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台所の明かり

眠れずにいること

台所の明かり

朗読で聴く

第一章 夜勤

六十八になった。

アメリカの、小さな町に、住んでいる。

四十年、夜勤だった。

製紙工場の、機械の番だ。

夜の十一時から、朝の七時まで。

帰るのは、七時半だ。

帰って、寝る。

昼の一時に、起きる。

起きて、夕方まで、庭をいじり、夕食を食べて、また、工場に行く。

四十年、その順で、生きた。

順を、変えたことは、無い。

五年前に、辞めた。

辞めた夜、初めて、夜に、家にいた。

四十年で、初めてだ。

いて、眠れなかった。

体が、夜に、起きるように、できていた。

できていたものは、五年で、直らなかった。

いまも、夜の十一時に、目が、冴える。

冴えて、朝の五時まで、起きている。

起きている場所は、台所だ。

台所の、天井の明かりを、つける。

つけて、テーブルに、座る。

家の中で、そこだけが、明るい。

ほかは、暗い。

妻は、寝ている。

妻は、四十年、夜に、寝ていた。

こちらが、工場にいるあいだ、家で、寝ていた。

そう、思っていた。

思っていたのは、四十年と、五年だ。

四十五年、間違っていた。

間違いを、去年、知った。

第二章 起きている

夜に起きているのは、こちらだけだと、思っていた。

工場でも、そうだった。

機械の番は、一人だ。

広い建物の中で、こちらの持ち場だけに、明かりが、ある。

明かりの下で、機械を、見ている。

見ているあいだ、町は、寝ている。

妻も、寝ている。

寝ている人の分まで、こちらが、起きている。

そう、思っていた。

思うことが、少し、誇りだった。

誇りというのは、言い過ぎかもしれない。

だが、そういうものが、あった。

夜に、一人で、起きていることの、意味だ。

辞めてから、その意味が、無くなった。

無くなっても、体は、起きる。

起きて、台所に、座る。

座っていることに、意味は、無い。

無いのに、五年、座っている。

座って、時計を見て、戸を見る。

工場で、機械を見ていたのと、同じ目だ。

妻は、こちらが、眠れないのだと、思っている。

医者に、行けと、言う。

行った。

薬を、もらった。

飲んだ。

飲んでも、十一時に、目が、冴えた。

冴えるものは、薬で、どうにもならなかった。

どうにもならないまま、台所に、いる。

台所の明かりの下で、四十年ぶんの、夜を、続けている。

続けている理由が、こちらには、無い。

無いと、思っていた。

第三章 妻

去年の冬、妻が、言った。

私も、四十年、起きていたのよ。

何のこと、と聞いた。

あなたが、工場にいるあいだ。

妻は、茶碗を、洗いながら、言った。

三時に、目が覚めて、台所の明かりをつけて、あなたが帰るまで、座っていた。

こちらは、聞いたことが、無かった。

四十年、聞いたことが、無かった。

帰ると、妻は、寝ていた。

寝ている妻を、四十年、見ていた。

見ていたのは、七時半の、妻だ。

三時の妻を、こちらは、見たことが、無い。

三時に、こちらは、工場にいた。

いるあいだ、家の台所に、明かりが、点いていた。

点いていたことを、知らなかった。

妻は、続けた。

あなたが帰る三十分前に、明かりを消して、布団に入った。

入って、寝たふりを、した。

寝たふりだ。

こちらが、寝室に入る音を、聞いてから、本当に、寝た。

四十年、寝たふりだった。

なぜ、と聞いた。

妻は、言った。

起きて待っていると、あなたが、気にするから。

気にする、と、こちらは、思った。

気にしただろう。

気にして、仕事を、変えたかもしれない。

変えないように、妻は、寝たふりをした。

したことを、四十年、言わなかった。

言わなかった理由を、こちらは、聞かなかった。

聞かなくても、分かった。

言えば、こちらが、借りを、感じる。

感じさせないために、言わなかった。

第四章 反対

夜に起きているのは、こちらだけだと、思っていた。

違った。

三時に、妻が、起きていた。

工場の明かりの下に、こちらがいて、家の台所の明かりの下に、妻がいた。

二つの明かりが、四十年、同じ夜に、点いていた。

点いていたことを、こちらは、片方しか、知らなかった。

知らないので、一人だと、思っていた。

一人で起きていることを、誇りだと、思っていた。

誇りは、間違いだった。

こちらは、一人では、なかった。

一人だったのは、妻のほうだ。

妻は、こちらが、知らないことを、知っていた。

こちらが、一人ではないことを、知っていた。

知っていて、こちらに、知らせなかった。

知らせないまま、四十年、起きていた。

眠れずにいたのは、こちらでは、ない。

妻だ。

こちらは、仕事で、起きていた。

妻は、こちらのために、起きていた。

起きていることを、誰にも、言わずに。

言わないので、妻は、寝ている人だった。

寝ている人が、四十年、起きていた。

辞めてから、こちらが、台所に、座るようになった。

座っている場所は、妻が、四十年、座っていた場所だ。

同じ椅子だ。

妻が、選んで、置いた椅子だ。

同じ椅子に、五年、座って、こちらは、それを、知らなかった。

知らないで、眠れない、と言っていた。

眠れないのは、妻のほうだった。

四十年、眠れなかった人が、隣で、寝ている。

寝ている人を、こちらは、いま、初めて、見ている。

第五章 同じ椅子

妻が、言ってから、台所の椅子の、意味が、変わった。

座ると、妻の四十年が、ある。

あるものの上に、こちらの五年が、ある。

五年は、意味が、無いと思っていた。

無くはなかった。

妻が座っていた場所に、こちらが、座っている。

座って、妻が見ていたものを、見ている。

妻が見ていたのは、時計と、戸だ。

戸が、あくのを、待っていた。

七時半に、あく戸だ。

あく前に、明かりを消して、布団に、入った。

入るまでの四時間、妻は、戸を、見ていた。

見ていた戸を、こちらは、いま、見ている。

あける人は、いない。

いないのに、見ている。

見ていると、妻の四十年が、少し、分かる。

分かっても、返せない。

返せないものを、こちらは、椅子の上で、持っている。

持って、五時まで、座っている。

五時に、明かりを、消す。

消して、寝室に、行く。

行くと、妻が、寝ている。

本当に、寝ている。

四十年、寝たふりをした人が、いまは、本当に、寝ている。

その寝息を、こちらは、聞く。

聞いて、隣に、入る。

入っても、眠れない。

眠れなくて、いい。

妻が、四十年、そうだった。

エピローグ

十一時に、目が、冴えた。

台所に、行った。

明かりをつけて、椅子に、座った。

妻の椅子だ。

座っていると、三時に、妻が、起きてきた。

起きて、こちらの向かいに、座った。

何も、言わなかった。

こちらも、言わなかった。

二人で、明かりの下に、いた。

四十年、別々の明かりの下に、いた二人が、同じ明かりの下に、いた。

初めてだった。

妻は、三十分、いて、寝に行った。

行く前に、言った。

あなたも、そのうち、眠れるわよ。

四十年、眠れなかった人が、言った。

こちらは、うなずいた。

うなずいて、五時まで、座っていた。

座っている椅子が、少し、温かかった。

ソウルミッション358

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