2_窓にぶつかる音
窓ガラスに鳥がぶつかる音を聞くと、理由のわからないいかりが腹の底から来る司書。母にも同僚にもカウンセラーにも聞いたが、今世に原因はない。答えは出ない。誰も証言できない。探すのをやめ、わからないまま連れて歩く。

朗読で聴く
第一章 四月の図書館
茨城の小さな町の図書館で、司書をしている。
わたしは四十三になる。
この仕事について、十九年になる。
町の中心から外れた、川沿いの丘の上に、図書館がある。
二階建ての、白い建物だ。
一階が児童室で、二階が一般書のフロアになっている。
二階の奥に、大きな窓がある。
窓の外には、桜の木が並んでいて、その向こうに、川が見える。
四月の、はじめの月曜日だった。
桜は、満開を少し過ぎていた。
花びらが、風に乗って、窓の外を、ゆっくり流れていた。
館内は、静かだった。
開館してまもない時間で、利用者は、まばらだった。
わたしは、返却台の前で、返ってきた本を、棚の順に並べていた。
一冊ずつ、背表紙の番号を確かめて、小さな台車に積んでいく。
単調な作業だが、嫌いではない。
本には、その人の手の跡が残っている。
返ってきた本に、ときどき、押し花が挟まっている。
乾いた桜の花びらが、頁のあいだで、薄い茶色になっている。
それを、そっと抜いて、返却台の隅に並べておく。
折れた頁、挟まれた栞、濡れたような染み。
貸し出した人の暮らしが、少しだけ、のぞける。
そのとき、窓のほうで、どん、と音がした。
鳥が、ガラスにぶつかった音だった。
その音を聞いた瞬間、腹の底が、ぐっと熱くなった。
第二章 頭は静かで
それは、まぎれもなく、いかりだった。
わたしは、台車の取っ手を、握りしめた。
相手はいない。
誰かに腹を立てたわけではない。
鳥にも、窓にも、図書館にも、いかりの向かう先がない。
向かう先のないものが、腹の底にだけ、はっきりとある。
窓の下で、鳥が、一羽、動かなくなっていた。
小さな、灰色の鳥だった。
しばらくして、羽を震わせて、飛び去っていった。
無事だった。
わたしの腹の熱さは、それでも、すぐには引かなかった。
三分ほど、台車の横に立っていた。
その音が来るのは、この日が初めてではない。
子どものころから、窓ガラスに鳥がぶつかる音を聞くと、いつも、来た。
実家の居間の窓に、よく鳥がぶつかった。
そのたびに、わたしは立ち上がって、台所に隠れた。
母に、どうしたのと聞かれた。
わからない、と答えた。
本当に、わからなかった。
頭は、いつも、静かだ。
鳥が窓にぶつかるのは、ありふれたことだと、知っている。
鳥が、無事に飛んでいくことも、知っている。
それなのに、体のほうが、先に動く。
音が意味になる前に、もう、腹の底が動いている。
わたしは、ときどき、この体の中に、わたしの知らない部屋があるように感じる。
その部屋の扉が、鳥の音で、勝手に開く。
何がしまってあるのかは、わからない。
扉の鍵は、渡されていない。
第三章 息子が数えるもの
息子のこうたは、六年生になった。
夫とは、こうたが三歳のときに別れた。
いまは、二人で暮らしている。
こうたは、数を数えるのが好きな子だ。
学校の図書室の貸出冊数を、毎月、ノートに書いている。
クラスで誰がいちばん読んでいるか。
去年より、増えたか、減ったか。
母さんの図書館は、何冊借りられたの、と聞かれる。
わたしは、いかりが来た日の数を数えている。
数えたくて数えているのではない。
来ると、覚えてしまう。
四十年ぶんが、頭のどこかに積んである。
何の役にも立たないし、誰にも渡せない。
同じ家に暮らしている母と子が、まったく別のものを数えていた。
こうたの数字は、ノートに残り、先生に褒められる。
わたしの数えているものは、どこにも書けない。
一度だけ、こうたに聞かれたことがある。
母さんは、鳥がぶつかると、どうして怖い顔になるの、と。
わたしは、説明しようとして、途中でやめた。
