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母の手紙

補って見ていたこと

母の手紙

朗読で聴く

第一章 抜けた字

七十になった。

母は、五年前に、九十三で、死んだ。

母は、三十年、手紙を、くれた。

月に、一通。

こちらが、四十で、遠くに、住んでからだ。

母の字は、抜けが、多かった。

字が、一つ、無い。

二つ、無い。

線が、途中で、止まっている。

止まった線を、こちらが、つないで、読んだ。

読めた。

読めるので、困らなかった。

困らないで、三十年、読んだ。

三百六十通だ。

全部、とってある。

一通も、欠けていない。

とってあるが、読み返したことは、無かった。

読んだときに、分かったと、思ったからだ。

思ったことを、母に、確かめたことも、無い。

電話で、手紙のことは、話さなかった。

話さなくても、読めていた。

読めていると、思っていた。

抜けた字を、こちらの目が、閉じた。

閉じた字を、母の字だと、思った。

三十年、思った。

母が、死んで、五年、思っていた。

第二章 妹

去年、妹が、来た。

妹も、母の手紙を、もらっていた。

同じ三十年、月に、一通。

妹は、母の近くに、住んでいた。

近くに住んでいても、手紙が、来た。

来た手紙を、妹も、とってあった。

二人で、横に、置いて、見た。

同じ日付の、手紙が、あった。

同じ日に、二通、書いていた。

同じ朝に、二通、書いたのだろう。

こちらのと、妹のと。

中身は、少し、違った。

違うが、同じことを、書いている箇所が、あった。

その箇所を、二人で、読んだ。

字が、抜けている。

同じ字が、抜けている。

こちらは、読んだ。

妹は、読んだ。

読んだ字が、違った。

こちらは、待っている、と、読んだ。

妹は、持っている、と、読んだ。

抜けた字の、前後が、同じで、閉じ方が、違った。

こちらは、母が、こちらを、待っていると、読んでいた。

妹は、母が、何かを、持っていると、読んでいた。

三十年、別の字で、読んでいた。

別の字を、二人とも、母の字だと、思っていた。

妹が、言った。

お兄ちゃん、それ、待ってる、って、読んでたの。

こちらは、言った。

そう、読んでた。

妹は、しばらく、黙った。

黙ってから、言った。

私は、そう、読めなかった。

第三章 閉じ方

妹は、母の近くにいた。

母が、何を、持っているかを、知っていた。

持っているものが、あるので、持っている、と、読めた。

こちらは、遠くにいた。

遠くにいる人は、待たれていると、読む。

読みたいように、読んだのかもしれない。

母が、待っているなら、帰らなければ、と、思った。

思って、年に、二度、帰った。

帰ると、母は、喜んだ。

喜んだので、待っていた、と、思った。

待っていたかどうかは、手紙の字では、分からない。

抜けているからだ。

抜けたところを、こちらが、待つ、で、閉じた。

妹は、持つ、で、閉じた。

母の字は、どちらだったのか。

分からない。

母は、いない。

いない母の、抜けた字を、二人が、別々に、閉じていた。

閉じた字で、三十年、母を、読んでいた。

読んでいた母は、二人、いた。

こちらの母と、妹の母だ。

どちらも、母の字から、出た。

出たが、母の字ではない。

こちらの目と、妹の目が、作った。

作った字を、母から、もらったと、思っていた。

三十年、思っていた。

母が、死んで、五年、思っていた。

妹が、来て、初めて、別の閉じ方が、あると、知った。

第四章 二通

妹が、帰ってから、手紙を、読み返した。

三十年で、初めて、読み返した。

抜けた字を、閉じないで、読んだ。

閉じないで読むと、読めない。

読めないところが、一通に、五つも、六つも、ある。

三百六十通で、二千ほどだ。

二千を、こちらは、全部、閉じていた。

閉じるのに、一秒も、かからなかった。

閉じたものを、読んだと、思っていた。

読んだのは、こちらの字だ。

母の字は、抜けたままだ。

抜けたまま、そこにある。

あるものを、見ないで、閉じていた。

閉じるのは、目の、癖だ。

癖で、三十年、母を、読んだ。

読んだ母は、待っている母だった。

待っている母を、こちらは、求めていたのかもしれない。

遠くにいて、待たれていたかった。

待たれていたかったので、待っている、と、閉じた。

妹は、近くにいて、母が、何を持っているかを、見ていた。

見ていたので、持っている、と、閉じた。

どちらも、自分の側に、閉じていた。

母の側には、閉じていなかった。

母の側は、抜けている。

抜けたところに、母が、何を、置いたかは、母だけが、知っている。

知っている母は、いない。

いないので、二通のまま、ある。

二通を、一通に、しなくていい。

しなくていいと、妹と、話した。

妹も、そう、言った。

お母さん、二人いても、いいね。

いい、と、こちらも、言った。

第五章 閉じない

息子が、四十だ。

遠くにいる。

こちらが、手紙を、書く。

月に、一通。

母と、同じにした。

書く字が、抜けるようになった。

七十だ。

手が、震える。

震えるのを、母も、言っていた。

震えて、線が、途中で、止まる。

止まった線を、息子が、閉じているだろう。

どう、閉じているかは、分からない。

分からないので、電話で、聞いてみた。

手紙、読めてるか。

息子は、言った。

読めてる。

こちらは、聞いた。

抜けてるだろう。

息子は、笑った。

笑って、言った。

抜けてるけど、分かるよ。

分かるよ、と、息子は、言った。

三十年前の、こちらと、同じだ。

分かると、思っている。

思っているだけだ。

こちらは、言った。

分からなかったら、聞いて。

息子は、少し、黙った。

黙ってから、言った。

うん。

うん、の先を、こちらは、閉じなかった。

閉じないで、待った。

息子が、続けた。

この前の、最後のところ、なんて書いたの。

こちらは、答えた。

答えられた。

答えられたのは、こちらが、まだ、いるからだ。

母は、いなかった。

いないので、答えられなかった。

答えられないまま、二通になった。

息子の手紙は、一通で、済む。

済むように、電話で、答える。

抜けた字を、こちらが、閉じる。

書いた本人が、閉じる。

それが、できるうちに、する。

エピローグ

母の手紙を、箱に、戻した。

三百六十通。

抜けたままの、字だ。

閉じない字を、そのまま、持つ。

持って、ときどき、開く。

開いて、抜けたところを、見る。

見て、閉じない。

閉じないと、母の字は、読めない。

読めない母を、持っている。

読めた母は、こちらの字だった。

こちらの字の母と、読めない母と、二人いる。

二人とも、持つ。

妹の母も、入れて、三人だ。

三人の母は、一人の母から、出た。

出た先で、別々になった。

別々のまま、置く。

置く箱は、一つだ。

一つの箱に、三人、入っている。

入っている箱を、息子に、渡すつもりは、無い。

息子には、こちらの手紙を、渡す。

抜けた字で、書く。

抜けたところは、電話で、閉じる。

閉じるのは、書いた人がする。

読む人が、しなくていい。

しなくていいと、息子に、言った。

言えたのは、母が、言えなかったからだ。

言えなかった母の字が、箱の中で、抜けたまま、ある。

抜けたままの母を、閉じないで、持つ。

七十で、そう、決めた。

ソウルミッション358

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