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静かな人

同じ調子でいたこと

静かな人

朗読で聴く

第一章 静かな妻

七十になった。

アメリカの、小さな町に、住んでいる。

妻は、去年の夏に、六十七で、死んだ。

結婚して、四十四年だった。

妻は、静かな人だった。

声を、大きくしなかった。

笑うときも、小さく笑った。

怒ったのを、見たことが、無い。

四十四年、同じ調子だった。

朝も、夜も。

こちらが、帰ったときも、出かけるときも。

同じ調子で、おかえり、と言った。

同じ調子で、いってらっしゃい、と言った。

静かな人だと、思っていた。

静かなのが、妻の性格だと、思っていた。

性格なので、そういう人だと、思っていた。

思って、四十四年、暮らした。

暮らして、困ることは、無かった。

静かな家だった。

静かなのは、妻が、静かだからだ。

そう、思っていた。

妻が、死んだ。

家は、もっと、静かになった。

なったが、前から、静かだった。

静かな人が、いなくなって、静かなままだ。

変わらないのが、少し、変だった。

変だと、思ったが、考えなかった。

考えたのは、娘が、来てからだ。

第二章 娘

娘が、来た。

四十一だ。

三日、いた。

三日目の夜、娘が、言った。

お父さん、この家、静かだね。

こちらは、言った。

母さんが、静かな人だったから。

娘は、少し、黙った。

黙ってから、言った。

お母さんは、静かな人じゃ、なかったよ。

こちらは、聞いた。

どういうことだ。

娘は、言った。

お母さん、私と二人のときは、よく、しゃべってた。

大きい声で、笑ってた。

お父さんがいないときだけ。

こちらは、黙った。

娘は、続けた。

お父さんが帰ってくると、静かになるの。

お父さんに、合わせてた。

お父さんが、静かだから。

こちらは、言った。

おれが。

娘は、言った。

お父さん、気づいてないでしょ。

お父さんが、いちばん、静かだよ。

声、変えたこと、無いでしょ。

四十四年。

こちらは、答えられなかった。

答えられないで、思った。

変えていない。

変えた覚えが、無い。

覚えが無いのは、変えていないからだ。

同じ調子で、四十四年、いた。

いたことに、気づいていなかった。

気づいていなかったのは、自分の調子は、自分に、聞こえないからだ。

第三章 合わせていた

妻が、静かだったのでは、なかった。

こちらが、静かだった。

こちらの静かさに、妻が、合わせた。

合わせて、静かになった。

静かになった妻を、こちらは、静かな人だと、思った。

思って、四十四年、暮らした。

妻は、娘と二人のときは、大きい声で、笑っていた。

笑っていたことを、こちらは、知らなかった。

知らないのは、こちらがいるときは、笑わなかったからだ。

笑わないのは、こちらに、合わせたからだ。

こちらが、笑わないので、妻も、笑わなかった。

こちらが、同じ調子なので、妻も、同じ調子になった。

家の調子は、こちらが、決めていた。

決めていたことを、知らなかった。

知らないで、妻が、決めていると、思っていた。

妻が、静かだから、家が、静かだと。

反対だった。

こちらが、静かだから、妻が、静かだった。

静かな妻を、見ていた。

見ていたのは、妻の静かさだと、思っていた。

こちらの静かさだった。

こちらの静かさが、妻に、映っていた。

映ったものを、妻だと、思っていた。

四十四年、思っていた。

妻が、死んで、家が、静かなままだ。

静かなままなのは、当たり前だ。

静かさの元は、こちらだからだ。

元が、残っている。

残っているので、変わらない。

変わらないのが、変だと、思った。

変ではなかった。

第四章 見えなかったのは

若いころ、版画を、見た。

線の無い、版画だ。

物の周りに、線が、無い。

物と、後ろの、色の違いだけで、形が、出る。

同じ色のところは、境が、消える。

