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4_三行目

ひざが悪く、一度も山に登れなかった山岳会の記録係に、遭難から帰った登山者の娘が、ノートの三行目で父は渡らない道を選べたと告げた。羨ましさは消えない。ただ、羨ましさを置く場所が一つできる。

4_三行目

朗読で聴く

第一章 登れない体

栃木の山あいで、山岳会の事務所に勤めている。

わたしは六十一になる。

生まれつき、両方のひざに、不具合がある。

骨の形が、少し、ふつうと違う。

歩くことは、できる。

けれど、急な坂を、重い荷物で登ることは、できない。

医者は、子どものころに、はっきり言った。

山は、やめておきなさい、と。

小学校の遠足の日、わたしは、麓の公民館で、お留守番をした。

窓から、友達が登っていく列を、見ていた。

そういう子どもが不幸だったかというと、そうでもない。

本を読んでいればよかったし、周りも慣れていた。

山に登りたいと思った記憶は、ほとんどない。

登るという行為が、はじめから、自分の側にないものとして育った。

変わったのは、二十のときだ。

町の山岳会の、事務の手伝いに、入った。

受付に座っていると、朝、登山靴の人たちが、次々に、歩いていく。

夕方、その人たちが、日焼けした顔で、帰ってくる。

顔が、みんな、違っていた。

登る前の顔と、降りてきた顔が、ひとりの人のものなのに、違っていた。

そのとき、わたしは、生まれて初めて、あの顔になりたいと思った。

欲しいと思ったことは、それまで、一度もなかった。

その顔を見た夕方、喉が渇くように、はじめて、欲しくなった。

会の会長に、「記録なら、取れるだろう」と言われて、わたしは、記録係になった。

第二章 鉛筆だこ

記録係の仕事は、単純だ。

朝、登山口の小屋で、山行計画書を受け取る。

その日の天気と、残雪と、水の量と、道の傷みを、聞き取る。

それを、一冊のノートに、書く。

会員は、出発の前に、そのノートを読む。

夕方、降りてきた人から、また、聞き取る。

「あそこの橋は、ぐらつく」

「午後は、ガスが出る」

その一言一言を、ノートに足していく。

わたしは、それが、得意だった。

続けられた理由は、一つしかない。

山の人たちの輪の中に、居られる席が、そこにしかなかったからだ。

四十年で、ノートは、八十冊を超えた。

右手の中指の、横の部分に、鉛筆だこができている。

硬くて、少し、黄色い。

若い医者は、湿布を出して、「鉛筆の傷ですね」と笑った。

体に残ったものは、それしかない。

膝は、結局、大きな問題を起こさなかった。

だから、わたしの人生には、病人としての物語も、ない。

登れないが、死にもしない。

ただ、山の上には、一度も立たなかった。

四十年で、固くなったのは、右の中指だけだ。

ときどき、山を見上げる。

首が、いつも、同じ角度で、止まる。

それも、四十年かけて、できた癖だ。

第三章 若い会員が数えているもの

会に、三十代の男性会員がいる。

名前は、矢部という。

矢部さんは、登った山の数を、数えている。

「今月で、四十七座です」と、聞いてもいないのに、言う。

年間の目標があるらしく、達成状況を、口に出して確かめている。

悪気はないし、登る人なら、普通のことだ。

わたしは、自分が書いたノートの冊数を、数えたことがない。

数えていないというより、気にしていない。

かわりに、わたしが覚えているのは、他人の、降りてきた時刻のほうだ。

一九九八年の九月、雨の日、先頭の隊が、麓に着いた時刻。

二〇〇九年の十月、風の強い日、最後の一人が、小屋に戻った時刻。

聞かれれば、いくつでも、出てくる。

同じ会で、同じ年数を過ごしてきた二人が、まったく別のものを数えていた。

矢部さんの四十七座は、矢部さんのものだ。

わたしが覚えている時刻は、一つも、わたしのものではない。

