四つ目の引き出し
置いていかれた物を使っていること

朗読で聴く
第一章 机
五十七になった。
長男は三十七で、東京にいる。
十九年前に家を出た。
大学に入る年で、荷物は段ボール三つだった。
机は、置いていった。
小学校に入るときに買った学習机だ。
上に棚がついていて、引き出しが四つある。
持っていくには大きすぎたし、向こうには要らなかったのだと思う。
置いていく、とは言われなかった。
出ていく朝、玄関で、机どうする、と聞きかけた。
聞かなかった。
急いでいたし、聞くほどのことでもないと思った。
残っていた、というのが近い。
二階の部屋に、そのまま残っていた。
最初の一年は、部屋ごとそのままにしていた。
二年目に、町内会の会計が回ってきた。
帳面を広げる場所が要った。
台所の食卓では、片づけるたびに帳面をしまわないといけない。
しまわなくていい場所を探したら、二階のあの机しかなかった。
それから十七年、あの机で会計をやっている。
会計は二年交代のはずだが、誰も引き受けなくて、こちらが続けている。
続けているので、机も続けて使っている。
夫は、机のことを何も言わない。
二階に上がることが少ないので、目に入らないのだと思う。
一度だけ、椅子の背が低いだろう、と言われた。
学習机の椅子は、大人には低い。
座布団を二枚重ねて座っている。
それで十七年やっている。
椅子を替えればいいのだが、替えると机と合わなくなる。
合わなくなると、机も替えることになる気がする。
それで、座布団のままにしてある。
第二章 三つと一つ
引き出しは四つある。
上の浅いのが一つと、横に深いのが三つ。
浅いのには、こちらの筆記具が入っている。
横の上の二つには、町内会の書類が入っている。
いちばん下の一つは、開けたことがない。
長男の物が、まだ入っている。
入っていることは、知っている。
出ていったあと、一度だけ引いて、中を見て、そのまま閉めた。
見たのは、上のほうだけだ。
ノートと、何かの箱と、紙の束が見えた。
それだけ見て、閉めた。
閉めた理由は、はっきりしない。
見てはいけない気がしたのかもしれない。
あるいは、見ると何かを決めることになる気がしたのかもしれない。
どちらにしても、閉めた。
それから十九年、開けていない。
開けないと決めたわけではない。
開ける機会が、来ないまま十九年たった。
三つの引き出しは、毎週開ける。
四つ目は、開けない。
同じ机で、そういうことが並んでいる。
三つの引き出しは、開け閉めで木が減っている。
四つ目だけ、取っ手が新しいままだ。
同じ日に買った引き出しで、減り方が違う。
減り方の違いは、こちらが作った。
十九年かけて、こちらが作った。
第三章 使っている
人に言うと、たいてい同じことを言われる。
もう自分の机にしていいでしょう、と言われる。
中身は送ってあげればいいのに、とも言われる。
どちらも、その通りだと思う。
思うのだが、そうはしていない。
送るには、開けないといけない。
開けると、中身を分けることになる。
要るものと要らないものを、こちらが決めることになる。
それは、長男が決めることだ。
長男に聞けばいい、というのも分かっている。
電話で、机の下の引き出し、どうする、と聞けばいい。
聞いていない。
聞くと、思い出させることになる。
思い出させると、向こうが何かを決めないといけなくなる。
向こうは、たぶん忘れている。
忘れているものを、こちらが起こすのは、違う気がする。
だから、聞かない。
聞かないので、開けない。
開けないので、机は三つの引き出しで使う。
三つで足りている。
足りているので、四つ目は要らない。
要らないので、そのままにしてある。
そのままにしてあるものが、机の中に一つある。
夫に、この話をしたことがある。
開けてみたら、と言われた。
開けてどうするの、と聞き返した。
夫は少し考えて、そうだな、と言った。
そうだな、で終わった。
終わったので、その話はそれきりになっている。
第四章 まだあるんだ
去年の秋、長男が孫を連れて帰ってきた。
三年ぶりだった。
孫は四つで、家じゅうを走った。
二階に上がって、あの部屋に入った。
こちらも、あとからついていった。
長男は、机の前に立っていた。
まだあるんだ、と言った。
使ってるよ、と答えた。
町内会の会計をここでやってる、と言った。
そう、と言った。
それだけだった。
引き出しのことは、言わなかった。
こちらも言わなかった。
長男は、机の上の棚に手をかけて、少しのあいだ立っていた。
それから、孫を抱えて下に降りた。
言わなかったのは、覚えていないからかもしれない。
覚えていて、言わなかったのかもしれない。
どちらかは、分からない。
分からないまま、その日は終わった。
帰ったあとで、机の前に座った。
いちばん下の引き出しの、取っ手を見た。
引かなかった。
引かない理由が、一つ増えた気がした。
長男が言わなかった、というのが理由に足された。
孫が、下の引き出しに手をかけたことがある。
走り回っているうちに、机のところへ来た。
取っ手を引く前に、長男が抱えて離した。
抱えたのが、引き出しのためだったのかは分からない。
走り回るのを止めただけかもしれない。
それでも、引き出しは開かなかった。
開かなかったのは、こちらのせいではなかった。
第五章 置いていったもの
置いていった、というのは、正しい言い方ではないかもしれない。
長男は、机を置いていこうと思って置いていったわけではない。
持っていけなかったので、残った。
残ったものを、こちらが使いはじめた。
使いはじめたのは、こちらの都合だ。
都合で使いはじめて、十七年たった。
十七年たつと、使っていることのほうが、残っていることより長くなる。
机は、いつのまにか、こちらの物のようになった。
ようになった、というだけで、なったわけではない。
四つ目の引き出しが、そう言っている。
三つはこちらの物で、一つはまだ違う。
その一つがあるので、机は全部がこちらの物にならない。
全部がこちらの物にならないまま、毎週使っている。
不便ではない。
むしろ、三つで足りている。
足りているから、四つ目のことを考えない。
考えないでいると、十九年たつ。
たったことに、去年の秋に気づいた。
長男が、まだあるんだ、と言ったときだ。
エピローグ
今週も、日曜の午後に机に向かった。
町内会費の集金を帳面に写した。
浅い引き出しから鉛筆を出した。
横の上から、去年の帳面を出した。
いちばん下は、開けなかった。
開けない、と決めているわけではない。
今日も、開ける用が無かった。
用が無い日が、十九年続いている。
用ができる日が来るのかどうかは、分からない。
来るとしたら、長男が電話をかけてくるときだ。
机の下の引き出し、どうなってる、と聞いてくるときだ。
聞いてこなければ、来ない。
聞いてこないので、来ていない。
来ていないまま、机を使っている。
人の物が一つ入ったままの机を、こちらの物のようにして、使っている。
使うたびに、四つ目のことを少しだけ思う。
思うだけで、引かない。
引かないので、今週も三つで済んだ。
あなたの魂のテーマに気づく場所