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半分の声

本気を出さなかったこと

半分の声

朗読で聴く

第一章 四十二年

七十一になった。

アメリカの、小さな町の、教会で、歌っている。

聖歌隊だ。

四十二年、いる。

日曜の朝、二列目の、左から三番目に、立つ。

立って、歌う。

歌うが、半分の声で、歌う。

四十二年、半分だ。

全部で歌ったことは、一度も、無い。

声は、ある。

あることを、こちらは、知っている。

十九のとき、いとこの結婚式で、一人で、歌った。

全部の声で、歌った。

歌い終わって、席に戻ると、母が、言った。

みんなが、あなたを、見ていたわよ。

褒めた言葉ではなかった。

母の声は、少し、硬かった。

見られていた、と、こちらは、そのとき、知った。

全部の声を出すと、人が、見る。

見られると、逃げ場が、無い。

その日から、半分にした。

半分なら、誰も、見ない。

聖歌隊に入ったのは、二十九のときだ。

入るときに、半分で、歌った。

半分で、四十二年、通った。

指揮の人は、三人、替わった。

三人とも、何も、言わなかった。

もっと出して、とも、抑えて、とも、言われなかった。

言われないので、半分が、ちょうどよいのだと、思っていた。

思っていたのではない。

思うことにしていた。

第二章 紙

讃美歌の、紙がある。

教会の古い謄写版で、刷ったものだ。

四十二年前から、同じ版で、刷っている。

版が、擦り切れている。

擦り切れているので、字が、薄い。

薄い字を、こちらは、読める。

四十二年、読んでいるので、読める。

新しい人は、読めない。

読めないので、隣の人の口を、見て、歌う。

こちらの口は、半分しか、開かない。

半分の口を、見て、新しい人も、半分で、歌う。

そうやって、半分が、二列目に、広がった。

広げたのは、こちらだ。

紙の字が、薄いのと、同じだ。

薄い版からは、薄いものしか、出てこない。

出てきた紙は、全部、同じ薄さだ。

どこにも、濃いところが、無い。

無い紙を、四十二年、手に持って、歌った。

持ちながら、思っていた。

薄いのは、紙で、こちらでは、ない。

違った。

こちらが、薄かった。

薄いこちらから、薄い声が、出ていた。

出た声は、毎週、同じだ。

同じ薄さで、四十二年、日曜が、続いた。

続いたことを、こちらは、よいことだと、思っていた。

濃く歌えば、続かない。

続かないのは、見られるからだ。

見られると、次の日曜に、来られなくなる。

来られなくなるのが、怖かった。

怖いので、薄く、刷った。

第三章 廊下

教会の廊下は、長い。

両側に、同じ扉が、並んでいる。

日曜の朝、その廊下を、歩いて、聖歌隊の部屋に、行く。

四十二年、通っている。

廊下には、誰もいない。

いないところで、一度、声を、出したことがある。

十年ほど前だ。

誰もいないので、全部の声で、一節、歌った。

歌って、すぐに、やめた。

やめたのは、廊下に、声が、響いたからだ。

響いた声を、誰かが、聞くかもしれない。

聞いた人が、扉を、開けるかもしれない。

開けて、こちらを、見るかもしれない。

見られる前に、やめた。

やめて、半分に、戻した。

戻した声で、部屋に、入った。

部屋の人は、誰も、廊下の声を、聞いていなかった。

聞いていなかったのに、こちらは、その日、いつもより、小さく、歌った。

半分より、小さかった。

小さくしたのは、聞かれたかもしれないからだ。

かもしれない、だけで、小さくなる。

小さくなるこちらを、こちらは、その日、初めて、見た。

怖いのは、負けることでは、ない。

聖歌隊に、勝ち負けは、無い。

怖いのは、全部の声を出しているこちらを、誰かに、見られることだ。

全部を出したこちらは、こちらの、本当だ。

本当を、見られたくなかった。

見られなければ、本当は、無いのと、同じだ。

同じにするために、半分で、歌った。

半分なら、見られても、本当ではない。

本当ではないものを、四十二年、見せていた。

第四章 孫

娘の子が、十六になった。

同じ教会で、歌っている。

先月、一人で、歌った。

聖歌隊の前に立って、全部の声で、歌った。

こちらは、二列目の、左から三番目で、聞いていた。

教会の全部の人が、孫を、見ていた。

見られている孫は、目を、下げなかった。

下げないまま、歌い終えた。

終えて、席に、戻った。

戻る顔を、こちらは、見た。

怖がっていなかった。

見られたことを、怖がっていなかった。

十九のこちらは、怖がった。

怖がったのは、母の声が、硬かったからだと、思っていた。

違うかもしれない。

母が何も言わなくても、こちらは、怖がった。

見られた自分が、本当だったことが、怖かった。

本当を、隠す場所が、無かった。

孫は、隠さない。

隠さないで、席に、戻った。

戻った孫に、娘が、何か、言った。

こちらには、聞こえなかった。

聞こえなかったが、孫は、笑った。

笑う孫を、こちらは、半分の声の場所から、見ていた。

場所から、動けなかった。

動くと、見られる。

七十一になっても、まだ、それが、怖い。

第五章 二列目

二列目の、左から三番目。

四十二年、同じ場所だ。

同じ場所に立つと、誰も、こちらを、見ない。

見ないように、こちらが、場所を、選んだ。

真ん中でも、端でも、ない。

前でも、後ろでも、ない。

目の行かない場所を、二十九のときに、選んだ。

選んで、四十二年、立っている。

立っている間に、隣の人が、何人も、替わった。

替わった人は、みな、こちらより、大きな声で、歌った。

大きな声で歌う人は、二年か、三年で、前の列に、移った。

移らなかったのは、こちらだけだ。

移らないことを、こちらは、控えめだと、思っていた。

控えめではなかった。

隠れていた。

隠れる場所に、四十二年、いた。

いることを、誰も、責めなかった。

責められない場所を、選んだからだ。

選んだ場所で、薄い紙を、持って、薄い声で、歌った。

紙も、声も、場所も、薄い。

薄いので、誰の目にも、止まらない。

薄いものだけで、四十二年を、作った。

作ったものを、いま、見ている。

見ると、どこにも、濃いところが、無い。

無いのが、こちらの、四十二年だ。

孫の四十二年は、違うものになる。

違うものを、こちらは、見られるかどうか、分からない。

分からないが、来週も、二列目に、立つ。

エピローグ

日曜の朝、廊下を、通った。

誰も、いなかった。

いない廊下で、一節、歌った。

全部の声で、歌った。

声が、響いた。

響いた声を、やめなかった。

十年前は、ここで、やめた。

一節を、終わりまで、歌った。

扉は、どれも、動かなかった。

誰も、来なかった。

来なかったが、こちらは、聞いていた。

こちらが、こちらの、全部の声を、聞いた。

終わりまで歌ったのは、五十二年ぶりだ。

聞いて、部屋に、入った。

二列目の、左から三番目に、立った。

紙を、持った。

薄い字を、読んだ。

最初の一節を、全部の声で、歌った。

隣の人が、こちらを、見た。

見られた。

見られたまま、一節を、終えた。

二つ目の節からは、半分に、戻した。

戻せることを、知った。

知ったので、来週は、二節、歌う。

ソウルミッション358

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