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作業台の前

日が低くなって見えたこと

作業台の前

朗読で聴く

第一章 ガレージ

七十になった。

アメリカの、小さな町に、住んでいる。

妻は、五年前に、六十六で、死んだ。

息子が、一人いる。

四十五だ。

遠くに、住んでいる。

年に、一度、来る。

家の横に、ガレージが、ある。

車は、入れていない。

作業台が、ある。

こちらが、四十年、使った台だ。

棚を、作った。

椅子を、直した。

息子の、自転車も、直した。

仕事から帰って、毎晩、一時間、そこに、立った。

休みの日は、三時間。

四十年だ。

妻が死んでからは、もっと、立っている。

立つ以外に、することが、無い。

無いので、立つ。

作業台の前の床は、コンクリートだ。

灰色の、平らな床だ。

平らだと、思っていた。

四十年、平らだと、思っていた。

自分の足元を、見ることは、無い。

見るのは、手元だ。

手元の、木や、金物を、見る。

足元は、目に、入らない。

入らないまま、四十年、立った。

第二章 息子

去年の秋、息子が、来た。

三日、いた。

三日目の夕方、ガレージに、来た。

こちらは、作業台で、椅子の脚を、直していた。

息子は、ドアのところに、立った。

ガレージのドアは、西を、向いている。

夕方、低い日が、ドアから、床を、走る。

息子は、しばらく、黙っていた。

黙ってから、言った。

父さん、床。

こちらは、聞いた。

床が、どうした。

息子は、言った。

父さんが立ってるとこだけ、減ってる。

こちらは、足元を、見た。

真上から、見た。

平らだった。

平らな、灰色の床だ。

息子は、言った。

そこからじゃ、見えないよ。

こっちに、来て。

こちらは、作業台を、離れた。

離れて、ドアのところに、行った。

息子の横に、立った。

立って、作業台のほうを、見た。

低い日が、横から、床を、走っていた。

走った光の中に、影が、あった。

作業台の前に、影が、あった。

足の幅の、二つの、浅いへこみだ。

コンクリートが、減っていた。

四十年、こちらが、立った場所だ。

立った足が、コンクリートを、減らした。

減ったところに、低い日が、影を、作った。

こちらは、それを、初めて、見た。

四十年、そこに、立った。

立った人が、初めて、見た。

第三章 見えない

自分の足元は、自分には、見えない。

真上から、見るからだ。

真上の光で、へこみは、平らに、見える。

見えないまま、四十年、減らした。

減らしていることを、知らなかった。

知らないで、毎晩、立った。

立つたびに、少し、減った。

少しずつ、四十年、減った。

減ったものが、跡になった。

跡は、こちらが、見えない高さに、あった。

見えない高さで、作った。

作ったものを、息子が、見た。

息子は、ドアのところに、いた。

ドアからは、横から、見える。

横から、低い日が、来ていた。

二つ、そろっていた。

横から見る位置。

低い光。

両方が、そろって、息子は、見た。

こちらは、そろわなかった。

作業台の前に、いたからだ。

作業台の前は、跡の、真上だ。

真上にいる人は、跡を、見ない。

見ないで、作る。

作りながら、見ない。

四十年、そうだった。

息子は、年に一度、来る。

来て、ドアに、立つ。

立って、こちらを、見る。

こちらを見るとき、横から、見ている。

横から見る目に、床が、見えた。

見えたのは、去年の秋だ。

その前の年も、ドアに、立っていた。

立っていたが、昼だった。

昼の光では、見えない。

去年、たまたま、夕方だった。

たまたまで、見えた。

見えたものを、息子は、言った。

言われて、こちらは、知った。

第四章 反対

こちらは、跡を、見る側だと、思っていた。

妻の跡を、見てきた。

妻が死んでから、家の中の、妻の跡を、いくつも、見た。

台所の床の、擦れ。

椅子の、座面の、へこみ。

ドアの、手の高さの、黒ずみ。

見て、妻の時間を、知った。

知って、妻を、思った。

跡を見るのは、残った側の、することだと、思っていた。

残ったほうが、いなくなったほうの跡を、見る。

そう、思っていた。

反対だった。

こちらも、跡を、作っていた。

作っているあいだ、見えなかった。

見えないのは、真上にいるからだ。

妻も、そうだった。

妻は、自分の跡を、見なかった。

見ないで、作った。

作ったものを、こちらが、妻が死んでから、見た。

妻がいなくなって、こちらの光が、低くなった。

低くなって、妻の跡が、見えた。

いま、息子が、こちらの跡を、見た。

こちらは、まだ、いる。

いるのに、見られた。

見られたのは、息子が、横に、いたからだ。

横にいる人には、低い光で、見える。

こちらは、妻の横に、いなかった。

真上に、いた。

妻を、真上から、見ていた。

見ていたので、妻の跡が、見えなかった。

妻が、いなくなって、横に、回った。

回って、見えた。

息子は、最初から、横に、いる。

年に一度しか、来ないからだ。

来ない人は、横から、見る。

横から見る人にだけ、跡が、見える。

こちらの跡を、こちらは、一生、見ない。

見ないで、作る。

作ったものを、息子が、見る。

見る人が、いる。

いるので、跡は、ある。

第五章 息子に

息子に、言った。

見えなかった。

息子は、言った。

そこに立ってたら、見えないよ。

こちらは、言った。

母さんの跡は、見えた。

息子は、少し、黙った。

黙ってから、言った。

母さんが、いなくなってからでしょ。

こちらは、うなずいた。

息子は、続けた。

いるうちは、見えない。

父さんの跡は、俺が、見た。

いるうちに、見た。

こちらは、聞いた。

どうして、見えた。

息子は、言った。

横から、見たから。

俺は、年に一度しか、来ないから。

こちらは、黙った。

黙って、思った。

年に一度しか、来ない。

来ないことを、こちらは、寂しいと、思っていた。

寂しいと、思っていたが、来ない人が、横から、見た。

毎日いる人は、真上から、見る。

真上から見る人には、見えない。

妻は、毎日、いた。

毎日いたので、こちらの跡を、見なかっただろう。

見なかったまま、死んだ。

息子は、年に一度で、見た。

どちらが、いいかは、分からない。

分からないが、見た人が、一人、いる。

一人いれば、跡は、あったことになる。

あったことを、こちらは、生きているうちに、知った。

知ったのは、息子が、たまたま、夕方に、ドアに、立ったからだ。

たまたまを、待っていた。

待っていたとは、知らなかった。

知らないで、四十年、待っていた。

エピローグ

作業台の前に、立っている。

立っている足の下に、へこみが、ある。

あることを、知っている。

知っているが、見えない。

見えないまま、立つ。

立つたびに、少し、減る。

減ったぶん、跡が、深くなる。

深くなったものを、息子が、来年、見る。

見て、また、言うだろう。

父さん、床。

言われて、こちらは、ドアに、行く。

行って、横から、見る。

横から見ると、見える。

見えるのは、息子の場所からだ。

こちらの場所からは、見えない。

見えない場所が、こちらの場所だ。

そこに、四十年、立った。

立って、作った。

作ったものは、横の人の、ものだ。

こちらのものでは、ない。

こちらは、作るだけだ。

作って、見ない。

見ないで、減らす。

減らしたものを、低い日が、拾う。

拾った光を、息子が、見る。

息子が、見るので、こちらは、見なくていい。

見なくていいと、分かった。

分かって、また、作業台に、立つ。

足元は、見ない。

手元を、見る。

手元の木が、椅子の脚に、なる。

脚の下の床が、減る。

減るのを、横の人が、見ている。

ソウルミッション358

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