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3_たからものの息

地味な仕事と思ってきた化石の発掘技師に、見学の子どもが、息の音が宝物を見つけたみたいだったと差し出す。声が出なかったのは喜びが声より大きかったからだった。

3_たからものの息

朗読で聴く

第一章 崖の発掘

宮城の海辺の崖で、化石を掘っている。

わたしは五十八になる。

地元の博物館の、発掘技師になって、三十一年がたった。

崖は、海に面して、そそり立っている。

波が、崖の足もとを、ゆっくり、洗っている。

潮の匂いが、石の匂いと、混じり合っている。

その崖の中に、二千万年前の海の底が、そのまま埋まっている。

貝や、魚の骨や、木の葉が、地層に挟まって、眠っている。

わたしの仕事は、それを、傷つけずに、掘り出すことだ。

道具は、小さなハンマーと、細いたがねと、筆だ。

ハンマーは、父の形見だ。

柄が、わたしの手の形に、すり減っている。

石を、数ミリずつ、割っていく。

一日に進むのは、手のひら一枚ぶんにも、満たない。

四月の朝、崖には、春の風が吹いていた。

海は、おだやかに、青く光っていた。

遠くで、漁船が、ゆっくり、動いていた。

カモメが、風に乗って、崖の上を、ゆるやかに、回っていた。

その日は、地元の小学校の、見学の日だった。

四年生の子どもたちが、二十人ほど、崖の下に集まってきた。

先生に連れられて、わたしの作業を、見に来たのだ。

わたしは、子どもたちに、化石の話をした。

それから、作業に戻った。

子どもたちは、少し離れた場所から、黙って、わたしの手元を見ていた。

みんな、帽子をかぶって、水筒を、首から、ぶら下げていた。

その中に、小さな女の子が、一人いた。

列のいちばん前で、地べたにしゃがみ込んで、動かなかった。

第二章 地味な仕事

化石の発掘は、地味な仕事だ。

何日掘っても、何も出ない日が、ほとんどだ。

出るのは、ただの石と、砂と、泥だけ。

それを、黙って、毎日、割っていく。

石は、硬くて、冷たい。

ときどき、ハンマーの音が、崖に、はね返る。

大学の同期は、みんな、研究者になった。

論文を書いて、学会で発表して、名前が、世に出た。

わたしは、現場に残った。

掘り出した化石は、博物館の棚に、並ぶ。

けれど、その下に、わたしの名前は、書かれない。

掘った人間の名前など、誰も、気にしない。

それが、この仕事だ。

わたしは、それで、かまわないと思ってきた。

同じ現場に、若い技師がいる。

二十八になる、石田という男だ。

石田は、掘った化石の数を、毎日、数えている。

今日は三点、今週は十二点、と、手帳に書く。

わたしは、数えない。

数えるものが、ないのだ。

掘るのは、石の中から、一点を、出すことだけだ。

一点を出すのに、何か月も、かかることがある。

数えようにも、数が、少なすぎる。

第三章 巻き貝

その日の午後、わたしは、崖の下の、岩棚に、膝をついていた。

たがねの先で、石を、ゆっくり、割っていた。

石の中から、何かが、のぞいた。

砂を、ふっと、吹いた。

細かな粒が、春の光の中に、きらきらと、舞った。

白い、小さな、渦のようなものだった。

わたしは、手を止めた。

筆で、そっと、砂を払った。

渦が、少しずつ、姿を現した。

巻き貝だった。

指の先ほどの、小さな巻き貝が、石の中から、顔を出していた。

殻の、細かな筋が、一本一本、はっきり見えた。

筋は、まるで、誰かが、針で描いたように、整っていた。

二千万年前の、貝だった。

指先で触れると、氷のように、冷たかった。

その冷たさの中に、二千万年が、そのまま、封じ込められていた。

その貝が、生きていたとき、海は、いまよりも、あたたかかった。

貝は、波に揺られながら、ゆっくり、砂を、這っていたのだろう。

その貝を、見る人間が、二千万年後に、現れるとは、思いもしなかっただろう。

貝は、砂の上を這い、波に揺られて、暮らしていたのだ。

それが、いま、わたしの目の前に、そのままの形で、あった。

わたしは、息を止めた。

声は、出なかった。

息を呑む音が、わたしの喉の奥で、ひゅっと、鳴っただけだった。

その音は、自分でも、驚くほど、大きかった。

わたしは、その場に、動けなくなった。

背後で、子どもたちが、ざわついた。

その中に、小さな、息をのむ音が、ひとつ、混ざっていた。

先生が、静かに、と言った。

わたしは、振り向かなかった。

第四章 女の子の話

夕方、子どもたちは、バスで、学校へ帰っていった。

バスのエンジンの音が、遠ざかるまで、わたしは、崖の下に、立っていた。

わたしは、崖の下で、道具を片づけていた。

足音が、背中のほうで、聞こえた。

小さな女の子が、立っていた。

さっき、列のいちばん前にいた、あの子だった。

どうしたの、と聞いた。

忘れ物をしたって、先生に言って、戻ってきたの、と女の子は言った。

わたしは、驚いた。

女の子は、わたしを、まっすぐに見て、言った。

おじさん、お昼すぎに、貝を見つけたでしょう。

わたしは、うなずいた。

見てたの、と女の子は言った。

一番前で、ずっと。

おじさんの息の音が、聞こえたの。

ひゅって。

すごい音だった。

たからものを見つけたみたいだった。

わたしは、聞き返した。

たからものみたいだった?

うん、と女の子は、にっこり笑った。

おじさん、貝を見つけたとき、世界でいちばん、嬉しそうだった。

わたし、あの音を、忘れない。

女の子は、小さく、手を振って、バスのほうへ、走っていった。

わたしは、その背中を、見送った。

バスの窓から、他の子どもたちが、手を振っていた。

夕日が、崖を、橙色に染めていた。

第五章 息の音

その夜、わたしは、官舎の窓辺で、海の音を聞いていた。

波は、夜になっても、休まずに、崖を洗っていた。

二千万年前も、きっと、同じ音だったのだと思った。

自分は、化石を掘るだけの人間だと思ってきた。

名前も残らず、誰にも、喜んでもらえない仕事だと。

でも、そうではなかった。

あの息の音は、ただの息ではなかった。

わたしの、いちばん奥の喜びが、声にならずに、漏れた音だった。

それを、ひとりの子どもが、聞いていた。

たからものみたいだった、と言ってくれた。

掘った人間の名前は、残らない。

でも、掘った人間の喜びは、その場にいた誰かの中に、残るのだ。

石田の数える化石の数は、石田の誇りだ。

わたしの息の音は、わたしの誇りだった。

窓の外で、波が、夜の砂を、洗っていた。

わたしは、明日、あの貝を、慎重に、崖から外すつもりだった。

手が、少し、震えていた。

エピローグ

一か月後、博物館の展示室の棚に、あの巻き貝が、並んだ。

ガラスの向こうで、貝は、静かに、光を受けていた。

白い布の上に、小さく、置かれていた。

その下の札には、発見者の名前は、書かれていない。

開館の日、わたしは、展示室の隅に、立っていた。

小学生の列が、入ってきた。

あの女の子が、その中にいた。

棚の前で、立ち止まった。

貝を、じっと見た。

それから、顔を上げて、わたしを探した。

目が合った。

女の子は、人さし指を、自分の口の前に立てた。

それから、にこっと笑って、胸の前で、小さく、手を握りしめた。

わたしは、同じように、人さし指を、口の前に立てた。

そして、同じように、笑った。

ソウルミッション358

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