ふたりぶんだ。

ふたりぶんを、一人で、やってみて、分かった。

妻の一本が、こちらの一本と、同じ重さだったことが。

同じ重さの一本を、四十六年、毎朝、彫っていた。

彫っていた人の店に、こちらは、いた。

ソウルミッション358

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