怖いのではない。
いかっているのだと言えば、誰に、と聞かれる。
誰にでもない、と答えれば、じゃあ、いかりじゃないんじゃないの、という話になる。
そこから先に進んだことが、一度もない。
説明のつかないものを説明しようとすると、必ず、言葉が足りなくなる。
足りない言葉で話すと、相手は、いちばん近い既製品を出してくる。
鳥が苦手、びっくりしやすい、疲れている。
どれも近いが、どれも違う。
近いものを渡されるたびに、わたしは少しずつ黙るようになった。
黙るのは、諦めたからではない。
言えば言うほど、自分の中の本当のかたちが、削られていく気がしたからだった。
こうたは、それを察して、聞くのをやめた。
代わりに、鳥のぶつかる音がしたときは、そっと、わたしの袖を引くようになった。
あの子なりの、やさしい対応だったと思う。
第四章 誰も知らなかった
原因は、探した。
まず、母に聞いた。
小さいころ、鳥にまつわる怖いことはなかったか、と。
母は、ないよ、と言った。
事故も、事件も、鳥が窓にぶつかって誰かが怪我をしたという話も、この家には縁がなかった。
同じ図書館で働く先輩にも、聞いた。
先輩は、本の話はよく知っているが、そんな話は、知らなかった。
三十代のとき、カウンセリングを受けた。
幼いころの記憶を、一つずつ辿った。
鳥の出てくる記憶は、いくつかあった。
けれど、どれも、ふつうの記憶だった。
カウンセラーは、半年たって、こう言った。
今のところ、はっきりした原因は、見つかっていません。
わたしは、頷いた。
ただ、カウンセラーの部屋の窓に、鳥の影が横切ったとき、わたしは息を止めた。
影だけで、腹の底が、少し動いた。
期待していたわけではない。
けれど、帰り道の坂が、いつもより長く感じた。
原因がわかれば、対処ができる。
対処ができなくても、名前がつけば、それを持って生きていける。
名前のないものを四十年抱えるというのは、そのどちらでもない場所に、居続けることだった。
今世には、何もない。
生まれてから四十三年のどこにも、あの音に対応する出来事はない。
探し方が足りないのではない。
単に、ない。
誰も、証言できない。
第五章 連れて歩く
四十を過ぎて、わたしは探すのをやめた。
やめると決めたわけではない。
ある日の夕方、閉館の作業をしながら、ふと思ったのだ。
これは、春の花粉みたいなものかもしれない。
花粉に、原因を探す人はいない。
来るとわかっているから、マスクをして、窓を閉めて、過ぎるのを待つ。
恨まないし、治そうともしない。
来なくなったわけではない。
いまも、同じように来る。
強さも、変わらない。
変わったのは、来ているあいだに「なぜ」と考えなくなったことだけだ。
戸惑いは、減らない。
来るたびに、わたしは戸惑う。
どうして、と思う。
けれど、戸惑うことも含めて、これがわたしだと、少しだけ思えるようになった。
わからないまま、戸惑いながら、連れて歩く。
それが、四十三年のあいだに、わたしにできるようになったことだった。
閉館の時刻になって、館内の灯りを一つずつ消した。
窓の外は、桜の影が、暗く揺れていた。
エピローグ
翌朝、わたしは、また二階の奥の窓の前を通った。
返却台の本を、棚に戻していた。
どん、と音がした。
鳥が、ガラスにぶつかった。
来た。
腹の底が、ぐっと熱くなった。
相手はいない。
理由もない。
わたしは、本を抱えたまま、その場に立っていた。
台所に隠れることも、袖を握ることも、しなかった。
ただ、過ぎるのを待った。
三分ほどで、引いていった。
窓の下の鳥は、やがて、飛び去った。
何も解決していない。
来月も、来年も、また来る。
階段の下から、こうたの声がした。
母さん、お昼、と呼んでいる。
わたしは、本を棚に戻して、階段を下りていった。
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