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宛名が、自分ではない

謝られたこと

宛名が、自分ではない

朗読で聴く

第一章 関係者各位

カーソンは六十三になった。

九歳から十四歳まで、教会が運営する寄宿学校にいた。

そこであったことを、五十年近く、人に話していない。

何があったかを、ここでは書かない。

書かなくても、この話は成り立つ。

成り立ってしまうことが、この話の中身でもある。

五十年、人に話していないと書いたが、正確ではない。

話していないのではなく、話す形が見つからなかった。

形が無いものは、口に出すと違うものになる。

違うものになると、聞いた人はそれに反応する。

違うものへの反応が返ってくると、こちらはさらに黙る。

その往復を何度かやって、話すのをやめた。

妻には結婚してから一度だけ話した。

一度話して、それきりにした。

妻は詳しく聞かなかった。

聞かなかったのは、こちらの言い方でそう伝わったからだと思う。

三十年、その話は二人のあいだで一度も出ていない。

出さないでいられるのは、妻が上手いからだ。

去年の春に、その組織が謝罪を出した。

新聞に載った。地元の局でも流れた。

文書は郵送でも来た。

封を開けて、最初に見たのは宛名だった。

関係者各位、と書いてあった。

自分の名前は、どこにも無い。

中の文は、よく書けていた。

弁護士が何度も直した文だと分かる書き方だった。

直した跡が見えるのは、悪いことではない。

いい加減に書かれたものよりは、ずっといい。

だからよけいに、宛名のところで止まった。

中身が正確なぶん、宛名の空白がはっきり見える。

何が起きたかも、はっきり書いてあった。

ぼかしてはいない。

ぼかしていないのに、こちらの名前だけが無い。

二度読んだ。

二度目に読んだとき、自分がどこにいるのかを探していた。

文の中に、こちらの位置が無い。

起きたことは書いてあるのに、起きた相手が書いていない。

第二章 名簿

名簿は残っているはずだ。

寄宿していた年と、部屋の番号と、退所した日まで書いた紙を、あの組織は持っている。

補償の話が出たとき、向こうから住所の確認が来た。

だから、こちらがどこにいるかも知っている。

知っていて、宛名は関係者各位だった。

なぜそうしたのかは、たぶん分かる。

一人ずつ名前を書けば、一人ずつ違う文になる。

違う文を五百通り書くことは、組織にはできない。

できないから、まとめた。

まとめる判断をした人が、悪意で決めたとは思わない。

会議で決まったことだろうと思う。

会議で決まったことに、宛名は付かない。

付けようとすると、誰が付けるのかという話になる。

誰も、自分の名前で謝りたくはない。

それは、こちらにも覚えがある。

人に謝ったとき、こちらも自分の名前を薄くして言った。

まとめるのは、間違ってはいない。

間違ってはいないが、受け取るほうは一人だ。

五百人にまとめて謝ることはできる。

五百人にまとめて謝られることは、できない。

謝罪は、受け取るときに一人ずつに分かれる。

分かれたときに、宛名が無い。

第三章 郵便受け

その日から、カーソンは毎朝、郵便受けを開けている。

前から開けていたが、開け方が変わった。

名前を先に見る。

差出人ではなく、宛名を先に見る。

自分の名前が印字されているかどうかを、まず見る。

一年たつ。

自分の名前で来たものは、請求書と、車の保険と、病院の予約票だけだった。

どれも、こちらが払う側のものだ。

払う側の書類には、必ず名前が入っている。

入っていないと、処理ができないからだ。

謝罪は、処理ができなくても出せる。

出せるものは、たいてい先に出る。

謝る側から、名前入りで来たものは無い。

妻は、何を待ってるの、と一度聞いた。

別に、と答えた。

答えてから、自分でも何を待っているのか分からないと気づいた。

待っているのは手紙ではないのだと思う。

手紙が来ても、たぶん同じことを考える。

それでも毎朝、名前を先に見る。

第四章 受け取れた人

同じ学校にいた男が、隣の州にいる。

年に一度、電話で話す。

去年の秋の電話で、その人は、これで区切りがついた、と言った。

声は落ち着いていた。

嘘ではないと分かった。

その人は受け取れた。

カーソンは、よかったな、と言った。

言いながら、こちらは受け取れていないと思っていた。

同じ文書を、同じ日に受け取って、片方は区切りがつき、片方はつかない。

文書の側に違いは無い。

違いは、こちらの側にある。

受け取れない自分は、狭いのだと思う。

思うが、狭さを直す方法が分からない。

広くなれば受け取れるのなら、広くなりたい。

広くなるというのが、どういうことなのかが分からない。

電話のあと、しばらく台所に立っていた。

その人と自分の違いを、いくつか数えてみた。

在籍した年も、部屋も、ほとんど同じだった。

数えても、違いは出てこなかった。

出てこないので、違いは中にあることになる。

中にあるものは、外からは直せない。

外から来るもので直るのなら、去年の春に直っていた。

直らなかったので、外から来るものでは直らないと分かった。

第五章 書類

今年の春に、補償の申請書が届いた。

封筒に、名前が印字されていた。

カーソンのフルネームだった。綴りも合っていた。

中の書類にも、上のほうに同じ名前が入っていた。

生年月日と、在籍した年と、部屋の番号も入っていた。

全部合っていた。

あの組織は、こちらのことを正確に知っている。

知っていて、謝罪の宛名は関係者各位だった。

名前が載っていたのは、支払いのほうだった。

その書類を、カーソンは机に置いて、しばらく見ていた。

書き方は分かる。難しい書類ではない。

まだ出していない。

出さない理由を、うまく言えない。

お金が要らないわけではない。

要る。屋根の修理が二年遅れている。

要るのに、出していない。

出すと、名前の入った書類のほうを受け取ったことになる気がする。

順番が逆なら、出していたと思う。

名前入りで謝られて、そのあとに書類が来ていたら、書いて出した。

順番だけの話だと、自分でも分かっている。

分かっていても、順番は変えられない。

エピローグ

今朝も郵便受けを開けた。

電気の請求書と、広告が二枚だった。

どちらもカーソンの名前が入っている。

名前を入れるのは、そんなに難しいことではない。

難しいのは、名前を入れて謝ることのほうだ。

名前を入れると、その人にした、ということになる。

組織がいちばん避けたいのは、たぶんそこだ。

避けたい気持ちも、分からなくはない。

分かるが、こちらは一人で受け取っている。

一人で受け取ったものに、一人ぶんの宛名が無い。

それだけのことを、一年、毎朝確かめている。

確かめても、何も変わらない。

変わらないことを確かめるために、開けている。

いつまで開けるのかは、決めていない。

決めると、そこで終わりにすることになる。

終わりにできる人は、去年の秋に終わりにした。

できない人は、毎朝、郵便受けの前に立っている。

立っているだけで、何もしていない。

何もしていないが、やめてもいない。

ソウルミッション358

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