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4_日曜の手紙

息子に、もう要らないと言われても十五年、毎週日曜に手紙を書いてきた父に、窓口の青年は、毎週出す人はほとんどいない、負担にならないといいですねと告げた。それでも書く。必要でないことを、やり続ける。名前をつけたら別のものになるので、名前をつけない。

4_日曜の手紙

朗読で聴く

第一章 一枚

山あいの町の、小さな家で、毎週、日曜の朝に、手紙を書いている。

町の真ん中を、細い川が、流れている。

朝の川面には、薄い霧が、のっている。

遠くの山の頂は、もう、白い。

わたしは六十六になる。

宛先は、遠い町に住む、息子だ。

名前を、書くたびに、わたしの手は、少しだけ、ゆっくりになる。

息子は、四十一になる。

家を出たのは、十九のときだ。

汽車の窓から、手を、振らなかった。

振らないところが、わたしに、よく似ていた。

ここから、汽車を、二つ、乗り継いで、半日かかる。

便せんは、一枚。

短い手紙だ。

庭の様子。天気。台所の、小さな出来事。

体の調子は、書かない。

膝の痛みも、書かない。

夜中に、目が覚めることも、書かない。

心配は、書かない。

書いて、いいことだけを、書く。

万年筆は、父の形見だ。

軸の黒い塗りが、指の当たるところだけ、白くなっている。

インクは、青黒い。

便せんを、机に、置く。

右手の小指の側を、紙の端に、そっと、のせる。

最初の一字を、書くまでに、少し、時間を、かける。

窓の外を、見る。

庭の隅の、柿の木は、もう、葉を、落とした。

赤い実が、二つだけ、枝に、残っている。

今日の、庭を、頭の中で、一度、歩く。

それから、書きはじめる。

一行、書くごとに、万年筆の先を、紙から、離して、息を、一つ、はく。

一枚、書き終えるのに、三十分かかる。

書き終えたら、封筒に、入れる。

封をして、宛名を書く。

それを、午前のうちに、町の郵便の窓口へ、持っていく。

十五年、毎週、そうしてきた。

家を出た息子から、はじめて、短い、葉書が届いた日の、翌週からだ。

葉書には、一行だけ、書いてあった。

「元気です」

第二章 小指の側

体は、万年筆に、合わせて、できた。

右手の小指の側が、いつも、うっすら、青黒い。

インクが、手の側面に、つくからだ。

石鹸で、洗っても、少し、残る。

妻には、「いつも、手が、汚れてるね」と、笑われる。

妻は、わたしの手を、取って、ぬるい湯で、洗ってくれる日もある。

わたしは、「手紙を、書くから」と、答える。

うそではない。

けれど、その手紙が、息子に、必要とされていないとは、言わない。

目は、紙の罫に、合わせて、できた。

便せんの罫線を、外さずに、書く。

これは、意外と、難しい。

字が、右に、上がる日も、ある。

疲れた日の字は、少し、小さい。

元気な日の字は、少し、大きい。

息子は、その字の大きさに、気づいているのだろうか。

わからない。

手紙の、返事は、来ない。

返事は、来ないことに、なっている。

はじめのころは、来た。

息子は、一年に、一通くらい、短く、返してくれた。

三年目に、息子が、言った。

「もう、手紙は、要らないよ」

電話の、向こうで、言った。

「連絡なら、すぐ届く方法が、あるから」

その声は、やさしかった。

やさしいから、わたしは、断れなかった。

やさしい声を、断るのは、難しい。

断ったあとに、何が残るのか、わからないからだ。

断れずに、書き続けて、十二年が過ぎた。

第三章 妻が数えているもの

妻は、庭の花の数を、数えている。

朝、縁側に出て、咲いた花を、一つずつ、指さす。

「今朝は、十二輪」と、言う。

翌日は、「今朝は、十五輪」と、言う。

わたしは、「いいね」と、答える。

本心だ。

