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4_第二木曜の席

保証人にされ七百万円を返した男が、まだ生きている幼なじみと毎月第二木曜に喫茶店で会い、その話をしない。友が謝りかけると話を変える。伝えない。赦しは完了しているのに、身体と手のほうがまだ続けている。痛みは減らず、減るのは期待だけ。

4_第二木曜の席

朗読で聴く

第一章 喫茶店

毎月、第二木曜の午後二時に、商店街の喫茶店へ行く。

わたしは七十になる。

製材所に、四十四年、勤めていた。

杉の香りの染みた作業着を脱いでから、十年が、たった。

喫茶店は、商店街の、いちばん奥にある。

扉は、重い木で、押すと、ちりん、と、鈴が鳴る。

店のなかは、いつも、薄暗い。

窓際の、奥から二つ目の席が、わたしの席だ。

そのとなりの席に、もう、先に、友が座っている。

幼なじみの、征三だ。

七十二になる。

わたしが、座ると、征三は、顔を上げて、「おう」と言う。

わたしも、「おう」と言う。

それから、二人で、コーヒーを、頼む。

話すことは、たいしてない。

天気、膝、孫の話、市の広報に載っていた、水道工事の予定。

一時間と少しで、わたしが、先に立つ。

勘定は、半分ずつ。

この卓の、わたしの手の置き場の、すぐ脇に、小さな焦げ跡がある。

煙草の、火の、跡だ。

丸くて、茶色くて、十円玉ほどの、大きさ。

わたしは、征三と話しながら、そこに、右手の人差し指を、置いている。

十五年、毎月、そうしている。

指の腹で、焦げ跡の、浅い窪みを、なぞる。

なぞらないと、落ち着かない。

その話を、この店で、征三と、したことは、一度も、ない。

第二章 保証

征三が、小さな材木屋を、はじめたのは、四十のときだった。

わたしは、まだ、製材所の、勤めだった。

ある冬、征三が、うちに来て、頭を、下げた。

仕入れの金が、足りない、と。

銀行から借りるのに、保証人が、いる、と。

「お前しか、おらん」と、征三は言った。

わたしは、断れなかった。

幼いころから、川で、泳ぎを教えてくれたのは、征三だった。

妻には、「三年で、終わる話だから」と、言った。

三年は、終わらなかった。

材木の値が、下がった。

征三の店は、二年めの夏に、潰れた。

銀行は、保証人のわたしのところへ、来た。

七百万円、だった。

わたしは、それを、十年かけて、返した。

妻は、パートに出て、わたしは、休日にも、出荷の手伝いに行った。

子どもの進学を、一年、遅らせた。

返し終えた日、わたしは、妻と、二人で、茶の間に座って、しばらく、黙っていた。

妻は、わたしが、五十五のときに、病気で、死んだ。

その年、征三が、うちに、焼香に、来た。

玄関で、深く、頭を下げた。

「すまんかった」

わたしは、「ああ」と、だけ言った。

それ以上は、お互い、何も、言わなかった。

それから、毎月第二木曜の約束が、はじまった。

どちらが、言い出したのかは、覚えていない。

第三章 降水確率

征三は、新聞の天気欄を、きちんと、切り抜いている。

降水確率を、朝と夕に、読み比べて、手帳に書く。

「今月は、外れが、四回だった」と、よく言う。

「六十パーセントで、降らなかった日が、二日。十パーセントで、降った日が、二日」

わたしは、「そうか」と、答える。

征三は、それを、真剣に、数えている。

わたしの数えているのは、征三と会った月の、数だ。

百八十ほど、になる。

十五年を、月に一度ずつ、数えれば、そうなる。

同じ卓に、向かい合って、二人は、まったく、別のものを数えていた。

征三は、空の、当たり外れを。

わたしは、自分が、来た月を。

征三は、わたしが、いつも、時間通りに、来ることを、律儀だと、言う。

その言葉は、半分だけ、本当だ。

第四章 おしぼり

