3_朝までの芯切り
父の通夜で泣けなかった自分を冷たい人間だと責めた兄に、弟が、兄が朝まで芯を切って火を絶やさず、その音で眠れたと差し出す。泣けない欠点が弟のいちばんの安心だった。

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第一章 泣けなかった通夜
父が死んだのは、一月の、六日だった。
朝、仕事に出ようとして、玄関で、倒れた。
六十一だった。
心臓だと、医者が言った。
苦しむ間も、なかったと。
わたしは、三十三になる。
山形の、雪の多い町で、父の電気工事店を、手伝っていた。
高校を出てから、十五年、父の助手席に、座ってきた。
梯子を持つ。ケーブルを渡す。配線の図を、読む。
父は、教えるときも、あまり、しゃべらなかった。
背中を見て、覚えろ、という人だった。
従業員は、わたしと、あと二人。
弟は、仙台に出ていて、広告の会社に、勤めている。
二十八になる。
電話を受けたとき、弟は、会議の最中だったそうだ。
その日の夜に、車を飛ばして、帰ってきた。
玄関に入るなり、弟は、父の顔を見て、膝から崩れた。
声を上げて、泣いた。
何度も、父を呼んだ。
わたしは、その横に、立っていた。
涙が、出なかった。
どれだけ待っても、出なかった。
胸の中は、がらんとして、ただ、冷たく、固まっていた。
通夜の席で、親戚のおばさんが、小さな声で言うのを、聞いてしまった。
あの子は、泣かないのね。
お父さんの跡を、継ぐ子なのに。
わたしは、聞こえなかったふりをした。
第二章 長い夜
通夜の夜は、長かった。
弔問の人が、帰って、親戚が、奥の部屋で、休んだ。
母も、疲れて、横になった。
弟は、泣き疲れて、祭壇の前の、座布団に、丸くなって、眠ってしまった。
広い座敷に、起きているのは、わたしだけになった。
外では、雪が、降りつづけていた。
音のない、重い雪だった。
屋根から、ときどき、どさりと、落ちる音がした。
祭壇の、両側に、ろうそくが、立っていた。
父の遺影が、そのあいだで、少し笑っていた。
去年の正月に、撮った写真だ。
地元の、手作りの、ろうそくだった。
太くて、背が高い。
火が、ゆらゆらと、大きく、揺れる。
その火は、芯が伸びてくると、すすを出して、暗くなる。
父が、よく言っていた。
ろうそくの火は、芯を、こまめに切ってやらないと、泣くんだ、と。
父の仕事机の、引き出しに、芯切りが、あった。
長い、細い、黒い、鉄のはさみだ。
わたしは、それを、持ってきた。
火が、ぼうっと、暗くなるたびに、芯の先を、ぱちんと、切った。
弟を、起こさないように、ゆっくり、そっと。
火は、また、まっすぐに、立った。
わたしは、自分が、何をしているのか、よくわからなかった。
ただ、火を、消してはいけないと、思っていた。
それだけだった。
第三章 何もしていない
葬式が、終わった。
納骨も、すんだ。
一週間が、たった。
わたしは、また、仕事に出た。
現場は、待ってくれない。
父の電話番号に、かかってくる電話もある。
わたしが出て、父は亡くなりました、と言う。
その言い方だけが、何度言っても、うまくならなかった。
父がいなくなっても、電気は、点いたり、切れたりする。
でも、夜になると、一人で、考えた。
わたしは、父が死んで、泣けなかった。
弟は、泣いた。
母も、泣いた。
親戚も、来た人の、ほとんどが、泣いていた。
泣けなかったのは、わたしだけだ。
冷たい人間なのだと、思った。
あの人は、父の跡を継ぐのに、父のことが、そんなに、悲しくなかったのだと、思われても、仕方がない。
わたしだって、そう、思う。
あの通夜の夜、わたしは、何もしていない。
泣かなかった。
弟を、慰めもしなかった。
母に、声もかけなかった。
ただ、座っていた。
そのことが、胸の中で、石のように、重くなっていった。
弟とは、葬式のあと、あまり、話さなかった。
電話をしても、仕事の話ばかりだった。
元気かと聞くと、元気だと、答える。
それ以上は、続かなかった。
弟も、気まずそうだった。
わたしを、冷たいと、思っているのかもしれない。
そう思うと、顔を、見られなかった。
第四章 弟の話
一月の、終わりの日曜日だった。
弟が、仙台に、帰る前の日だった。
父の作業場で、二人で、道具を、片づけていた。
工具箱を、ひとつずつ、棚に戻していく。
脚立を、壁に、立てかける。
長い沈黙が、続いた。
雪かきの音が、外から、聞こえた。
弟が、不意に、言った。
兄ちゃん。
通夜の夜のこと、覚えてる?
