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4_白いタオルの重さ

お産の前の手の震えを向いていない証拠と恥じてきた助産師に、産婦が、震えた手で取り上げてもらい大事な子だと伝わったと差し出す。震えは命への畏れだった。

4_白いタオルの重さ

朗読で聴く

第一章 夜明けのお産

鳥取の海沿いの町の、小さな助産院で働いている。

わたしは三十八になる。

助産師になって、十五年がたった。

今の助産院に来て、六年になる。

院長の先生は、六十九になる女の人で、この町で、三千人の赤ん坊を取り上げたと聞いた。

銀色の髪を、小さくまとめた、小柄な人だ。

声は、低く、ゆっくりしている。

五月の朝、まだ暗いうちに、電話が鳴った。

妊婦の美穂さんからだった。

二人目の出産で、陣痛が来たという。

わたしは、車で、十分ほどの助産院へ向かった。

海のほうが、白みはじめていた。

潮の匂いが、窓から、入ってきた。

遠くで、漁船のエンジンの音が、聞こえていた。

分娩室は、畳の部屋だった。

壁に、古い、木の時計が、掛かっている。

針の音が、静かな部屋に、小さく響いた。

窓の外に、松の木が見えた。

風が、枝を、ざわりと揺らした。

畳の匂いと、お湯の匂いが、部屋に満ちていた。

わたしは、棚から、白いタオルを何枚か、出した。

産湯のあとに、赤ん坊を包むための、やわらかいタオルだ。

何度も洗って、ふんわりと、毛羽立っている。

わたしは、その一枚を、両手で受けて、膝の上に置いた。

何度も、洗って、乾かして、畳んだ。

わたしの仕事の、半分は、この布を、ととのえることだと思う。

手のひらに、軽く、あたたかさが残っていた。

指が、小さく震えているのを、わたしは、見ないふりをした。

第二章 震える手のひら

お産の前に、手が震えるのは、十五年、変わらない。

最初の年からだった。

院長の先生に、一度だけ、相談したことがある。

先生は、笑って、いいんだよ、と言った。

でも、わたしは、いいとは思えなかった。

助産師は、落ち着いた手で、赤ん坊を迎えるものだ。

迷いのない、まっすぐな手。

学校でも、先輩にも、そう教わった。

揺るがない、あたたかい手で。

わたしの手は、いつも、始まる前に、ふるえる。

赤ん坊が、出てくる、その直前に、特にひどい。

産道から、小さな頭が見えて、それから、体がすべり出てくる。

その瞬間、わたしは、両手を、差し出す。

震えたままの手を。

いつも、震えは、赤ん坊に触れる前に、止まる。

でも、止まる前の、あの数秒を、母親に見られていないかと、わたしは、いつも、怖かった。

産む人に、不安を与えてしまう。

頼りない助産師だと、思われてしまう。

わたしは、向いていないのだと、思っていた。

十五年、そう思いながら、続けてきた。

辞められなかったのは、赤ん坊の泣き声が、好きだったからだ。

第三章 向いていない

その朝のお産は、順調だった。

美穂さんは、二人目だけあって、落ち着いていた。

夫は、廊下で、待っていた。

落ち着かない足音が、行ったり来たりしている。

上の子は、祖母の家で、寝ている。

夜中に、そっと、連れて行かれたのだと、聞いた。

陣痛の波が、規則正しく、押し寄せた。

わたしは、美穂さんの腰を、さすった。

手のひらの下で、体が、大きくうねった。

命が、体の奥から、押し出されてくる。

その力の大きさに、わたしは、いつも、圧倒される。

大丈夫ですよ、と声をかけた。

声は、かすれていた。

朝の七時すぎに、赤ん坊の頭が、見えた。

わたしは、両手を差し出した。

手が、震えていた。

その手に、小さな体が、すべり込んだ。

重さが、手のひらに来た。

三千グラムほどの、あたたかい、濡れたもの。

一瞬、世界が止まった。