一度、矢部さんに、言われた。

「岩崎さん、よく、そんなに覚えてますよね。なんでですか」

わたしは、「仕事だから」と答えた。

本当は、ほかの言葉を、探していた。

見つからなかったので、仕事だから、で済ませた。

第四章 誰かの山

ノートに載るのは、いつも、誰かが歩いた道だ。

わたしが歩いた道は、四十年で、一行もない。

羨ましい、と口にしたことは、一度もない。

口にしたら、自分が、細くなる気がした。

体のことは、誰のせいでもない。

責める先が、どこにもない。

責める先のない気持ちは、飲みこむしかない。

だから、「山が好きだから」と、言い換えて、四十年、やってきた。

山が好きなのは、本当だ。

けれど、その好きの底には、手の届かない場所への羨ましさが、沈んでいる。

好きと羨ましさは、一つの水で、分けて汲むことが、できなかった。

去年の九月、事務所に、一人の若い女の人が、訪ねてきた。

三十歳ぐらいの、背の高い人だった。

「あの、ノートを、書いている方ですか」

わたしは、うなずいた。

その人は、胸の前で、手を握って、言った。

「三年前、父が、この山で、道に迷いました」

わたしは、息を止めた。

「無事に、帰ってきました。ひざを擦りむいただけで」

「父は、あのとき、ノートを、読んでいたそうです」

その人は、言った。

「出発の前に、三行だけ、読んだって」

わたしは、その日のことを、思い出そうとした。

「三行目に、書いてあったんです。三ノ沢の渡渉点は、午後から、増水する。朝のうちに、渡ること」

「父は、迷って、日が傾いてから、その沢に出ました。水が、もう、増えていたそうです」

「だから、渡らずに、引き返して、尾根で、夜を明かしたんです」

わたしは、膝が、震えた。

「あなたの字の、三行目で、父は、渡らない道を、選べました」

その人は、深く、頭を下げた。

わたしは、その人の父の顔を、知らない。

山頂に立った顔も、降りてきた顔も、見ていない。

けれど、ノートの三行目は、わたしの手が、書いたものだった。

第五章 同じ道

その夜、わたしは、事務所に残って、八十冊のノートを、棚から下ろした。

一冊を開いて、三行目を、読んだ。

羨ましさは、消えなかった。

これは、嘘をつかずに言う。

三行目が人を助けたと知っても、登る人たちが羨ましい。

山の上の風を、わたしは、一度も、頰に受けていない。

それは、いまも変わらない。

ただ、わたしは、気づいた。

四十年前に、わたしは、この気持ちに、「山が好きだから」という名前をつけた。

毎朝、登っていく人たちの背中を、見送るとき、わたしは、山を好きなだけだと思っていた。

でも、そうではなかった。

羨ましいのは、あの人たちを、愛しているからだ。

顔も知らない人たちを、わたしは、四十年、愛していた。

羨むことは、愛することの、別の呼び方だった。

羨ましさは、減らなかった。

減らなかったが、置き場所が一つできた。

八十冊の、ノートの、三行目だ。

エピローグ

今年の九月も、わたしは、朝の五時に、登山口の小屋に入った。

霧が、谷から、上がってきていた。

わたしは、新しいノートを、開いた。

日付を書いた。

天気と、残雪と、水の量を、聞き取った。

最初の二行は、いつもと同じだった。

三行目の前で、わたしは、鉛筆を止めた。

それから、ゆっくり、書いた。

足もとに、気をつけて。

それだけの、一行だった。

最初の隊が、小屋の前を通った。

矢部さんが、「行ってきます」と言った。

わたしは、「行ってらっしゃい」と言った。

隊の背中が、霧の中へ、消えていった。

ノートの余白に、自分の名前は、書かなかった。

夕方、あの人たちが、降りてくるまで、わたしは、そこに座っていた。

ソウルミッション358

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