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9_窯を開ける朝

喜びの足りない人間と思ってきた陶工に、窯開けに通う客が、窯を開けて黙って立つ背中を見に来ていると差し出す。声が出なかったのは喜びが声より大きかったからだった。

9_窯を開ける朝

朗読で聴く

第一章 二月の登り窯

佐賀の山あいの町で、焼き物を焼いている。

わたしは五十五になる。

陶工になって、三十五年がたった。

工房の裏の斜面に、登り窯がある。

山の傾きに沿って、いくつもの部屋が、階段のように、連なっている。

窯の煙突は、山の上に、細く、突き出している。

焼いている間は、そこから、白い煙が、空へ、まっすぐ立ちのぼる。

薪を焚いて、三日三晩かけて、焼く。

焼き終わったあと、窯が冷めるまで、四日、待つ。

四日の間、わたしは、工房の掃除と、土づくりに、没頭する。

待つ間の、そわそわした気持ちを、土にぶつけるのだ。

待っているあいだ、わたしは、窯の前に、近づかない。

そのあいだに、何が起こっているのか、わたしには、わからない。

火が、土に、何を描いたのか。

窯を開けるまで、誰にも、わからないのだ。

二月の、冷たい朝だった。

山には、うっすらと、霜が降りていた。

吐く息が、朝日の中で、白く、ほぐれていった。

登り窯の前に、わたしは、立っていた。

窯の戸は、土で塗り固められている。

それを、一つずつ、崩していく。

その朝は、一人の客が、窯開けの立ち会いに来ていた。

東京から来た、六十代の男の人だ。

毎年、この季節に、窯開けの朝だけ、この工房を訪ねてくる。

作品を買いに来るわけではない。

ただ、窯を開ける瞬間を、見に来るのだという。

わたしは、客に会釈をした。

客は、窯から、少し離れた石の上に、静かに座った。

何も言わずに、わたしの手元を、見ていた。

第二章 わからない人

わたしは、焼き物の師匠である、父を、早くに亡くした。

父は、窯を開けるたびに、大声で、笑った。

その笑い声が、山じゅうに、こだました。

近所の人が、笑い声を聞いて、窯開けだと、気づいたという。

出た、出た、と、子どものように、はしゃいだ。

弟子たちは、その声を聞いて、一緒に喜んだ。

それが、この工房の、窯開けだった。

わたしは、その窯を、父の死後に、継いだ。

けれど、わたしには、父のような、はしゃぎ方が、できなかった。

窯を開けると、息が止まる。

声が、出ない。

焼き上がりが、よくても、悪くても、同じだ。

ただ、黙って、立っている。

弟子たちは、わたしの背中を見て、困った顔をした。

そのうち、誰も、窯開けの朝に、近づかなくなった。

わたしは、一人で、窯の前に、立つようになった。

先生は、うれしくないんですか、と聞かれたこともある。

わたしは、答えられなかった。

その弟子たちは、一人ずつ、工房を去っていった。

いまは、わたし一人だ。

父の窯開けの笑い声が、いまでも、耳の奥に、残っている。

それに比べて、わたしの窯開けは、あまりに、静かだ。

喜びが、足りないのだ、と思ってきた。

父のように、焼き物を、心から、愛していないのだと。

同じ町に、若い陶工がいる。

四十になったばかりの、田口という男だ。

田口は、窯を開けるたびに、ほがらかに、笑う。

SNSで、その様子を発信して、たくさんの人に、見られている。

わたしは、そういうことは、できない。

第三章 窯の戸

その朝、わたしは、窯の最後の戸を、崩した。

中から、冷たい空気が、ふわりと、流れ出した。

暗い窯の中に、朝の光が、細く、差し込んだ。

埃が、光の中で、ゆっくり、舞っていた。

窯の中には、焼けた土の、懐かしい匂いが、こもっていた。

棚板の上に、皿が、並んでいた。

釉薬をかけない、素焼きのままの皿だ。

薪の灰が、皿の上に、降りかかっていた。

その灰が、火の中で、溶けて、皿の表面に、模様を描いていた。

