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火曜の椅子

先に死ぬはずだった

火曜の椅子

朗読で聴く

第一章 二十二年

ウォルターは七十四になった。

二十二年、透析に通っている。

週に三回。火曜、木曜、土曜。

朝六時に来て、四時間つないで、昼前に帰る。

二十二年、その形が変わっていない。

最初の一年は、数えていた。

何回目かを、手帳につけていた。

二年目にやめた。

やめたのは、数が意味を持たなくなったからだ。

三千回を超えたあたりで、回数は時間の単位ではなくなる。

単位でなくなったものは、数えても何も出てこない。

それでも手帳は捨てていない。

最初の一年ぶんだけが書いてある手帳が、机の抽斗にある。

医者は最初、五年と言った。

五年というのは、そういう言い方のことだ。

こちらはそれを、期限として受け取った。

受け取って、身辺を整えた。

その五年が四回過ぎた。

整えた身辺は、そのままにしてある。

二十二年前の書き方のまま、封筒に入っている。

書き直す機会は、何度もあった。

書き直さなかったのは、直すと期限を延ばすことになる気がしたからだ。

根拠は無い。無いが、そう感じた。

感じたことに従って二十二年やってきた。

第二章 同じ列

待合の椅子は、壁に沿って並んでいる。

左右に六脚ずつ、十二脚ある。

どこに座ってもいいことになっている。

なっているが、みんな同じところに座る。

こちらは、左の列の、入口から三つ目だ。

二十二年、そこに座っている。

向かい合わせに、右の列がある。

右の列の、入口から三つ目にいたのがドリスだった。

同じ火曜、木曜、土曜。同じ時刻。

二十年、同じ二脚に、向かい合って座っていた。

向かい合っているので、顔は毎回見ている。

二十年ぶんの顔の変わり方を、こちらは知っている。

向こうもこちらの変わり方を知っていたはずだ。

鏡より正確に知っている人が、この町に一人いた。

話す日と、話さない日があった。

話さない日のほうが多かった。

天気の話をした。あとは道路工事の話だ。

病気の話はしなかった。

しないのは、決めたからではない。

この待合で病気の話をすると、どちらかが数字を言うことになる。

数字を言うと、比べることになる。

比べるのは、どちらにとっても得がない。

軽いほうは黙ることになるし、重いほうは慰められることになる。

どちらの役もやりたくない。

だから天気と道路工事だった。

道路工事の話は、二十年、途切れなかった。

この町では、どこかが必ず掘り返してある。

第三章 軽いほう

それでも、数字は入ってくる。

看護師が名前を呼ぶ順番でも分かる。

処置室のどのベッドに入るかでも分かる。

ドリスは、こちらより軽かった。

通いはじめたのが六年遅い。

薬の数も少なかった。

夏に一度、二人で階段を使った日がある。

エレベーターが点検で止まっていた。

二階までの階段を、ドリスは止まらずに上がった。

こちらは踊り場で一度止まった。

止まった場所で、ドリスが待っていた。

待っている顔に、何も出ていなかった。

何も出ていないのが、いちばんこたえた。

気を遣われるより、こたえた。

気を遣われれば、こちらにも返し方がある。

何も出ていない顔には、返すものが無い。

あの日から、順番はこちらが先だと思っていた。

思っていたというより、そこは動かない前提だった。

前提というのは、口に出さないもののことだ。

口に出すと、確かめる話になる。

確かめると、そうでない場合が出てくる。

出てこないうちは、前提のままでいられる。

第四章 三月の火曜

三月の火曜に、右の列の三つ目が空いていた。

空いていること自体は、たまにある。

風邪や、家の用事で休む人がいる。

木曜も空いていた。

土曜も空いていた。

三回続くと、看護師に聞くことになる。

聞かなかった。

聞かなかったのは、答えが一つしかない気がしたからだ。

次の火曜に、看護師のほうから言った。

言い方は静かで、短かった。

心臓だったと言われた。

腎臓ではない。

腎臓のほうが、こちらとドリスをつないでいたものだ。

つないでいないほうから来た。

こちらの二十二年は、そこには何も関係していなかった。

その日は、いつもどおり四時間つないだ。

終わって、着替えて、家に帰った。

帰ってから、椅子のことを考えた。

葬儀には行かなかった。

場所も日にちも聞かなかった。

聞けば行ったと思う。聞かなかったのは、聞き方が分からなかったからだ。

待合で二十年向かい合っていた人を、何と呼べばいいのかを知らない。

友人ではない。知り合いというのも違う。

名前を呼ぶのに、資格が要る気がした。

名前は知っていた。呼んだことは、たぶん十回もない。

呼ばなくても話は通じる。二人しかいない列だからだ。

通じていたので、呼ばなかった。

いま呼ぶ相手がいなくなって、呼ばなかったことだけが残った。

第五章 空いた椅子

三月から、右の列の三つ目には、いろんな人が座る。

新しく通いはじめた人が、そこを選ぶこともある。

選ばれても、こちらは何も言わない。

言うことではない。

ただ、こちらは座り方を変えた。

いままでは、真正面を向いて座っていた。

いまは、少し左を向いて座る。

左を向くと、正面が視野の端になる。

端に入るものは、誰が座っていても同じに見える。

同じに見えるようにしたのだと思う。

思うが、決めてやったわけではない。

気づいたのは、二か月たってからだ。

二十二年、まっすぐ座っていた体が、勝手に角度を変えた。

変えたのは、こちらではない。

体は、こういうことを勝手に決める。

決めてから、しばらくして本人に知らせる。

知らせが来たときには、もう変わったあとだ。

エピローグ

今日は火曜だ。

六時に来て、左の列の三つ目に座った。

正面には、六十くらいの男が座っている。

三週間前から来ている人だ。

その人は、まっすぐ座っている。

まっすぐ座っているのを、視野の端で見ている。

こちらは、あと何年かは通うのだと思う。

医者は、いまは年数を言わない。

言わなくなったのは十年前からだ。

言わなくなってからのほうが、長い。

期限が無くなると、順番の話ができなくなる。

できなくなったところに、ドリスが先に行った。

こちらの二十二年は、ドリスの六年より重い。

重いほうが先に終わる、という決まりは、どこにも無い。

無いことは知っていた。知っていて、あてにしていた。

行かれてみると、順番というのは約束ではなかったと分かる。

約束ではないものを、二十年、前提にしていた。

前提にしていたことを、いまも前提にしている。

やめ方が、分からない。

次の火曜も、六時に来る。

左の列の、入口から三つ目に座る。

少し左を向いて座る。

それだけのことを、あと何年か続ける。

続けているあいだは、順番の話をしないで済む。

右の列の三つ目の人は、たぶん何も知らない。

知らないほうがいい。

二十年ぶんのことを、あの椅子は覚えていない。

覚えているのは、こちらの座り方の角度だけだ。

ソウルミッション358

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