わたしは、手を止めた。
何のことだと、聞いた。
俺、泣き疲れて、祭壇の前で、寝ちゃったろ。
まだ、喪服のままでさ。
あの夜。
わたしは、うなずいた。
弟は、工具箱を、持ったまま、続けた。
夜中に、一回、目が覚めたんだ。
部屋は、暗くて、でも、ろうそくの火は、ちゃんと、まっすぐ立ってた。
それで、音が、してた。
ぱちん、って。
ゆっくり、ときどき。
兄ちゃんが、芯を切ってる音だった。
俺、目を閉じたまま、それを、聞いてた。
弟は、わたしを、見なかった。
床を、見ていた。
あの音がしてるあいだは、父さんが、まだ、ここにいる気がした。
兄ちゃんが、起きてるって、わかった。
だから、安心して、また、寝られた。
父さんが死んでから、ちゃんと眠れたの、あの夜だけなんだ。
弟の声は、少し、震えていた。
兄ちゃんが泣かなかったのは、俺が、泣けるように、してくれたんだと思ってる。
わたしは、何も言えなかった。
棚の前で、工具箱を、持ったまま、立っていた。
第五章 火を守った手
弟が帰った夜、わたしは、作業場に、一人でいた。
引き出しを、開けた。
芯切りが、そこに、あった。
黒い、鉄のはさみ。
先のほうに、ろうの匂いが、残っていた。
父が、使った最後の夜の、匂いのような気がした。
父が、四十年、使ったはさみ。
刃の先が、少し、すり減っている。
手入れをすれば、まだ、使えそうだった。
にぎりに、父の指の形が、残っている気がした。
わたしは、通夜の夜のことを、毎日、思い出してきた。
泣けなかった自分を、毎日、責めてきた。
冷たい人間だと、決めてきた。
でも、そうではなかった。
泣けなかったことを責めながら、わたしは、あの夜、朝まで、火を守っていた。
責めて、固まったままの手が、ぱちんと、芯を切り続けた。
その音が、弟を、眠らせていた。
わたしが、いちばん、だめだと思っていた夜が、弟の、いちばん、安心できた夜だった。
わたしは、はさみを、握った。
そのとき、はじめて、涙が、出た。
声は、出なかった。
ただ、はさみの刃の上に、ぽたぽたと、落ちた。
エピローグ
しじゅうくにちの、法要の朝。
わたしは、仏壇の前で、ろうそくに、火をつけた。
新しい、太い、ろうそく。
弟が、仙台から、もう、戻ってきていた。
母と、親戚が、座敷に、並んだ。
お経が、始まった。
低い声が、座敷に、広がっていく。
雪は、降っていなかった。
窓から、白い日が、射していた。
しばらくして、火が、少し、暗くなった。
わたしは、立ち上がらなかった。
弟が、そっと、立った。
仏壇の、前に、行って、芯切りを、手に取った。
ぱちん。
火が、また、まっすぐに、立った。
弟は、はさみを、そっと、わたしの前の、畳の上に、置いた。
わたしは、それを、受け取って、膝の上に、のせた。
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