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2_玄関で待つ

母が迎えに来ない少年に、いつ来るの、と問われても答えを持たない施設の指導員。できるのは夕方、玄関で一緒に待つことだけ。答えは出ない。どうにもできないまま、続ける理由だけが少しだけ変わる。

2_玄関で待つ

朗読で聴く

第一章 十二月の玄関

青森の海ぞいの町で、児童養護施設の指導員をしている。

わたしは四十七になる。

この仕事について、十九年になった。

施設には、三歳から十八歳までの子どもたちが、四十人ほど暮らしている。

親と一緒に暮らせない事情のある子たちだ。

わたしは、その子たちの朝と夜を、見ている。

朝は、起こして、朝ごはんを食べさせて、学校へ送り出す。

夜は、宿題を見て、風呂に入れて、布団に寝かせる。

寝る前に、絵本を読む子もいる。

読んでいるあいだ、わたしの声だけが、部屋の中で、ゆっくり響く。

十二月の、雪の降りはじめた日だった。

玄関の前の道が、夕方までに、うっすらと白くなった。

外の街灯が、ぽつりぽつりと灯り、雪の粒が、光の中を斜めに落ちていた。

その夕方、八歳の健太が、玄関の板の間に座っていた。

母親が、迎えに来る日だった。

母親は、半年前に、この施設に健太を預けた。

事情があって、いまは一緒に暮らせない。

けれど、必ず迎えに行くと、そのとき言ったのだという。

健太は、その言葉を、半年間、信じていた。

わたしが廊下を通りかかると、健太は、顔を上げた。

そして、聞いた。

お母さん、いつ来るの。

わたしは、答えを持っていなかった。

第二章 待つ体

その問いに、わたしは、答えられない。

母親が来るのか、来ないのか。

来るとして、いつなのか。

わたしには、わからない。

施設の記録には、母親の連絡先がある。

その番号に、何度かけても、つながらない。

それは、わたしと、施設長しか知らないことだ。

健太には、まだ言えない。

言っていいのかどうかも、わからない。

若いころは、何か答えなければと思った。

もうすぐ来るよ、と言ったことがある。

別の子に、だった。

その子は、一か月後に、同じ質問を、もう一度した。

そのとき、わたしは、嘘をついたのだと気づいた。

以来、わたしは、約束を口にしない体になった。

来るよ、とも、来ないよ、とも言わない。

言えるのは、一つだけだ。

いっしょに待とう。

それも、声に出しては言わない。

ただ、健太の隣に、座る。

玄関の板の間は、冬は、ひどく冷たい。

二十分も座っていると、尻から冷えが這い上がってくる。

それでも、座る。

十九年で、わたしの膝は、板の間に座るのに、慣れてしまった。

ストーブのない玄関は、冬になると、息が白くなる。

その白い息が、二つ、並んで、ゆっくり消える。

寒さを、あまり感じなくなった。

それが、いいことなのかどうかは、わからない。

第三章 同僚が数えるもの

施設に、若い保育士の美咲さんがいる。

二十六になる、明るい人だ。

子どもたちに、とても好かれている。

美咲さんは、子どもたちの、笑った回数を数えている。

今日は、何回笑ったか。

誰が、いちばんよく笑ったか。

夜の引き継ぎのとき、ノートに、星のしるしを書いていく。

それは、とても大事な記録だ。

わたしは、玄関で待った回数を、覚えている。

数えているというより、覚えてしまっている。

来なかった夕方の数が、十九年ぶん、体のどこかに積んである。

何の役にも立たないし、誰にも渡せない。

同じ施設で働く二人が、別のものを数えていた。

美咲さんの数字は、ノートに残り、子どもたちの笑顔に、つながる。

わたしの数えているものは、どこにも書けない。

一度だけ、美咲さんに聞かれた。

先生は、どうして、そんなに待てるんですか、と。

わたしは、待てているわけじゃない、と答えかけて、やめた。

待てているのでも、待てていないのでもない。

ただ、そこにいるだけだ。