わたしは、息を止めた。

皿の上に、青みがかった、淡い緑の、流れが、あった。

まるで、小さな川が、皿の上を、静かに、流れているようだった。

何度見ても、同じ模様は、二つと、ない。

それが、火が、わたしにくれる、贈り物だった。

誰も、描いたわけではない。

火が、灰が、土が、三日三晩かけて、描いたものだった。

わたしは、その皿を、じっと、見つめた。

声は、出なかった。

息を呑む音が、窯の中に、響いた。

わたしは、その場に、立ちつくした。

どれくらい、時間がたったのか、わからない。

背中のほうで、客が、石から、立ち上がる気配がした。

わたしは、振り向かなかった。

第四章 客の話

日が高くなったころ、わたしは、窯の前で、皿を一枚ずつ、運び出していた。

客が、わたしの隣に、来た。

見事ですね、と、小さな声で言った。

わたしは、頭を下げた。

客は、皿を、しばらく、見つめた。

それから、深く、息を吐いた。

それから、わたしの顔を、見て、言った。

実は、お話ししたいことが、あるんです。

わたしは、うなずいた。

客は、静かに、続けた。

わたしは、東京で、長いこと、会社を経営していました。

毎日、数字と、人間関係に、追われていました。

四年前に、病気をして、すべてを、手放しました。

それで、何をしていいか、わからなくなったんです。

あるとき、旅の途中で、この工房の窯開けを、たまたま、見ました。

あなたが、窯の前に立って、黙って、皿を見つめている背中を、見たんです。

その背中を見て、思いました。

ああ、この人は、一番大切なものを、いま、見つけているんだって。

わたしは、その背中に、何かを、教えてもらった気がしたんです。

喜びというのは、声に出すものではなかったんだって。

それ以来、毎年、この朝だけ、この工房に、来ています。

窯を開けて、黙って立つ、あなたの背中を、見に来ているんです。

わたしは、何も、言えなかった。

客は、深く、頭を下げた。

ありがとうございます、と言った。

わたしは、慌てて、頭を下げ返した。

山の上で、冬の鳥が、ひとつ、鳴いた。

第五章 背中の喜び

その夜、わたしは、工房の縁側で、冷えた茶を飲みながら、星を見ていた。

山の闇は、深くて、静かだった。

遠くの、谷のほうから、犬の遠吠えが、かすかに、聞こえた。

自分は、喜びの足りない人間だと思ってきた。

父のように、焼き物を、愛していないのかもしれないと。

でも、そうではなかった。

声が出なかったのは、喜びがなかったからではなかった。

喜びが、声より、大きかったからだった。

窯の中の皿に、立ち会えた。

その喜びは、わたしの背中に、そのまま、出ていた。

それを、見ていた人が、いた。

その人は、背中を見て、何かを、受け取っていた。

父の笑い声は、父の喜びの形だった。

わたしの沈黙は、わたしの喜びの形だった。

田口の笑顔は、田口の形だった。

どれも、焼き物への、愛だった。

星が、二月の空に、澄み切って、光っていた。

わたしは、長いこと、その星を、見上げていた。

エピローグ

次の年の二月、窯を焼いて、四日、待った。

窯の戸の前に、わたしは、立った。

客が、石に、座っていた。

わたしは、土の戸を、崩した。

冷たい空気が、流れ出した。

窯の中に、朝の光が、差し込んだ。

皿が、並んでいた。

わたしは、息を止めた。

今年も、声は、出なかった。

けれど、わたしは、隠さなかった。

背中を、そのまま、客に、向けた。

やがて、わたしは、皿を一枚、両手で、持ち上げた。

それから、振り向いた。

客のほうへ、皿を、差し出した。

客は、目を見開いた。

それから、両手で、そっと、皿を受け取った。

客の手が、わずかに、震えていた。

わたしの口のはしが、ゆっくり、上がった。

ソウルミッション358

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