9_電線のうなる日
電線が風でうなる音を聞くと、理由のわからないいかりが腹の底から来る電気設備の点検員。親にも同僚にも先代の社長にも医者にも聞いたが、今世に原因はない。答えは出ない。誰も証言できない。探すのをやめ、わからないまま連れて歩く。

朗読で聴く
第一章 七月の点検
香川の平野で、電気設備の点検をしている。
わたしは三十六になる。
電力会社の下請けに入って、十四年になった。
仕事は、電柱と、電線の点検だ。
軽トラックで、田んぼの中の道を走り、一本ずつ、電柱を見上げる。
碍子のひび、金具の錆、線のたるみ。
双眼鏡と、点検簿を持って、確かめて回る。
一日に、百本近く見る。
誰にも気づかれない仕事だ。
電気が来るのは、当たり前だと思われている。
けれど、その当たり前を支えるために、誰かが、炎天下で、電柱を見上げている。
わたしは、その誰かの一人だ。
昼は、日陰がない。
ヘルメットの下で、汗が目に入る。
首に巻いた手拭いが、すぐに絞れるほど濡れる。
それでも、電柱を見上げているあいだは、頭の中が、不思議と静かになる。
七月の、よく晴れた日だった。
讃岐平野の、ため池の多い土地で、空が、どこまでも広かった。
稲の葉が、風に、さらさらと波打っていた。
先輩の山本さんと、二人で、組になって回っていた。
四十代の、無口な人だ。
昼過ぎ、わたしは、県道沿いの、古い電柱の前に、車を停めた。
高圧線が、三本、空を横切っている。
その下の田んぼで、青い稲の穂が、まだ、固く閉じていた。
車から降りたとき、風が、強くなった。
頭上の電線が、ひゅうう、と細く、高く、うなりはじめた。
その音を聞いた瞬間、腹の底が、ぐっと熱くなった。
第二章 風のうなり
それは、まぎれもなく、いかりだった。
わたしは、車のドアに、手をついた。
相手はいない。
誰かに腹を立てたわけではない。
風にも、電線にも、暑さにも、いかりの向かう先がない。
向かう先のないものが、腹の底にだけ、はっきりとある。
電線は、しばらく、うなり続けた。
空の青さが、急に、遠くなったように見えた。
三分ほどで、風が弱まって、うなりが消えた。
腹の熱さも、同じころ、引いていった。
引いたあとには、首筋の汗だけが、冷たく残った。
その音が来るのは、この日が初めてではない。
子どものころから、電線が風でうなる音を聞くと、いつも、来た。
学校の帰り道、電柱の下を通るたびに、わたしは、耳をふさいで、走った。
どうして、と親に聞かれた。
わからない、と答えた。
本当に、わからなかった。
電気の仕事を選んだのは、自分でも不思議だ。
ほかに、行ける場所がなかったわけではない。
ただ、気づいたら、電柱を見上げる仕事に、就いていた。
頭は、いつも、静かだ。
電線が風でうなるのは、ありふれた音だと、知っている。
それなのに、体のほうが、先に動く。
音が意味になる前に、もう、腹の底が動いている。
わたしは、ときどき、この体が、自分より古いように感じる。
三十六年使ってきた体だ。
けれど、そこに入っているものの一部は、わたしが生まれる前から、あったような気がする。
根拠はない。ただ、そう思う。
第三章 先輩が数えるもの
先輩の山本さんは、点検済みの柱の数を数えている。
今日は何本、今週は何本。
先月より、増えたか。
夕方、車の中で、点検簿に、鉛筆で、小さな丸をつけていく。
その丸の数が、先輩の誇りだ。
わたしは、いかりが来た日の数を数えている。
数えたくて数えているのではない。
来ると、覚えてしまう。
三十年ぶんが、頭のどこかに積んである。
何の役にも立たないし、誰にも渡せない。
同じ軽トラックに乗る二人が、まったく別のものを数えていた。
山本さんの数字は、点検簿に残る。
それは、確かに、役に立つ数字だ。
わたしは、そのことを、羨ましいとは、思わない。
けれど、少しだけ、遠いとは思う。
わたしの数えているものは、どこにも書けない。
