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手帳

間を埋めていること

手帳

朗読で聴く

第一章 一時間

七十三になった。

アメリカの、小さな町に、住んでいる。

妻は、五年前に、死んだ。

娘が、隣の州にいる。

手帳を、持っている。

一日が、一時間ずつの、枠に切ってある。

朝の七時から、夜の九時まで、十四の枠がある。

十四の枠を、全部、埋める。

教会の集まり、集会所の当番、隣の家の芝刈り、昔の同僚との、コーヒー。

空いた枠が、あると、電話をかける。

誰かに、何か、手伝うことは無いかと、聞く。

聞くと、たいてい、ある。

あるので、枠が、埋まる。

埋まった手帳を、夜、見る。

見て、寝る。

十年、そうしている。

仕事をしていたころは、手帳は、仕事で、埋まっていた。

辞めた年に、白い枠が、増えた。

増えた白を、その年のうちに、全部、埋めた。

埋めるのに、半年、かかった。

妻が生きているころも、そうだった。

妻は、何も言わなかった。

言わずに、こちらの手帳の横に、自分の手帳を、置いていた。

妻の手帳は、白い日が、多かった。

白い日に、妻は、窓の横の椅子に、座っていた。

座って、何もしていなかった。

何もしていない妻を、こちらは、忙しい人だと、思わなかった。

思わなかったが、その椅子に、こちらは、一度も、座らなかった。

娘が、電話で、言った。

お父さん、何もしない日を、一日、作って。

作れない、と答えた。

答えたあとで、なぜ作れないのかを、考えた。

考えて、分からなかった。

第二章 白

作ってみた。

手帳の、一日を、白のままにした。

朝、起きて、手帳を見た。

白だった。

白を見ていると、胸が、詰まった。

詰まるので、コーヒーを、いれた。

いれて、飲んだ。

飲み終わると、また、白だった。

白の中に、何かが、見える気がした。

見えるものが、何かは、分からなかった。

分からないので、隣の家に、行った。

芝を、刈った。

刈っているあいだは、白が、見えなかった。

見えないことに、ほっとした。

ほっとした自分に、気づいた。

気づいて、家に戻った。

戻ると、白があった。

その日は、結局、三つの枠を、埋めた。

埋めなかった十一の枠を、夜、見た。

十一の白を見て、思った。

白に見えたのは、何も無いことだ。

誰も、こちらを、必要としていない時間。

誰にも、呼ばれていない時間。

その時間が、白い。

白いのが、怖かった。

怖いので、十年、埋めた。

埋めると、誰かが、こちらを、必要としている。

必要とされていれば、白は、見えない。

そう思った。

思ったが、それだけでは、なかった。

第三章 廊下

集会所の当番の日、少し、早く着いた。

誰も、まだ、来ていなかった。

廊下に、立った。

長い廊下で、両側に、同じ扉が、並んでいる。

右に、五つ。

左に、五つ。

全部、閉まっている。

真ん中に立つと、右と左が、同じに見える。

同じ扉が、同じ間隔で、こちらを、囲んでいる。

扉の向こうに、何があるかは、知っている。

椅子と、卓と、古い旗だ。

知っているものしか、無い。

どの扉も、開けろとは、言わない。

言わない扉に、囲まれて、こちらは、立っていた。

立っていると、白が、見えた。

廊下の白は、手帳の白より、大きかった。

大きい白の中で、こちらは、何もしていなかった。

何もしていないこちらを、誰も、見ていなかった。

見ていないことに、気づいた。

気づいた瞬間、怖くなった。

怖いのは、白ではなかった。

白を見ている自分を、誰にも、見せていないことだった。

十年、手帳を埋めた。

埋めた枠の中で、こちらは、いつも、誰かの前にいた。

誰かの前では、何かをしている。

何かをしているこちらしか、誰も、知らない。

何もしていないこちらを、こちら自身も、知らない。

知らないものが、廊下の真ん中に、立っていた。

扉の一つが、開けられた。

当番の人が、来た。

こちらは、椅子を並べ始めた。

並べているあいだ、白は、消えた。

第四章 妻の椅子

妻の椅子に、座ってみた。

窓の横の、椅子だ。

五年、誰も、座っていなかった。

座ると、窓から、道が見えた。

道には、誰も、いなかった。

妻は、この道を、見ていた。

何もしないで、見ていた。

何もしない妻を、こちらは、見ていたはずだ。

見ていたが、見ていなかった。

妻が、白の中にいることを、こちらは、怖いと思わなかった。

妻は、白の中に、いられた。

いられる人が、こちらの横に、三十年、いた。

三十年、こちらは、その人を、見なかった。

見ると、自分が、いられないことが、分かるからだ。

分かりたくないので、手帳を、埋めた。

埋めた手帳を、妻は、見ていた。

見て、何も、言わなかった。

言わなかったのは、こちらが、埋めずにいられないことを、知っていたからだ。

知っていて、椅子に、座っていた。

座っている妻の白は、こちらの白と、違った。

妻の白は、怖くなかった。

怖くない白が、あることを、こちらは、七十三で、知った。

知ったのは、妻の椅子に、座ったからだ。

五年、座らなかった。

座れば、妻が、そこにいないことが、分かる。

分かることが、怖かった。

怖いので、座らなかった。

座ってみると、妻は、いなかった。

いなかったが、道が、あった。

第五章 誰にも

娘に、電話をした。

何もしない日を、作った、と言った。

娘は、何をしたの、と聞いた。

何もしなかった、と答えた。

答えたあとに、間があった。

間を、埋めなかった。

埋めない間に、娘が、言った。

お父さん、それでいいよ。

それでいい、という言葉を、こちらは、七十三で、初めて、聞いた。

聞いて、分かった。

怖かったのは、白を、誰にも、見せていないことだった。

見せると、何もしていない人間に、なる。

何もしていない人間を、誰かに、見られる。

見られることが、怖かった。

怖いので、見られる前に、埋めた。

埋めているあいだ、誰も、こちらの白を、見ない。

見ないので、こちらは、いつも、何かをしている人だった。

何かをしている人でいるために、十年、電話をかけた。

かけた相手は、こちらを、親切な人だと、思っている。

親切ではなかった。

白を、見られたくなかった。

娘は、電話の向こうで、こちらの白を、見ていた。

見て、それでいい、と言った。

言われた白が、少し、妻の白に、似た。

エピローグ

手帳に、白い日を、作った。

週に、一日。

その日は、妻の椅子に、座る。

座って、道を、見る。

道には、誰も、いない。

いないことが、白だ。

白の中に、こちらが、いる。

いることを、誰も、見ていない。

見ていなくても、いる。

いることが、怖くなくなるまで、座る。

まだ、怖い。

怖いまま、座っている。

座っていると、隣の家の人が、通った。

通って、窓のこちらを、見た。

見て、手を、振った。

こちらも、振った。

何もしていないこちらを、見られた。

見られて、何も、起きなかった。

起きないことを、こちらは、初めて、知った。

隣の家の人は、そのまま、歩いて行った。

行ったあとの道が、また、白かった。

白い道を、怖いと、思わなかった。

思わなかったのは、その日が、初めてだ。

知って、また、道を、見た。

ソウルミッション358

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