美咲さんは、それ以上、何も聞かなかった。

かわりに、夕方、玄関の板の間に、小さな座布団を置いてくれるようになった。

わたしの分と、健太の分。

第四章 それしかできない

わたしにできることは、突き詰めれば、一つしかない。

夕方、玄関で、一緒に待つ。

それ以外のことは、いろいろしている。

ごはんを作る。

宿題を見る。

風邪をひいた夜は、夜通し、おでこに手を当てる。

熱いおでこの下で、小さな寝息が、少しずつ落ち着いていく。

その音を聞いているあいだだけは、何かをしている気がする。

けれど、お母さんはいつ来るの、という問いに対しては、何一つ、できていない。

母親を探すこともできない。

母親に連絡をつけることもできない。

役所には、何度も相談した。

できる範囲のことは、やっている、と言われた。

それは、本当だと思う。

誰も、悪くない。

それなのに、健太は、毎日、玄関に座る。

役に立っている、と思えた日は、一日もない。

あの問いの前で、わたしは無力だ。

十九年やって、無力さの度合いは、一ミリも減っていない。

辞めようと思ったことは、何度かある。

辞めなかったのは、代わりの人が、すぐには、来ないからだった。

誰かが、あの玄関に、座らなければならない。

役に立たない人間でいいから、座る人間が要る。

そう思ったとき、少しだけ、楽になった。

わたしが、健太の母親の代わりになれないことは、わかっている。

代わりになろうと思ったら、嘘になる。

母親の代わりではなく、母親を待つ子の、隣にいる人でいよう。

それが、わたしの、唯一の立ち位置になった。

第五章 五分

その夕方、雪は、いつもより、強く降っていた。

玄関のガラス戸が、風で、小さく震えた。

健太は、板の間に座って、母親の来る道を、見ていた。

わたしは、その隣に座った。

三十分ほど、二人とも、何も言わなかった。

街灯の下を、雪が、ゆっくりと降りていた。

健太の長靴が、玄関の隅に、一足、揃えて置いてあった。

母親が迎えに来たときに、すぐ履けるように、毎朝、健太が揃えている。

その長靴の先に、解けた雪が、小さな水たまりを作っていた。

わたしは、立ち上がった。

夕飯の時間が、近づいていた。

いつもなら、あと十分は、座っている。

でも、その日は、五分で、立った。

足が、冷えすぎていたのかもしれない。

健太は、何も言わなかった。

わたしを見上げて、それから、また、道のほうを見た。

わたしは、健太の頭に、手を置いた。

置いただけで、撫ではしなかった。

それから、台所へ戻った。

あの五分に、意味があるのかどうか、わからない。

健太が、どう思ったかも、わからない。

それでも、あの日から、わたしは、少しだけ、考え方を変えた。

母親が来るまで待つ、というのをやめて、健太が立ち上がるまで、隣にいる、と思うようにした。

答えがないまま、隣に居続ける。

わたしにできることは、いまも、それだけだ。

ただ、待つ理由が、少しだけ変わった。

母親のためではなく、健太のために、座っている。

それは、小さな違いだが、わたしには、大きかった。

エピローグ

翌日の夕方も、雪が降っていた。

健太は、いつものように、玄関の板の間に座っていた。

わたしは、その隣に、座布団を置いて、座った。

外の街灯が、ぽつりと灯った。

雪の粒が、光の中を、斜めに落ちていく。

健太が、小さな声で言った。

今日も、来ないかな。

わたしは、何も答えなかった。

ただ、隣にいた。

長靴が、玄関の隅で、揃えられたまま、静かに乾いていった。

どれくらいたったのか、わからない。

夕飯の匂いが、廊下の奥から、漂ってきた。

健太が、立ち上がった。

わたしも、立った。

並んで、廊下を歩いた。

何も解決していない。

答えは、まだない。

明日の夕方も、玄関に座る。

玄関の戸が、風で、また小さく震えた。

ソウルミッション358

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