一度だけ、山本さんに話したことがある。
風で線が鳴ると、変な感じになるんです、と。
山本さんは、暑さのせいやろ、と言った。
それで終わった。
説明のつかないものを人に話すと、必ず、いちばん近い説明が返ってくる。
暑さのせい。
疲れ。
日射病の前触れ。
どれも近いが、どれも違う。
近いものを渡されるたびに、わたしは少しずつ黙るようになった。
黙るのは、諦めたからではない。
言えば言うほど、自分の中の本当のかたちが、削られていく気がしたからだった。
山本さんは、それを察したのか、それ以降は、風の強い日の点検を、先に引き受けてくれるようになった。
あの人なりの、静かな対応だったと思う。
昼に、車の中で、冷えた麦茶を、黙って、わたしの膝に置いてくれる。
第四章 誰も知らなかった
原因は、探した。
まず、実家の親に聞いた。
小さいころ、電線や、風の音にまつわる怖いことはなかったか、と。
母は、ないよ、と言った。
事故も、停電も、落雷も、この家には、縁がなかった。
会社の古い同僚にも、聞いて回った。
誰も、電線の音で、おかしくなったという話は、知らなかった。
先代の社長にも、聞いた。
先代は、七十を過ぎて、いまも、ときどき、顔を出す。
先代は、黙って聞いたあと、そんな話は、知らんな、と言った。
二十代の終わりに、病院にも行った。
耳の検査も、頭の検査も、異常はなかった。
紹介された心療内科で、聴覚が敏感な体質かもしれないと言われた。
けれど、それ以上のことは、言われなかった。
医者は、最後にこう言った。
原因が、特定できないものも、あります。
わたしは、その言葉を、帰りの電車の中で、何度も思い出した。
匙を投げた言葉ではなかった。
誠実な言葉だと思った。
それでも、帰り道は重かった。
原因がわかれば、対処ができる。
対処ができなくても、名前がつけば、それを持って生きていける。
名前のないものを三十年抱えるというのは、そのどちらでもない場所に、居続けることだった。
今世には、何もない。
生まれてから三十六年のどこにも、あのうなりに対応する出来事はない。
探し方が足りないのではない。
単に、ない。
誰も、証言できない。
第五章 連れて歩く
三十になる前に、わたしは探すのをやめた。
やめると決めたわけではない。
ある夕方、車の中で、点検簿を閉じながら、ふと思ったのだ。
これは、夏の夕立みたいなものかもしれない。
夕立に、原因を探す人はいない。
来るとわかっているから、軒下に入って、止むのを待つ。
恨まないし、なくそうともしない。
来なくなったわけではない。
いまも、同じように来る。
強さも、変わらない。
変わったのは、来ているあいだに「なぜ」と考えなくなったことだけだ。
戸惑いは、減らない。
来るたびに、わたしは戸惑う。
どうして、と思う。
けれど、戸惑うことも含めて、これがわたしだと、少しだけ思えるようになった。
わからないまま、戸惑いながら、連れて歩く。
それが、三十六年のあいだに、わたしにできるようになったことだった。
車の窓の外を、夕暮れの田んぼが、ゆっくり流れていった。
空の端は、まだ、明るくならなかった。
エピローグ
翌日も、わたしは、軽トラックで、平野を走った。
県道沿いの、同じ電柱の前に、車を停めた。
降りた。
風が、強くなった。
頭上の電線が、ひゅうう、とうなりはじめた。
来た。
腹の底が、ぐっと熱くなった。
相手はいない。
理由もない。
わたしは、耳をふさがなかった。
車のドアに手をついて、そのまま、電線を見上げた。
三分ほどで、風が弱まって、引いていった。
何も解決していない。
来週も、来年も、また来る。
わたしは、双眼鏡を構えて、碍子を一つずつ、確かめていった。
ひびは、なかった。
点検簿に、小さく、丸をつけた。
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