あなたの魂のテーマを探す に戻る

看板

明かりを消せないこと

看板

朗読で聴く

第一章 閉めた店

六十六になった。

文房具屋を、五年前に閉めた。

父の代からの店だ。

父が四十年、こちらが二十九年。

合わせて、六十九年、角にあった。

閉めたのは、客が来なくなったからだ。

学校の前の店で、子どもが減った。

減って、いなくなった。

シャッターを下ろした日、看板の明かりを、消した。

消して、その晩、寝られなかった。

次の日、また、つけた。

それから、五年、つけている。

店は、閉まっている。

看板だけが、ついている。

看板には、店の名前がある。

父の名前だ。

名前の下に、文房具、と書いてある。

もう、売っていない。

売っていないものの名前が、毎晩、ついている。

嘘の看板だ。

嘘の看板を、五年、つけている。

看板は、白い板に、黒い字だ。

父が、看板屋に書かせた。

字の一つが、端から、はがれてきている。

文房具の、具の字だ。

はがれたところが、明かりで、透ける。

昼間は、分からない。

夜、つけると、具の字だけ、少し薄い。

薄い字を、直していない。

直すと、看板が、生きていることになる。

生きていない看板を、つけている。

つけているだけで、直さない。

それが、こちらの、線引きだ。

第二章 角

店は、角にある。

道が二本、交わるところだ。

看板は、角の上に、張り出している。

両方の道から、見える。

見える範囲は、五十メートルほどだ。

閉めて半年ほどしたころ、近所の人に、言われた。

あの明かり、消さないでね、と。

どうして、と聞いた。

角が、分かるから、と言われた。

夜、あの道は、暗い。

街灯が、一本、切れたままだ。

看板の明かりで、角の場所が、分かる。

分かるので、曲がりそこねない。

そう言われた。

こちらは、店のためにつけていた。

店は、もう、無い。

無い店のために、つけていた明かりが、通りのためになっていた。

通りのためになっているものは、こちらのものではない。

こちらのものではないものを、こちらが、消すことになる。

消せない。

消せない理由が、自分の外に、できた。

外にできた理由は、自分で、動かせない。

学校は、まだある。

子どもは、三ぶんの一になった。

夕方、その三ぶんの一が、看板の下を通って帰る。

通るとき、こちらの店を、見ない。

見る理由が無い。

閉まっている。

その子たちは、この店があいていたころを、知らない。

知らない子が、あいていたころの看板の下を、帰っていく。

看板は、その子たちには、最初から、明かりだ。

店だったことが、無い。

店だったことを、知っているのは、こちらと、あと数人だ。

数人が、いなくなったら、看板は、ただの明かりになる。

ただの明かりになる前に、消したい気もする。

消したくない気もする。

どちらの気も、つける手には、届いていない。

第三章 父

父は、看板を、大事にした。

年に一度、業者を呼んで、洗わせた。

電球が切れると、その日のうちに替えた。

看板が暗い店は、閉まっていると思われる、と言った。

閉まっていると思われたら、次から来ない。

だから、つける。

父は、店があいている印として、つけていた。

こちらは、閉まっている店に、つけている。

印が、逆になった。

逆になった印を、父は、知らない。

父が生きていたら、消せ、と言うだろう。

嘘の看板だ、と言うだろう。

言われても、こちらは、消さない。

消さない理由は、もう、父にも、店にも、無い。

角を曲がっていく人にある。

曲がっていく人は、父の名前を、読んでいない。

明かりだけを、見ている。

名前は、こちらだけが、読んでいる。

毎晩、つけるとき、読む。

父の名前が、五年、閉まった店の上で、ついている。

父は、あいている印としてつけた。

その印を、こちらは、道しるべにしている。

道しるべには、名前は、要らない。

要らない名前を、つけている。

第四章 電気代

電気代は、月に、四百円ほどだ。

看板の中の蛍光灯が、四本ある。

一本ずつ、切れる。

切れるたびに、替える。

業者は、もう、呼ばない。

自分で、脚立に乗って、替える。

六十六で、角の上の看板に、乗る。

乗っているのを、通りの人が、見上げる。

閉まった店の看板を直している人を、見上げる。

見上げられて、何をしているのか、聞かれたことがある。

電球を替えている、と答えた。

店、やるの、と聞かれた。

やらない、と答えた。

じゃあ、なんで、と、顔に書いてあった。

なんで、に、答えなかった。

答えられなかった。

角のためだ、と言えば、済んだ。

言わなかった。

角のためだ、と言った瞬間に、こちらは、角のために生きている人になる。

それは、本当だが、口に出したくない。

口に出さないでいると、まだ、店のためにつけている人でいられる。

店は無いのに、店の人でいる。

嘘の看板の下で、嘘の店の人をしている。

嘘が二つ重なって、角が、明るい。

娘が、盆に来て、言う。

もう、外しなよ、と。

電気代がもったいない、と。

四百円だ、と答える。

四百円の話じゃない、と言われる。

そのとおりだ。

四百円の話ではない。

何の話かを、娘に、言えない。

言えば、娘は、分かる。

分かった娘に、消させることになる。

こちらが消さないものを、娘が消す。

それは、させたくない。

させたくないので、四百円の話に、しておく。

第五章 消す日

消す日は、決まっている。

街灯が、直った日だ。

役所に、三度、頼んだ。

三度とも、順番があります、と言われた。

順番が来て、街灯が直ったら、看板は、要らなくなる。

要らなくなったら、消す。

消して、看板を、外す。

父の名前を、下ろす。

そう、決めている。

決めているが、四度目を、頼んでいない。

頼めば、順番が、早くなるかもしれない。

早くなったら、消す日が、早くなる。

頼まないでいる。

頼まないことで、消す日を、遠ざけている。

遠ざけているのは、こちらだ。

街灯が直らないことを、こちらが、少し、望んでいる。

望んでいることを、誰にも、言っていない。

角のため、と言いながら、角が暗いままであることを、望んでいる。

それが、この明かりの、いちばん暗いところだ。

エピローグ

今日も、日が落ちて、看板をつけた。

スイッチは、店の中にある。

シャッターの脇の、小さな戸から入って、押す。

押して、外に出て、角から、見上げる。

父の名前が、ついている。

文房具、と、ついている。

嘘が、明るい。

具の字が、少し、薄い。

通りを、自転車が一台、来た。

看板の下で、曲がった。

曲がるとき、少しも、迷わなかった。

迷わないのを、見た。

迷わせないために、ついている。

見て、戸を閉めた。

あの自転車は、父の名前を、読んでいない。

読まれない名前を、明日も、つける。

街灯が直るまで、と、言っている。

直らないように、と、思っている。

二つは、両立しない。

両立しないまま、五年、ついている。

消せない明かりというのは、消したくない明かりのことだ。

それを、五年かけて、認めた。

認めても、消さない。

認めたぶん、明日から、少し、重くなる。

重くなった手で、押す。

ソウルミッション358

あなたの魂のテーマに気づく場所