9_ご飯の山
現代、弁当のご飯の山の向きを箸の先で毎回揃えてきた盛り付けの仕事に、新しい管理者は、盛り付けは重量しか見ていないと告げた。山の向きは評価の項目にない。誰も評価しないものを、自分だけが誇る。誰にも認められなくても、見る人がいなければ自分が見る。

朗読で聴く
第一章 向きの揃う弁当
静岡の、国道沿いの、弁当工場で、盛り付けの仕事をしている。
工場の裏には、茶畑が、広がっている。
朝の霧が、畝の間に、たまっている。
遠くに、富士山の、白い頭が、見える日もある。
わたしは三十七になる。
朝の五時に、工場に、入る。
駐車場の、街灯が、まだ、点いている。
同じ時刻に、来る、軽自動車の列が、静かに、並ぶ。
白い作業着と、帽子と、マスクに、着替える。
手を、洗って、消毒して、エアシャワーを、通る。
エアシャワーの風は、冷たい。
目を閉じると、風の音だけが、耳に、残る。
ラインの前に、立つ。
目の前を、白い、使い捨ての容器が、ベルトに乗って、流れてくる。
ベルトは、一定の速さで、動く。
速さは、わたしでは、変えられない。
容器の中には、すでに、ご飯が、入っている。
わたしの仕事は、その上に、おかずを、盛り付けることだ。
唐揚げを、二つ。
衣の色は、薄い、飴色だ。
揚げたては、まだ、湯気が、立っている。
きんぴらを、一つまみ。
一つまみの量は、指が、覚えている。
秤に、乗せなくても、ほぼ、同じ重さになる。
漬物を、一切れ。
決められた順序と、決められた重さで、盛り付ける。
重さは、秤が、測る。
秤は、容器の下に、仕込まれている。
盛り付けが、重すぎると、緑の明かりが、赤に変わる。
容器ごとに、数字が、出る。
その数字が、一定の範囲に、収まっていれば、合格だ。
わたしは、毎回、合格する。
ただ、わたしは、もう一つ、している。
容器の中の、ご飯の山の、向きを、揃える。
ご飯は、機械が、盛る。
機械が盛った、ご飯の山は、少し、傾いている。
傾きは、毎回、微妙に、違う。
機械は、同じように、盛っているつもりだ。
けれど、ご飯の粒の、並びは、毎回、違う。
わたしは、箸の先で、山の頂を、少し、動かす。
山が、容器の、真ん中に、まっすぐ、立つように。
一秒もかからない。
それを、一日に、三千回、する。
三千回、同じ形を、整える。
同じ形は、ひとつも、ない。
八年、毎日、している。
第二章 箸の持ち方
体は、盛り付けに、合わせて、できた。
右の手の、親指と、人差し指の間が、箸の形に、少し、へこんでいる。
肩は、ラインの高さに、合わせて、前に、丸まっている。
帽子の中で、髪が、蒸れる。
マスクの内側で、息が、こもる。
立ちっぱなしの足は、夕方には、むくむ。
家に帰ると、湯に浸けて、揉む。
足の指は、赤く、膨れている。
湯の中で、一本ずつ、ゆっくり、動かす。
家族に、「その足は、何」と聞かれることがある。
わたしは、「立ち仕事だから」と答える。
うそではない。
けれど、ご飯の山のことは、言わない。
弁当工場の仕事は、世の中で、あまり、見られない。
弁当は、コンビニの棚に、並ぶ。
夜遅く、帰る人が、一つ、手に取る。
朝の電車で、立ったまま、食べる人もいる。
買う人は、弁当を、見る。
作った人の手は、見ない。
ご飯の山の向きなど、誰も、気にしない。
弁当の蓋を、開けて、食べる人は、まず、おかずを、見る。
山は、そのあと、箸で、崩される。
崩されるために、山は、まっすぐ、立っている。
第三章 同僚が数えているもの
隣のラインの同僚は、盛り付けの個数を、数えている。
ラインの横に、小さな、電光のカウンターが、ある。
その日の個数が、数字で、出る。
同僚は、休憩のたびに、それを、見る。
