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7_巣箱の前の背中

無口で子どもに何も伝えられないと思ってきた巣箱の調査員に、小学校の先生が、見せたいのは巣箱でも卵でもなくあなたの背中だと差し出す。声が出なかったのは喜びが声より大きかったからだった。

7_巣箱の前の背中

朗読で聴く

第一章 三月の山

山口の山の麓で、野鳥の巣箱を見て回っている。

わたしは五十八になる。

県の野鳥の会の、調査員になって、二十六年がたった。

山の斜面の林に、百二十ほどの巣箱を、掛けてある。

巣箱は、杉の板で、手作りしたものだ。

どれも、わたしが、一つずつ、釘を打って、作った。

春になると、小さな鳥たちが、その箱に、巣を作る。

わたしの仕事は、巣箱を一つずつ、開けて、中を確かめることだ。

卵が、何個あるか。雛が、生まれているか。

それを、記録して、毎年の数を、積み重ねていく。

三月の、はじめの朝だった。

山は、まだ、冬の名残りを、抱えていた。

斜面には、霜柱が、立っていた。

靴の下で、さくさくと、小さな音がした。

木の枝は、裸のままで、風が、冷たかった。

けれど、日なたの斜面には、梅の花が、ほころびはじめていた。

その日は、地元の小学校の、遠足の日だった。

六年生の子どもたちが、二十人ほど、先生に連れられて、山に登ってきた。

先生は、四十代の、女の人だ。

毎年、卒業前に、この山に、子どもたちを連れてくる。

わたしは、子どもたちに、巣箱の話をした。

鳥が、どうやって巣を作るか。卵は、どんな色をしているか。

子どもたちは、あまり、興味がなさそうだった。

一人の男の子は、あくびを、噛み殺していた。

女の子たちは、小声で、おしゃべりをしていた。

寒さで、肩をすくめて、足踏みをしていた。

わたしは、話を切り上げて、巣箱のほうへ、向かった。

最初の一つは、斜面の、いちばん下の、杉の木に、掛けてあった。

第二章 無口な調査員

わたしは、昔から、無口な人間だ。

子どもと話すのは、特に、苦手だ。

何を言えば、いいのか、わからない。

先生の隣で、子どもたちに、巣箱の説明をするたびに、わたしは、自分の声が、固くなるのを感じる。

言葉が、どんどん、短くなる。

最後には、何も言えなくなって、ただ、立っているだけになる。

先生は、毎年、そんなわたしを、やさしく見ていた。

けれど、きっと、がっかりしているのだろうと、思っていた。

子どもたちに、何も、伝えられていない。

わたしが、案内しても、意味がないのではないか。

もっと、話の上手な人に、頼んだほうが、いいのではないか。

そう思いながら、毎年、断れずに、案内を、引き受けてきた。

同じ会に、若い調査員がいる。

三十代の、藤田という男だ。

藤田は、話が、うまい。

その声は、よく通って、明るい。

子どもたちは、藤田の話になると、身を乗り出して、聞く。

子どもたちを、笑わせながら、鳥の話を、してくれる。

藤田は、観察した鳥の種類の数を、毎年、数えている。

わたしは、数えない。

巣箱を開けて、中を見て、記録するだけだ。

第三章 巣箱を開ける

その朝、わたしは、杉の木の前で、足を止めた。

子どもたちが、後ろに、集まっていた。

わたしは、巣箱の蓋に、手をかけた。

そっと、開けた。

中を、のぞいた。

小さな、丸い巣が、そこにあった。

苔と、羽毛と、細い枯れ草で、編まれていた。

その真ん中に、三つの卵が、寄り添っていた。

母鳥は、巣を、留守にしていた。

あたりの木の枝に、様子をうかがう、小さな影が、止まっていた。

淡い、青みがかった白い卵だった。

シジュウカラの、卵だった。

わたしは、息を止めた。

二十六年、同じ作業を、何千回も、繰り返してきた。

けれど、その朝の卵は、ことのほか、美しかった。

三つの卵が、静かに、生きていた。

その中で、小さな命が、鼓動を、打っている。

わたしは、声が、出なかった。

息を呑む音が、喉の奥で、小さく鳴った。

わたしは、その場に、立ちつくした。

後ろで、子どもたちの、ざわめきが、消えた。

風が、止んだ。

鳥の声も、遠くの、ひとつだけに、なった。

風が、枝を、そっと、揺らした。

わたしは、振り向かなかった。

第四章 先生の話

遠足の帰り際、先生が、わたしのところへ、来た。

子どもたちは、先に、山を降りていった。

先生は、わたしの隣に、立って、巣箱を見上げた。

先生の髪が、風で、すこしだけ、揺れた。

それから、静かに、言った。

今年も、ありがとうございました。

わたしは、頭を下げた。

つまらない案内で、すみません、と言った。

先生は、首を振った。

違うんです、と言った。

わたし、実は、毎年、この遠足に、理由があって。

わたしは、聞き返した。

理由、ですか。

先生は、うなずいた。

子どもたちに、見せたいのは、巣箱でも、卵でもないんです。

わたしは、驚いた。

先生は、続けた。

あなたの、背中なんです。

巣箱を開けて、じっと、中を見つめる、あの背中。

何も言わずに、息を止めて、立っている、あの背中。

子どもたちは、鳥の話は、すぐに、忘れます。

でも、あの背中は、忘れないんです。

卒業して、十年たっても、あの山の、あの人の背中の話を、してくれる子が、いるんです。

大切なものを前にしたとき、人は、こんなふうに、黙るんだって。

わたしが、教室で、百回言っても、伝わらないことが、あの背中に、全部ある。

だから、毎年、連れてくるんです。

わたしは、何も言えなかった。

先生は、小さく頭を下げて、子どもたちを、追いかけていった。

第五章 黙る理由

その日の夕方、わたしは、山の斜面に、一人で、座っていた。

足もとの枯れ草が、夕日を受けて、金色に光っていた。

夕日が、遠くの海に、落ちかけていた。

自分は、無口で、人に何も伝えられない人間だと、思ってきた。

子どもに、話もできない、下手な案内人だと。

でも、そうではなかった。

声が出なかったのは、言葉が足りなかったからではなかった。

卵を見つけた喜びが、声より、大きかったからだった。

その喜びは、わたしの背中から、子どもたちの中へ、静かに、渡っていた。

言葉で教えられないものを、わたしは、黙ることで、渡していた。

藤田の話は、藤田の贈り物だ。

わたしの沈黙は、わたしの贈り物だった。

どちらも、子どもたちの、心に、残るものだった。

夕日が、海に沈んで、空が、薄い紫に、染まった。

山の林で、小さな鳥が、ひとつ、鳴いた。

わたしは、立ち上がって、巣箱の列を、見渡した。

エピローグ

翌年の三月、先生が、また、子どもたちを、連れて来た。

わたしは、斜面の下で、待っていた。

子どもたちは、去年より、少し、静かだった。

わたしは、最初の巣箱の前に、立った。

子どもたちに、振り向いて、言った。

いまから、巣箱を、開けます。

誰も、何も言わなくていい。

ただ、見ていてください。

子どもたちは、うなずいた。

先頭の女の子の、手袋が、ぎゅっと、握りしめられていた。

わたしは、巣箱の蓋に、手をかけた。

そっと、開けた。

中に、四つの卵が、あった。

わたしは、息を止めた。

子どもたちも、息を止めた。

二十人の息が、一つに、重なった。

風が、枝を、揺らした。

誰かが、小さく、ああ、と言った。

先生が、わたしを見て、口の動きだけで、ありがとう、と言った。

ソウルミッション358

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