消えて、後ろと、一つになる。

妻は、こちらと、同じ色になっていた。

同じ色になったので、妻の形が、見えなかった。

見えないので、静かな人だと、思った。

静かなのは、形では、ない。

こちらと同じ色に、なっただけだ。

なったのは、妻が、そうしたからだ。

そうしたのは、こちらが、変わらなかったからだ。

変わらない人の横で、変わると、目立つ。

目立たないように、妻は、同じ色になった。

同じ色になったのを、こちらは、性格だと、呼んだ。

性格ではなかった。

合わせていた。

四十四年、合わせていた。

合わせているあいだ、妻は、こちらに、見えなかった。

見えなかったのは、妻ではない。

こちらだ。

こちらの調子が、こちらに、見えなかった。

自分の色は、自分には、見えない。

見えないので、周りが、同じ色になっても、気づかない。

気づかないで、周りを、静かな人と、呼ぶ。

呼んでいたのは、自分の色だった。

娘が、外から、見ていた。

外から見ると、分かる。

お父さんが、いちばん、静かだよ。

そう、言われるまで、知らなかった。

第五章 娘に

娘に、聞いた。

母さんは、おれといて、つまらなかったか。

娘は、首を、振った。

振って、言った。

そうじゃないよ。

お母さん、言ってた。

お父さんといると、落ち着く、って。

声を、出さなくていいから、って。

こちらは、黙った。

娘は、続けた。

私といるときは、しゃべる。

お父さんといるときは、黙る。

両方、お母さんだよ。

どっちかが、本当じゃない。

両方、本当。

こちらは、言った。

おれは、片方しか、知らなかった。

娘は、言った。

私も、片方しか、知らないよ。

黙ってるお母さんは、知らない。

お父さんだけが、知ってる。

こちらは、思った。

そうだ。

黙っている妻を、知っているのは、こちらだけだ。

しゃべる妻を、知っているのは、娘だけだ。

妻は、二人いた。

こちらの色の妻と、娘の色の妻だ。

どちらも、合わせていた。

合わせるのが、妻の、やり方だった。

やり方を、こちらは、性格だと、思った。

思ったのは、こちらが、自分の色を、知らなかったからだ。

知らない人には、相手が、その色に見える。

見えたものを、静かな人と、呼んだ。

呼び方は、間違っていた。

間違っていたが、妻は、落ち着く、と言っていた。

言っていたと、娘が、言う。

それで、いい。

エピローグ

家は、静かだ。

静かなのは、こちらが、静かだからだ。

四十四年、そうだった。

妻は、こちらに、合わせていた。

合わせて、同じ色になっていた。

同じ色の妻を、こちらは、見ていなかった。

見ていたのは、自分の色だった。

自分の色は、自分に、見えない。

見えないので、妻の色だと、思った。

思って、静かな人と、呼んだ。

妻は、静かな人では、なかった。

静かな人の横にいた、人だった。

横にいて、同じ色になった。

なってくれた。

なってくれたことを、死んでから、知った。

知ったのは、娘が、外から、見ていたからだ。

外から見た人だけが、色の違いを、知っている。

中にいた二人は、同じ色で、知らなかった。

知らないまま、四十四年、暮らした。

暮らして、困らなかった。

困らないのが、妻の、合わせ方だった。

いま、家の中に、こちらの色だけが、ある。

同じ色になる人が、いない。

いないので、こちらの色が、初めて、こちらに、見える。

見えて、静かだと、分かる。

分かって、思う。

この静かさの横に、四十四年、妻が、いた。

いた人は、静かでは、なかった。

静かにしていた。

していたことを、知らなかった。

知らないで、静かな人と、呼んだ。

呼ばれた人は、それでよかったと、言っていた。

言っていたことを、娘から、聞いた。

聞いて、静かな家にいる。

静かなのは、こちらだ。

こちらだと、いまは、知っている。

ソウルミッション358

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