「今日は、もう、二千八百個だよ」と言う。
わたしは、「早いね」と答える。
本心だ。
同僚は、よく働く。
わたしは、何も、数えていない。
数えられないのだ。
山の向きを、揃えた回数は、数字にしても、誰にも見せない。
同じ工場で、同じ時間に、働く二人が、まったく別のものを、数えていた。
同僚の二千八百個は、機械が、数えている。
わたしの山は、誰も、数えていない。
同僚は、わたしの箸のことを、知らない。
わたしが、言わなかったからだ。
第四章 管理者
先月、工場に、新しい管理者が、来た。
本社から、異動してきた、三十代の、人だ。
工場の、全員が、ラインの前で、管理者の挨拶を、聞いた。
管理者は、紙を、見ながら、言った。
管理者の声は、少し、高かった。
新しい制服が、まだ、体に、馴染んでいなかった。
「これから、現場の評価は、数値で、行います」
「重量の範囲。盛り付けの個数。異物の混入の件数。この三つです」
わたしは、ラインの前で、それを、聞いていた。
あとで、休憩室で、管理者に、聞いた。
「ご飯の山の、向きは、見ませんか」
管理者は、少し、考えて、答えた。
「盛り付けは、重量しか、見ていません」
悪気は、なかった。
事実を、言っただけだ。
「向きは、重さに、関係ないので、評価の項目には、ありません」
わたしは、「そうですか」と答えた。
管理者は、続けて、言った。
その声は、静かで、丁寧だった。
嫌味の、ひとかけらも、なかった。
「向きを、揃える時間が、あれば、そのぶん、個数を、増やせますが」
わたしは、それには、答えなかった。
測れないものは、無いのと同じ扱いに、なる。
それは、会社が、悪いのではない。
測れるものだけが、評価できる、というだけの話だ。
第五章 誰も、数えない
その夜、わたしは、家で、湯に、足を、浸けた。
足の裏が、じんと、温かくなった。
箸の先で、山を、動かす、あの一秒を、思い出した。
やめる、ことは、できる。
誰も、止めない。
誰も、気づかない。
気づかないから、やめても、何も、起きない。
やめれば、一日に、三千回の、一秒が、浮く。
そのぶん、個数を、増やせる。
評価は、上がる。
わたしは、考えた。
考えているあいだ、足の湯が、少しずつ、冷めていった。
胸のどこかが、きしんでいた。
きしんだということは、誰かに、認めてほしかったのだ。
八年、誰にも見られなくていいと、思ってきた。
誇りというのは、他人に関係のないものだと、思ってきた。
それが、全部、本当では、なかった。
わたしは、それが、少し、恥ずかしかった。
翌朝も、五時に、工場に、入った。
ラインの前に、立った。
容器が、流れてきた。
ご飯の山が、少し、傾いていた。
わたしは、箸の先で、山の頂を、動かした。
山が、まっすぐ、立った。
その瞬間、わたしの肩が、わずかに、下がった。
息が、一つ、長く、出た。
でも、そうではなかった。
評価されないから、やめていいのではなかった。
誰も、評価しない。
誰も、数えない。
それでも、わたしだけは、この山を、誇っている。
誰も見ないなら、わたしが見る。
それは、代わりではない。
順番として、本当は、そちらが先なのだと、思う。
エピローグ
昼になった。
ラインが、一時間、止まった。
わたしは、休憩室で、弁当を、開けた。
自分で、詰めてきた、弁当だ。
ご飯の山が、容器の、真ん中に、まっすぐ、立っていた。
誰にも、見せないつもりで、詰めた。
箸を、持った。
山の、てっぺんから、静かに、崩した。
ひとくち、食べて、茶を、飲んだ。
それから、午後のラインに、戻る前に、もう一度、手を、洗った。
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