飛んだ話
補って見ていたこと

朗読で聴く
第一章 直す人
六十七になった。
アメリカの、小さな町に、住んでいる。
夫は、去年の春に、七十で、死んだ。
結婚して、四十八年だった。
夫は、言い間違える人だった。
人の名前。
曜日。
店の名前。
言い間違えるたびに、こちらが、直した。
水曜じゃなくて、木曜。
ジムじゃなくて、ジョン。
直すと、夫は、そうだった、と言った。
言って、笑った。
笑って、また、間違えた。
四十八年、直した。
直した数は、数えていない。
数えなくても、毎日だ。
直すのが、こちらの、することだった。
夫の言葉は、線が、欠けていた。
欠けたところを、こちらが、埋めた。
埋めて、形にした。
形にすると、夫は、そうだった、と言った。
合っていた。
合っていると、思っていた。
こちらは、直す人で、夫は、直される人だった。
四十八年、その形だった。
形は、変わらないと、思っていた。
夫が、死ぬまで。
第二章 娘の言葉
夫が、死んで、半年、たった。
娘が、来た。
四十だ。
半年ぶりだ。
台所で、話した。
こちらが、話した。
話していると、娘が、言った。
お母さん、話、飛んでるよ。
こちらは、聞いた。
飛んでる。
娘は、言った。
さっき、ジョンの話してたのに、急に、庭の話になった。
ジョンの話、終わってないよ。
こちらは、驚いた。
驚いて、思い出そうとした。
ジョンの話を、していた。
していた記憶は、ある。
庭の話に、なった記憶は、無い。
無いが、娘は、聞いていた。
聞いていた娘が、飛んでる、と言った。
こちらは、言った。
そう。
娘は、続けた。
前から、そうだよ。
お父さんが、いつも、戻してた。
こちらは、意味が、分からなかった。
娘は、言った。
お母さんの話が飛ぶと、お父さんが、それで、ジョンは、って、聞いてた。
聞かれると、お母さん、戻ってた。
戻って、続きを、話してた。
気づいてなかったの。
こちらは、黙った。
黙って、思った。
気づいていなかった。
四十八年、気づいていなかった。
夫が、聞いていたことを。
それで、ジョンは。
言われた記憶は、ある。
あるが、それは、夫が、話を聞きたいからだと、思っていた。
違った。
戻すために、聞いていた。
第三章 欠けていたのは
こちらは、夫の言葉を、直していた。
夫は、こちらの話を、戻していた。
戻す、という言い方を、こちらは、知らなかった。
四十八年、両方が、あった。
こちらは、片方しか、知らなかった。
直す側だけを、知っていた。
戻されている側を、知らなかった。
知らないのは、夫が、言わなかったからだ。
言わないで、戻した。
それで、ジョンは。
それだけだった。
それだけで、こちらは、戻った。
戻ったことに、気づかなかった。
気づかないほど、うまく、戻していた。
夫の言葉は、欠けていた。
こちらの話も、欠けていた。
欠けていたのは、夫だけでは、なかった。
こちらも、欠けていた。
欠けたところを、夫の目が、閉じていた。
閉じて、形にしていた。
形にして、それで、ジョンは、と言った。
言われて、こちらは、形の中に、戻った。
戻って、話した。
話が、形になった。
なった形を、こちらは、自分の話だと、思っていた。
半分は、夫が、閉じた形だった。
閉じた人が、いなくなった。
いなくなって、話が、飛ぶ。
飛んでいるのを、娘が、見た。
娘は、閉じない。
閉じないで、飛んでる、と言う。
言われて、初めて、飛んでいると、知った。
四十八年、飛んでいた。
飛ぶたびに、夫が、閉じていた。
第四章 反対
補って見ていたのは、こちらだと、思っていた。
夫の欠けを、こちらが、補っていた。
そう、思っていた。
反対だった。
補われていたのは、こちらだった。
夫の目が、四十八年、閉じていた。
こちらの、飛んだ話を、閉じて、一つの話にしていた。
こちらは、夫の名前の間違いを、直した。
直すのは、目に、見える。
水曜じゃなくて、木曜。
声に、出る。
出るので、こちらは、直していると、分かった。
夫は、声に、出さなかった。
それで、ジョンは。
直したとは、言わなかった。
言わないで、戻した。
戻されたこちらは、直されたと、思わなかった。
思わないので、直す側だと、思っていた。
四十八年、思っていた。
直す側は、こちらだけだと。
夫も、直していた。
声に出さない、やり方で。
声に出さないので、こちらは、知らなかった。
知らないまま、夫は、死んだ。
死んで、直す人が、いなくなった。
いなくなって、飛ぶ。
飛んで、娘が、気づいた。
娘は、夫の直し方を、知っていた。
小さいころから、見ていた。
見ていたので、言えた。
お父さんが、戻してた。
こちらは、それを、知らなかった一人だった。
家の中で、知らなかった一人。
三人のうちの、一人。
補って見ていたと、思っていた一人。
補われていた一人。
第五章 娘に
娘に、聞いた。
お父さん、何か、言ってた。
私の話のこと。
娘は、少し、考えた。
考えてから、言った。
一度だけ。
こちらが、いないところで。
お母さんの話は、面白いんだ、って。
飛ぶから、面白いんだ、って。
どこに行くか、分からないから、聞いてる、って。
こちらは、黙った。
黙って、思った。
夫は、直していたのでは、なかった。
聞いていた。
飛ぶ話を、聞いていた。
聞いて、行き先が、見えなくなると、戻した。
戻したのは、直すためではなく、続きを、聞くためだった。
こちらは、夫の間違いを、直した。
直したのは、正しくするためだった。
正しくして、笑って、終わった。
夫は、こちらの話を、正しくしなかった。
正しくしないで、続きを、聞いた。
同じ、欠けに、二人が、違うことを、していた。
こちらは、直した。
夫は、聞いた。
直された夫は、そうだった、と言って、笑った。
聞かれたこちらは、戻って、続きを、話した。
どちらが、いいかは、分からない。
分からないが、夫のほうが、四十八年、こちらの話を、聞いていた。
こちらは、夫の話を、直していた。
直すあいだ、聞いていなかった。
聞いていなかったことを、夫が、死んでから、知った。
エピローグ
娘と、話す。
話が、飛ぶ。
飛ぶと、娘が、言う。
それで、ジョンは。
夫の言い方だ。
娘が、覚えていた。
覚えているとは、こちらは、知らなかった。
覚えていて、使った。
使われて、こちらは、戻る。
戻って、続きを、話す。
夫が、していたことを、娘が、している。
娘は、直さない。
聞く。
聞いて、戻す。
戻し方を、夫から、もらっている。
こちらは、もらっていない。
もらわないで、直す側に、四十八年いた。
直す側にいて、聞かれていた。
聞かれていたことを、いま、娘に、聞かれて、知る。
知って、話す。
飛ぶ。
飛んでも、いい。
戻す人が、いる。
いなくなった人の、代わりが、いる。
代わりを、夫が、育てていた。
育てていたことも、知らなかった。
知らなかったことが、多い。
多いのは、閉じられていたからだ。
閉じられた形の中で、四十八年、話していた。
形の外に、いま、いる。
外は、飛ぶ。
飛んだ先を、娘が、見ている。
それで、ジョンは。
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