7_廊下の椅子
施設の個室から五年、ドアを開けない父に、会えない息子の畳職人。できるのは月に一度、廊下の椅子に十五分座ることだけ。答えは出ない。どうにもできないまま、続ける理由だけが少しだけ変わる。

朗読で聴く
第一章 九月の面会
東京の下町で、畳を作っている。
わたしは五十二になる。
父の代から続く、小さな畳屋だ。
職人になって、三十年がたった。
い草の匂いのする作業場で、朝から、畳のへりを縫い、床を打ち、おもてを張る。
九月の、まだ暑さの残る土曜日だった。
隅田川の土手を、風が、ゆるやかに渡っていた。
わたしは、駅から、バスに乗った。
揺られて二十分。
住宅街の外れに、白い建物の、介護施設がある。
父が、そこにいる。
八十一になる父は、五年前から、その施設の、個室で暮らしている。
十年前に、母が亡くなった。
それから、父は、畳屋の仕事を、わたしに譲って、一人で、家に籠もるようになった。
作業場の、父の座っていた場所には、いまも、古い座布団が、置いてある。
わたしは、その座布団を、捨てられないでいる。
わたしとも、口をきかなくなった。
五年前に、足を悪くして、施設に入った。
施設の、三階の、いちばん奥の個室だ。
わたしは、毎月、そこへ、通っている。
道すがら、駅前の和菓子屋で、父の好きだった、栗饅頭を、買う。
職員さんに預けて、ドアの前に、置いてもらう。
食べたかどうかは、わからない。
けれど、父は、ドアを、開けない。
職員さんが、ドアの外から声をかけても、返事は、ない。
ただ、一度だけ、父は、ドアの向こうで、こう言った。
帰れ。
わたしは、その声に、返す答えを、持っていなかった。
第二章 座る体
父が、なぜ、わたしに会わないのか。
その理由は、わからない。
母が亡くなる前に、何かあったのかもしれない。
母の葬式の日に、わたしが言った、何かの一言かもしれない。
あるいは、畳の仕事を、父の思うように続けなかった、若いころのことかもしれない。
思い当たることは、いくつかある。
けれど、どれも、確かめようがない。
父が、ドアの向こうに、閉じこもっている限り。
最初の一年は、毎週、足を運んだ。
ドアの前で、立って、声をかけた。
父さん、来たよ、と。
返事は、なかった。
二年目に、職員さんが、廊下に、小さな椅子を、置いてくれた。
座って、待ってもいいですよ、と。
それ以来、わたしは、その椅子に、座るようになった。
十五分だけ。
それ以上は、座らない。
長く座ると、ドアの向こうの父に、圧をかけることになる気がした。
十五分たったら、立ち上がって、頭を下げて、帰る。
それが、わたしの、毎月の習慣になった。
廊下の窓から、庭の、花の木が、見える。
夏の終わりには、赤い花が、風に、揺れている。
五年のあいだに、わたしの体は、その時間を、覚えてしまった。
十五分たつと、膝が、自然に、動きはじめる。
腕時計を見なくても、わかる。
畳屋の仕事は、体で、時間を測る。
い草を縫う針の、進む長さを、指が覚えている。
その体の癖が、廊下の椅子にも、出てしまった。
第三章 職員が数えるもの
施設の、介護職員に、鈴木さんという人がいる。
三十代の、穏やかな男性だ。
鈴木さんは、父の、食事の量を、数えている。
今日は、何割食べたか。
先週と、比べて、どうか。
毎日、記録に、書いている。
それは、父の命を守る、大切な数字だ。
わたしは、廊下の椅子に座った回数を、覚えている。
数えているというより、覚えてしまっている。
その数が、五年ぶんで、六十と少し。
何の役にも立たないし、誰にも渡せない。
同じ廊下にいる二人が、別のものを数えていた。
鈴木さんの数字は、記録に残る。
わたしの数えているものは、どこにも書けない。
一度、鈴木さんに、言われた。
息子さん、毎月、よく来ますね、と。
わたしは、来ているだけです、と答えた。
会えてないので、と。
鈴木さんは、少し、考えてから、言った。