妻は、庭が、好きなのだ。

花の名前を、一つずつ、覚えている。

わたしは、半分も、覚えていない。

わたしは、何も、数えていない。

手紙を、何通、書いたかは、数えたことがない。

十五年で、七百八十通ほどだろうか。いま、初めて、計算した。

七百八十通書いて、何かが、よくなったかというと、何も、よくなっていない。

息子は、一通も、数えていないだろう。

同じ家に住む、夫婦が、まったく別のものを、数えていた。

妻の花は、毎日、咲いて、毎日、数字になる。

わたしの手紙は、遠い町で、封を切られる、かどうかも、わからない。

一度、妻に、言われたことがある。

「もう、いいんじゃないの。無理に、書かなくても」

わたしは、「そうだな」と、答えた。

反論しなかった。反論する材料が、なかった。

第四章 窓口の青年

先月、町の、郵便の窓口で、順番を、待っていた。

窓口の青年が、わたしの顔を、見て、言った。

「毎週、日曜に、お出しになる方は、ほとんど、いませんよ」

わたしは、「そうですか」と、答えた。

青年は、封筒を、受け取りながら、続けた。

悪気は、なかった。

事実を、言っただけだ。

「いま、手紙を、出す方は、少なくなりました。みなさん、もっと、早く届く方法を、使われます」

青年は、封筒に、消印を、押した。

小さな、重い、音がした。

わたしは、その音を、聞くのが、好きだ。

「宛先の方も、きっと、お忙しいでしょうから」

わたしは、頷いた。

「お忙しいでしょうから、負担に、ならないと、いいですね」

青年は、そう言って、微笑んだ。

わたしは、その言葉を、持って、窓口を、離れた。

負担に、ならないと、いい。

その言葉が、胸に、刺さった。

息子にとって、わたしの手紙は、負担かも、しれない。

「もう、要らない」と、言った声が、よみがえった。

わたしは、通りに、出て、しばらく、立っていた。

通りの角の、パン屋から、焼きたての匂いが、流れてきた。

息子が、子どものころ、好きだった、匂いだった。

空は、高く、澄んでいた。

第五章 要らない

その夜、わたしは、書斎の机に、座った。

書斎といっても、廊下の突き当たりの、小さな机だ。

机の足は、一本だけ、紙を、折って、挟んである。

便せんを、一枚、置いた。

万年筆の、キャップを、外した。

外したまま、しばらく、動けなかった。

やめるべきなのだと、思った。

息子が、要らないと言っているのだから。

やめるのが、息子への、愛情なのだと、思った。

でも、そうではなかった。

万年筆の先を、紙に、置いた。

「今朝は、庭に、霜が降りた」と、書いた。

それだけで、手が、止まらなくなった。

わたしは、書いた。

庭の霜。妻の花。台所の、湯気。

息子に、読んでほしいと、書いたのではない。

読まれなくても、いい。

その日の庭を、一度、頭の中で、歩く。

その時間が、息子と、わたしを、つなぐ、細い線だった。

要らない。

それでも、わたしは、書き続ける。

それが、愛おしいということなのだと、思う。

この三十分に、わたしは、名前を、つけない。

名前をつけたら、たぶん、別のものに、なる。

書き終えて、封をした。

封筒の、息子の名前の、字は、いつもどおり、少し、右に、上がっていた。

エピローグ

翌日の、日曜の朝も、庭に、霜が降りていた。

わたしは、机に、座った。

便せんを、一枚、置いた。

万年筆の先を、紙に、置いた。

三十分で、書き終えた。

封筒に、入れて、封をした。

妻が、台所から、「行ってらっしゃい」と、言った。

わたしは、封筒を、胸の内ポケットに、入れた。

それから、玄関で、靴を、履いた。

霜の降りた、道を、ゆっくり、郵便の窓口まで、歩いていった。

ソウルミッション358

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