5_肩の高さ
女は担げない神輿の祭りで、五十五年、担ぎ手の肩の高さを帳面に書き続けた記録係に、亡き父の肩の高さを帳面で知った息子が礼を言いに来た。羨ましさは消えない。ただ、羨ましさを置く場所が一つできる。

朗読で聴く
第一章 棒に触れない
秋田の山あいの村で、一人暮らしをしている。
わたしは七十三になる。
この村には、八月の終わりに、神社の夏祭りがある。
神輿を、若い男たちが担いで、石段を登る。
わたしは、その祭りの記録係を、五十五年やっている。
生まれたのは、この村だ。
小さいころ、神輿は、わたしの背より、高いところにあった。
担ぎ棒は、わたしの腕の太さの、三倍はあった。
近づいて、手を伸ばしたら、叱られた。
女は、棒に触れてはいけない。
村の、昔からの決まりだった。
誰が決めたのかは、誰も知らない。
ただ、そういうことになっていた。
八つの夏、わたしは、神輿の後ろを、小走りでついていった。
石段の下で、足が止まった。
その先は、行ってはいけない場所だった。
上から、男たちの掛け声が、降ってきた。
わたしは、生まれて初めて、あの肩に乗りたいと思った。
棒を担ぎたい、というのとは、少し違った。
あの重さの中に、混ざりたかった。
十八のとき、青年団の団長に、「帳面なら、つけられるだろう」と言われた。
それで、わたしは、記録係になった。
第二章 揺れる首
祭りの記録は、簡単に言うと、人の名前を書くことだ。
誰が、神輿の前の棒の、右を担ぐか。
誰が、後ろの左か。
交代は、石段のどこで行うか。
それを、一枚の帳面に、並べて書く。
祭りの前の夜、担ぎ手の家を、一軒ずつ回る。
足の具合や、肩の古傷を、聞く。
聞いたことを、全部、帳面に足していく。
五十五年で、帳面は、四十冊を超えた。
わたしの首は、祭りの日になると、勝手に動く。
神輿が、左に傾くと、首が左に振れる。
右に戻ると、首も戻る。
石段の上で、男たちが息を合わせるとき、わたしの肩の筋も、同じ調子で、縮む。
若いころは、気づかなかった。
七十を過ぎて、鏡の前で、はじめて見た。
祭りの夜、寝ても、首が揺れている。
神輿を、一度も、担いだことがないのに。
体だけが、あの揺れを、覚えている。
ふだんは、この首は、何の役にも立たない。
畑の草を取って、洗濯物を干して、テレビを見る。
それだけのために、七十三年かけた体ではない、と思うことがある。
祭りの翌朝は、首が回らなくなる。
近所の人が、「また今年も」と言って、笑う。
わたしも、笑う。
第三章 団長が数えているもの
いまの青年団の団長は、三十代の男だ。
名前は、工藤という。
工藤さんは、担ぎ手の人数を、数えている。
「今年は、四十二人です」と、毎年、嬉しそうに言う。
若い人が減っているので、人数は、村の誇りだ。
去年より二人増えた、と、わたしに報告に来る。
わたしは、毎年の人数を、数えたことがない。
かわりに、わたしが覚えているのは、別のものだ。
一人一人の、肩の高さだ。
「三郎さんは、右が、指二本ぶん低い」
「亮太は、左に傾く」
聞かれれば、いくつでも、出てくる。
同じ祭りの、同じ石段の下に立っている二人が、まったく別のものを数えていた。
工藤さんの四十二は、村のものだ。
わたしが覚えている指二本の差は、誰のものでもない。
一度、工藤さんに、言われた。
「ばあちゃん、よく、そんなに覚えてますね」
わたしは、「帳面があるから」と答えた。
それは、本当の理由ではなかった。
帳面は、覚えるための道具ではない。
あの肩を、見ていなかったら、わたしは、祭りの日を、どこに立てばいいのかわからなかった。
第四章 肩のない人
わたしが書くのは、いつも、誰かの肩だ。