お父さん、息子さんが来る日は、朝から、そわそわしていますよ、と。
わたしは、その言葉の意味を、すぐには、受け取れなかった。
それが、本当なのかどうかも、確かめる方法は、なかった。
鈴木さんが、わたしを慰めるために、言ってくれたのかもしれない。
どちらでも、いいと思った。
第四章 それしかできない
わたしにできることは、突き詰めれば、一つしかない。
月に一度、廊下の椅子に、十五分、座ること。
それ以外には、何も、していない。
ドアを、開けることは、できる。
鍵は、かかっていない。
職員さんにも、言われた。
開けても、いいんですよ、と。
けれど、わたしは、開けない。
開けたあと、何を言えばいいのか、わたしは、一つも持っていない。
若いころ、父に、ひどいことを言った。
そのことを、謝るのか。
それとも、これからどうするのか、と聞くのか。
どちらも、言った瞬間に、父を、追い詰める。
言葉がないまま開けるのは、こじ開けるだけだ。
だから、開けない。
これが、正しいのかどうか、わたしには、わからない。
臆病なだけかもしれない。
そう言われたら、否定できない。
役に立っている、と思えた日は、一日もない。
この状況の前で、わたしは無力だ。
五年やって、無力さの度合いは、一ミリも減っていない。
通うのを、やめようかと、考えたことは、何度かある。
父が、望んでいないのなら、わたしが通うことは、父の静けさを、邪魔するだけなのかもしれない。
けれど、やめられなかった。
やめたら、あの椅子に、誰も座らなくなる。
役に立たない人間でいいから、座る人間が、要る。
そう思ったとき、少しだけ、楽になった。
第五章 向きを変える
今年の夏の終わり、廊下の椅子に、座った。
いつものように、ドアのほうに背を向けて、窓のほうを向いていた。
ドアのほうを見ると、父を、見張っているようで、落ち着かなかった。
だから、五年間、窓に向いて、座ってきた。
その日、窓の外では、遠くの空に、入道雲が、ゆっくりと崩れていた。
しばらく、たったころ、背中の向こうで、小さな音がした。
車椅子の、車輪が、床を擦る音だった。
わたしは、動かなかった。
振り返りも、しなかった。
音は、それきり、止んだ。
ただ、そのときから、わたしの背中の、ドアのほうが、熱くなった。
誰かに、見られているような気がした。
そう思うのは、わたしの、思い込みかもしれない。
確かめる方法は、ない。
それでも、十五分たって、立ち上がったとき、わたしは、一度だけ、ドアのほうを向いた。
閉じたドアに、頭を下げた。
五年間、一度も、したことのないことだった。
それが何かを変えるとは、思っていない。
あの向きの変化に、意味があるのかどうかも、わからない。
それでも、次の月から、わたしは、椅子を、ほんの少し、ドアのほうに、向けて座るようになった。
窓のほうを向いたまま、顔だけ、少し、ドアのほうに、傾けて。
答えがないまま、廊下に居続ける。
わたしにできることは、いまも、それだけだ。
ただ、座る理由が、少しだけ変わった。
父に許されたいからではなく、あの車輪の音が、また聞こえるかもしれないから、座っている。
エピローグ
今月も、第二土曜に、バスに乗った。
施設の三階の、いちばん奥の廊下は、静かだった。
窓から、午後の光が、床に、細く落ちていた。
廊下の椅子は、いつもの場所に、置いてあった。
わたしは、その椅子に、座った。
椅子の向きを、ほんの少し、ドアのほうへ傾けた。
十五分。
ドアの向こうからは、何も、聞こえなかった。
それでも、わたしは、座っていた。
廊下の、遠くで、配膳のワゴンの音が、聞こえた。
十五分が、たった。
立ち上がった。
ドアに、頭を下げた。
何も解決していない。
答えは、まだない。
来月も、わたしは、この椅子に、座る。
帰りのバスの窓から、夕暮れの土手が、ゆっくりと、流れていった。
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