8_湯の抜ける音
風呂の湯が一気に抜ける音を聞くと、理由のわからないいかりが腹の底から来る銭湯の番台。先代にも古い常連にも医者にも聞いたが、今世に原因はない。答えは出ない。誰も証言できない。探すのをやめ、わからないまま連れて歩く。

朗読で聴く
第一章 十二月の銭湯
大阪の下町で、銭湯の番台に座っている。
わたしは六十二になる。
この銭湯に勤めて、三十八年になる。
煙突の見える、古い建物だ。
入り口には、暖簾がかかっていて、その奥に、番台がある。
番台に座ると、脱衣所と、浴場への扉と、入り口が、一度に見渡せる。
客が入ってくる。
湯銭を受け取る。
石鹸と、手拭いを貸す。
その繰り返しを、毎日、続けている。
湯の温度は、季節で変える。
夏は少しぬるく、冬は少し熱く。
常連の顔を見れば、今日の湯の加減が、合っているかどうか、わかる。
わたしは、それを、番台の上から、黙って確かめている。
朝は、釜の火を入れる。
昼は、浴槽を洗う。
夕方、扉を開ける。
夜、客が帰ったあとの浴場で、最後に、栓を抜く。
十二月の、寒い夜だった。
その日は、年の瀬の客が多くて、いつもより遅くまで、浴場が賑わっていた。
最後の客が帰ったのは、十一時を回ってからだった。
わたしは、番台を降りて、浴場の扉を開けた。
誰もいない浴場に、湯気だけが、白く残っていた。
木の湯桶が、洗い場に、いくつも伏せて並んでいる。
わたしは、大きな浴槽の、底の栓に、手をかけた。
引き抜いた。
その瞬間、湯が、ごぼごぼと音を立てて、一気に抜けはじめた。
その音を聞いたとき、腹の底が、ぐっと熱くなった。
第二章 湯が抜けるとき
それは、まぎれもなく、いかりだった。
わたしは、栓を握ったまま、動けなくなった。
相手はいない。
誰かに腹を立てたわけではない。
湯にも、浴場にも、年の瀬にも、いかりの向かう先がない。
向かう先のないものが、腹の底にだけ、はっきりとある。
湯は、渦を巻きながら、排水口へ吸い込まれていった。
水面が、少しずつ下がって、浴槽の壁の、湯垢の線が、現れてきた。
三十八年ぶんの、湯の跡だった。
その音は、長く続いた。
三分ほどで、湯が抜けきって、浴場に、静けさが戻った。
腹の熱さも、同じころ、引いていった。
引いたあとには、足の震えだけが、残った。
その音が来るのは、この日が初めてではない。
銭湯の仕事を始める前から、風呂の湯を抜く音が、苦手だった。
実家の風呂場で、栓を抜く音がすると、わたしは、いつも、廊下へ逃げた。
どうしてなのかは、考えなかった。
大人になって、銭湯に勤めるようになって、毎晩、湯を抜くことになった。
皮肉だと、自分でも思う。
けれど、ほかに行く場所はなかった。
頭は、いつも、静かだ。
湯が抜けるのは、風呂の最後の、ありふれた音だと、知っている。
それなのに、体のほうが、先に動く。
音が意味になる前に、もう、腹の底が動いている。
わたしは、ときどき、この体が、自分のものでないように感じる。
六十二年使ってきて、隅々まで自分のものだと思っている。
それなのに、ここだけ、他人の設定が入っている。
誰が入れたのかも、いつ入れたのかも、わからない。
第三章 常連が数えるもの
銭湯に、毎日来る常連がいる。
七十を過ぎた、元・大工の、田所さんだ。
田所さんは、風呂に来た日を数えている。
今月は二十七日、先月は二十九日。
一日でも休むと、もったいないと言う。
湯に浸かりながら、指を折って、数えている。
悪気はない。
わたしを見ると、いつも、軽く手を挙げてくれる。
わたしは、いかりが来た日の数を数えている。
数えたくて数えているのではない。
来ると、覚えてしまう。
六十年ぶんが、頭のどこかに積んである。
何の役にも立たないし、誰にも渡せない。
同じ番台の前を通る二人が、まったく別のものを数えていた。
田所さんの数字は、湯の温もりと一緒に、残る。