去年の十月に、征三が、卓で、言いかけた。

コーヒーが、運ばれてきたあとだった。

征三は、カップを、置いて、手を、膝に、のせた。

「なあ、あのときの、ことだがな」

わたしは、何も、言わなかった。

「あれは、ほんとうに」

わたしは、カップを、持ち上げた。

「そういえば、今朝の新聞、見たか。柿が、豊作だと書いてあったぞ」

征三は、口を、開けたまま、止まった。

それから、閉じた。

「そうか」と、言った。

「うちの庭の、渋柿も、よく、なってな」

その日の話は、柿で、終わった。

わたしが、席を立つとき、店の女の人が、おしぼりを、片づけに、来た。

征三の、娘さんだった。

四十すぎの、背の高い人で、父親の店が潰れたあと、この喫茶店で、働きはじめたと、聞いている。

わたしの、卓を、拭きながら、その人は、小さな声で、言った。

「父は、第二木曜だけ、あなたの席を、先に、拭くんです」

悪気は、なかった。見たままを、言った。

「いつも、自分で、台布巾を、持ってきて。何も、言わずに。三十分も、前から、来て」

わたしは、「そうですか」と、答えた。

娘さんは、それ以上、何も、言わなかった。

卓には、焦げ跡が、あった。

わたしは、その上に、手を、置いた。

誰かが、拭いた、あとの、湿り気が、残っていた。

第五章 言わせない

その夜、わたしは、考えた。

征三は、詫びようとしていた。

わたしは、それを、止めた。

止めた理由は、二つある。

一つめ。詫びを、受けて、「いいんだ」と言えば、そこに、上と下が、できる。

赦す側と、赦される側だ。

十五年かけて、やっと、平らにしてきた卓を、一言で、傾けることになる。

征三は、残りの何年かを、赦された男として、過ごすことになる。

それは、わたしが、渡したいものでは、なかった。

二つめのほうが、たぶん、本当の理由だ。

言わせてしまったら、十五年が、片づいてしまう。

わたしは、もう、征三を、赦している。

それは、何年も前に、済んでいる。

恨んでもいないし、悪く言ったことも、ない。

赦したのだから、卓の焦げ跡を、なぞる指も、そのうち、止まるだろうと、思っていた。

赦せば、痛みも、終わるのだと。

でも、そうではなかった。

赦したのに、まだ痛い。

痛みは、征三に向いていない。

七百万円の、紙の束を、妻と二人で、毎月、数えていた、あの茶の間に、ある。

征三は、生きている。

詫びを、受け取ることは、できる。

けれど、返してもらうものは、もう、何も、ない。

返してもらうのを、やめたのが、赦すということだった。

それで、痛みは、減らなかった。

減ったのは、征三が、いつか、全部を、元に戻してくれるかもしれない、という、期待のほうだけだ。

受け取ったら、「解決した話」に、なる。

解決した話は、しまわれる。

しまわれたら、あの十年は、誰の手もとにも、残らない。

赦した。けれど、無かったことには、しない。

その二つを、同時に、持つ方法が、わたしには、一つしかなかった。

毎月、第二木曜に、行って、その話を、しないことだ。

だから、来月も、行く。

指は、また、同じところを、なぞる。

エピローグ

十一月の、第二木曜。午後二時。

扉を、押す。ちりん、と、鈴が、鳴る。

窓際の、奥から二つ目の席に、征三が、もう、座っている。

卓は、拭いてあった。

「おう」

「おう」

わたしは、焦げ跡の上に、人差し指を、置いた。

娘さんが、コーヒーを、二つ、運んできた。

湯気の向こうで、征三が、新聞の切り抜きを、卓に、広げた。

「来週は、六十パーセントだと」と、言った。

わたしは、「傘を、持っていくか」と、答えて、カップを、持ち上げた。

ソウルミッション358

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