五十五年、一度も、自分の肩を書いたことがない。
羨ましい、と声に出したことは、一度もなかった。
口にしたら、自分が、小さくなる気がした。
女が担げないことは、誰のせいでもない。
わたしが生まれる前から、決まっていた。
責める相手が、いない。
相手のいない気持ちは、胸の中で、固まるしかない。
だから、「祭りが好きだから」と、言い換えて、五十五年、やってきた。
祭りが好きなのは、本当だ。
けれど、その好きの底には、あの重さへの、羨ましさが、沈んでいる。
好きと羨ましさは、一つの水だった。
分けて汲むことは、できなかった。
去年の八月、祭りの翌朝、玄関の戸が、叩かれた。
三十前の、若い男が、立っていた。
顔を、見たことはあった。
「亮太です。今年から、前の右を、担がせてもらいました」
わたしは、うなずいた。
亮太さんは、玄関の土間に、立ったまま、言った。
「うちの親父、去年の春に、死んだんです」
わたしは、息をのんだ。
「親父は、三十一年、前の右を担いでたって、聞いてたんですが」
「本人は、何も話さない人でした。肩の高さも、癖も」
亮太さんは、鞄から、一枚の紙を取り出した。
コピーだった。
わたしの字だった。
「ばあちゃんの帳面を、団長に頼んで、見せてもらったんです」
「三十一年ぶんの、親父の肩の高さが、ぜんぶ、書いてありました」
「右が、毎年、少しずつ、下がっていって」
亮太さんは、声を、詰まらせた。
「最後の年には、ほとんど、同じ高さに、揃っていた。親父が、最後に、あの棒を、まっすぐ担げるようになったって、その帳面で、初めて知りました」
「だから、あの場所に、立ちたかったんです」
わたしは、その人の父の顔を、思い出せなかった。
けれど、帳面の中の、三十一年の肩の高さは、わたしの手が、書いたものだった。
第五章 同じ重さ
その夜、わたしは、四十冊の帳面を、座敷に、広げた。
一冊ずつ、頁をめくった。
羨ましさは、消えなかった。
これは、嘘をつかずに言う。
肩の高さの記録が、人の役に立ったと知っても、あの棒を担ぐ男たちが、羨ましい。
わたしは、あの重さを、一度も、肩に受けていない。
それは、いまも変わらない。
ただ、わたしは、気づいた。
五十五年前に、わたしは、この気持ちに、「祭りが好きだから」という名前をつけた。
毎年、神輿が石段を登るのを見上げるとき、わたしは、祭りを楽しんでいるのだと思っていた。
でも、そうではなかった。
羨むほどに、わたしは、あの肩を、愛していた。
顔も知らない、何十人もの、肩を。
羨むことは、愛することの、別の呼び方だった。
羨ましさは、減らなかった。
減らなかったが、置き場所が一つできた。
四十冊の、帳面の、肩の高さの欄だ。
エピローグ
今年の八月の終わり、わたしは、いつもの場所に、帳面を持って立った。
石段の下に、神輿が、置かれていた。
担ぎ棒が、夕日で、赤く光っていた。
若い男たちが、肩を入れる前の、静かな時間だった。
亮太さんが、わたしに気づいて、近づいてきた。
何も言わずに、棒の端を、わたしのほうへ、少しだけ、傾けた。
わたしは、その棒に、手を伸ばした。
七十三年、触れなかった木だった。
手のひらを、そっと、当てた。
重かった。
重さが、手のひらに、じかに、きた。
すぐに、手を離した。
けれど、木目の感触が、手に、残っていた。
帳面を開いて、今年の、亮太さんの欄に、書いた。
前、右。
高さは、父と同じ。
掛け声が、上がった。
神輿が、石段を、登りはじめた。
来年の八月も、わたしは、この石段の下に、立つ。
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