わたしの数えているものは、どこにも書けない。
一度だけ、田所さんに話したことがある。
湯を抜くときな、変な感じになるんです、と。
田所さんは、あんたも年やなあ、と笑った。
それで終わった。
説明のつかないものを人に話すと、必ず、いちばん近い説明が返ってくる。
年のせい。
疲れ。
寒いから。
どれも近いが、どれも違う。
近いものを渡されるたびに、わたしは少しずつ黙るようになった。
黙るのは、諦めたからではない。
言えば言うほど、自分の中の本当のかたちが、削られていく気がしたからだった。
田所さんは、それを知らないまま、湯を抜く時刻には、いつも先に帰ってくれる。
それで、十分だと思っている。
第四章 誰も知らなかった
原因は、探した。
まず、先代の主人に聞いた。
先代は、九十を過ぎて、いまも、二階に住んでいる。
この銭湯で、湯にまつわる事故や、怖い話が、昔あったか、と聞いた。
先代は、ゆっくり首を振った。
いつもの、ゆっくりした仕草だった。
そんなもん、ひとつもないわ、と言った。
戦争のときも、空襲のときも、この風呂は、町の人の、避難場所になった。
けれど、誰も、悪い思いをしなかったと、先代は言った。
古い常連にも、聞いて回った。
誰も、そんな話は、知らなかった。
五十のとき、病院にも行った。
耳の検査も、頭の検査も、異常はなかった。
紹介された心療内科で、水の音に過敏なのかもしれないと言われた。
けれど、それ以上のことは、言われなかった。
医者は、最後にこう言った。
原因が、特定できないものも、あります。
わたしは、その言葉を、帰りの電車の中で、何度も思い出した。
匙を投げた言葉ではなかった。
誠実な言葉だと思った。
それでも、帰り道は重かった。
原因がわかれば、対処ができる。
対処ができなくても、名前がつけば、それを持って生きていける。
名前のないものを六十年抱えるというのは、そのどちらでもない場所に、居続けることだった。
今世には、何もない。
生まれてから六十二年のどこにも、あの音に対応する出来事はない。
探し方が足りないのではない。
単に、ない。
誰も、証言できない。
第五章 連れて歩く
五十五を過ぎて、わたしは探すのをやめた。
やめると決めたわけではない。
ある夜、湯を抜いたあと、洗い場に座って、ふと思ったのだ。
これは、湯気みたいなものかもしれない。
湯気に、原因を探す人はいない。
立つとわかっているから、窓を開けて、拭いて、消えるのを待つ。
恨まないし、なくそうともしない。
来なくなったわけではない。
いまも、同じように来る。
強さも、変わらない。
変わったのは、来ているあいだに「なぜ」と考えなくなったことだけだ。
戸惑いは、減らない。
来るたびに、わたしは戸惑う。
どうして、と思う。
けれど、戸惑うことも含めて、これがわたしだと、少しだけ思えるようになった。
わからないまま、戸惑いながら、連れて歩く。
それが、六十二年のあいだに、わたしにできるようになったことだった。
洗い場のタイルが、ひんやりと冷たかった。
窓の外は、まだ、暗いままだった。
エピローグ
翌日の夜も、わたしは、最後の客を見送った。
番台を降りて、浴場の扉を開けた。
湯気が、白く残っていた。
わたしは、浴槽の、底の栓に、手をかけた。
引き抜いた。
湯が、ごぼごぼと、抜けはじめた。
来た。
腹の底が、ぐっと熱くなった。
相手はいない。
理由もない。
わたしは、逃げなかった。
浴槽のふちに、そっと、腰を下ろした。
足を、抜けていく湯の中に、浸したまま、渦を見ていた。
三分ほどで、引いていった。
何も解決していない。
明日も、来年も、また来る。
わたしは、洗い場の湯桶を、一つずつ、伏せていった。
木の湯桶が、乾いた音を立てて、タイルの上に、並んだ。
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