音が、消えた。

波の音も、松の枝の音も、聞こえなかった。

それから、産声が、上がった。

高い、強い、泣き声だった。

わたしは、その子を、白いタオルで、包んだ。

美穂さんの胸の上に、乗せた。

美穂さんは、涙を流して、笑っていた。

赤ん坊の頬を、指で、そっとなでた。

わたしは、窓の外を見た。

太陽が、海から、昇りかけていた。

その光の中で、わたしの手は、まだ、震えていた。

第四章 産婦の話

三日後、わたしは、美穂さんの家に、訪問した。

山の斜面の、小さな家だった。

庭に、洗濯物が、風に揺れていた。

産後の様子を、見に行く決まりだ。

玄関で、美穂さんが、迎えてくれた。

赤ん坊は、居間の布団で、眠っていた。

美穂さんは、お茶を出してくれた。

しばらく、体の調子の話をした。

傷の痛み。お乳の張り。夜泣きの回数。

美穂さんは、眠そうな目で、一つずつ、答えた。

それから、美穂さんは、ふと、言った。

あのね、先生。

わたしは、先生ではないんです、と言った。

美穂さんは、笑った。

でも、あなたに、お礼が言いたくて。

わたしは、頭を下げた。

美穂さんは、続けた。

上の子のときは、大きな病院で、産んだんです。

そのときの助産師さんは、とても手際が良くて、きれいで、堂々としていました。

全部、あっという間でした。

でも、わたし、あのとき、何も覚えていないんです。

わたしは、驚いた。

美穂さんは、眠っている赤ん坊を、見ながら言った。

今回は、違いました。

あなたの手が、赤ん坊を受けるとき、震えているのを、見たんです。

ほんの少しだけ。

それを見て、思いました。

ああ、この人は、この子が来たことを、こんなに大きなことだと、思ってくれているんだって。

それで、わたし、安心したんです。

震えるくらい、大事な子なんだなって。

わたしは、膝の上の手を、握りしめた。

美穂さんは、静かに言った。

あの震えが、この子の、最初の歓迎でした。

第五章 最初の歓迎

助産院に戻る道で、わたしは、海を見ていた。

十五年、わたしは、この震えを、恥じてきた。

向いていない証拠だと、思ってきた。

でも、そうではなかった。

それは弱さではなかった。

一つの命が来るという、自分よりはるかに大きなことの前で、ちゃんと畏れている手だった。

その畏れを、産む人は、見ていた。

堂々とした手よりも、震える手のほうが、あの人には、届いた。

わたしの欠点だと思っていたものが、あの母親にとっては、いちばん大きな、贈り物だった。

院長の先生が、いいんだよ、と言った意味を、そのとき、やっと、知った。

先生の手も、きっと、震えるのだ。

そう思うと、先生の、あの丸い背中が、急に、近くに見えた。

三千人の赤ん坊を、震えながら、取り上げてきたのだ。

わたしは、車を止めて、海に向かって、少しだけ、頭を下げた。

波の上に、朝の光が、細かく、砕けていた。

波が、静かに、寄せていた。

エピローグ

その夜、助産院の電話が、また、鳴った。

別の妊婦さんだった。

陣痛が始まったという。

わたしは、白衣に着替えて、棚から、タオルを出した。

ひと山の、洗いたてのタオルが、棚に、積まれていた。

どれも、日向の匂いがした。

やわらかく毛羽立った、白いタオルを、両手で、受けた。

指は、小さく、震えていた。

わたしは、その震えを、じっと見た。

隠さなかった。

院長の先生が、廊下から、わたしを見ていた。

何も言わず、小さく、うなずいた。

先生も、袖の中で、手を握っていた。

分娩室の窓の外で、夜の海が、黒く光っていた。

わたしは、タオルを、胸にだいて、部屋の戸を、開けた。

ソウルミッション358

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