短いほうの名前
名前を呼ばれないこと

朗読で聴く
第一章 いいですよ
ドラガンは六十七になった。
八歳のときに、家族でこの国へ来た。
父は工場に入り、母は縫製の仕事をした。
二人とも、この国の言葉を最後まで完全には覚えなかった。
覚えなくても、工場と縫製の仕事は回った。
子どもだけが、外の言葉を先に覚えていく。
家の中と外で、使う言葉が分かれた。
名前も、そのとき分かれたのだと思う。
家では本名で呼ばれ、外では最後まで言ってもらえない。
八歳のドラガンは、それを不公平だとは思わなかった。
外の人が言いにくいのは、本当に言いにくいからだと分かっていた。
自分でも、友達の名前を何度か言い間違えていた。
言い間違えられるのは、めずらしいことではない。
めずらしくないことが四十年続くと、めずらしいことになる。
学校では、名前を最後まで言える先生が一人もいなかった。
言えないまま呼ばれるので、だんだん呼ばれなくなった。
呼ばれないと、こちらから前へ出るようになる。
手を挙げる。前の席に座る。名簿の順番を待たない。
そうしていれば、名前を呼ばれなくても用は足りる。
子どものころに覚えたやり方が、いまも残っている。
二十二で、最初の職場に入った。
初日に、上司が名簿を見て、少し止まった。
ドラガン、と読んで、それから顔を上げた。
ダンでいいか、と言った。
いいですよ、と答えた。
その二秒で、四十年が決まった。
悪意はまったく無かった。
こちらも、断る理由を思いつかなかった。
断ると、初日から面倒な人になる。
面倒な人にならないほうが、その日は大事だった。
その日が大事だったことは、いまでも間違いだと思っていない。
間違いだったのは、次の日も、その次の日も、同じ判断をしたことだ。
一日ぶんの判断を、四十年続けた。
途中で直す機会は何度もあった。
転職したときが二度、部署が変わったときが三度。
どこでも、初日に同じことを聞かれ、同じように答えた。
答え方だけが、少しずつ滑らかになった。
滑らかになるというのは、慣れるということだ。
慣れたものは、直す対象から外れる。
外れたものは、そのまま持って歩くことになる。
第二章 口
それから四十年、みんながダンと呼ぶ。
職場でも、近所でも、銀行でも。
自分で名乗るときも、ダンです、と言う。
口が先に短いほうを出す。
考えて選んでいるのではない。
本名を言うと、たいてい相手が一度止まる。
止まってから、聞き返される。
聞き返されると、こちらがもう一度言う。
その往復が三十秒ほどある。
三十秒を省くために、ダン、と言うようになった。
省いているうちに、省くのが体になった。
いまは、本名を口に出す機会が年に何度も無い。
書類に書くことはある。
書くのと、言うのは別のことだ。
書いた名前は、誰も読み上げない。
読み上げられない名前は、字のままそこにある。
字のままのものは、減りも増えもしない。
ただ、使われない。
使われないものが自分の中にあることに、長いあいだ気づかなかった。
気づいたのは、母が死んでからだった。
呼ぶ人がいなくなって、初めてそこに何かがあったと分かった。
あるうちは、あることが分からない。
第三章 母
母だけが、最後まで本名で呼んだ。
電話でも、家でも、ドラガン、と呼んだ。
短いほうを一度も使わなかった。
使ってくれと頼んだこともない。
母は十九年前に死んだ。
死ぬ前の何か月かで、母の言葉は生まれた国のものに戻っていった。
こちらの言葉が出にくくなり、最後のほうは半分ほどが母国語だった。
呼ぶときは、はじめから本名だったので、そこは変わらなかった。
病室で名前を呼ばれるたび、子どものころの音がした。
母が死んだ日から、その音を外から聞いていない。
十九年になる。
母は最後まで、こちらが職場で何と呼ばれているかを知らなかった。
言わなかったからだ。
言えば、母は気にしただろうと思う。
気にさせないために言わなかったのか、聞かれたくなかったのかは、いまも分からない。
第四章 子
妻はこの国の人だ。
結婚するとき、一度だけ本名の発音を教えた。
妻は三度やってみて、三度とも違った。
二人で笑って、そこで終わった。
笑ったのは、こちらが先だった。
難しいよな、と言って笑った。
あそこで笑わなければ、四度目があったかもしれない。
妻は覚えの悪い人ではない。
覚える機会を、こちらが閉じた。
閉じたのは、覚えられなかったときの気まずさを見たくなかったからだ。
それ以来、妻もダンと呼ぶ。
子どもは二人いる。上が三十四、下が三十一。
二人とも、父の本名を字では知っている。
発音は知らない。
教えなかったのは、こちらだ。
教えれば、直させることになる。
直させるほどのことではない、と思った。
思ったのは三十年前で、それきり考えていない。
いまさら教えると、三十年黙っていた理由を聞かれる。
理由は、ある。
説明すると長い。
長い話は、たいてい途中でどうでもよくなる。
どうでもよくならないうちに話せる年数を、とっくに過ぎている。
第五章 待合
去年、検査で病院に行った。
受付で渡された紙に、名前を書く欄があった。
正式な氏名、と書いてあった。
だから本名を書いた。
書くときに、少し丁寧に書いた。
待合で座っていると、看護師が名簿を見て呼んだ。
本名を呼んだ。
発音は違っていた。
真ん中の音が抜けて、後ろが伸びていた。
四十年で、いちばん近い発音だった。
近いだけで、合ってはいなかった。
合っていないのに、体が立った。
四十年、合っていない呼び方で立ってきたので、体はそれで足りるようになっている。
それでも、体が先に立ち上がった。
はい、と言っていた。
立ってから、いま呼ばれたのが自分の名前だったと分かった。
分かるのに、一拍かかった。
看護師は普通の顔をしていた。
間違えたとも思っていない。
こちらも、直さなかった。
直せば、正しい音がその場で一度鳴る。
鳴らして、そのあとどうするのかが分からなかった。
診察室に入って、名前の話は終わった。
エピローグ
その晩、上の子に電話をかけた。
用は無かった。
元気か、と聞いて、元気だと言われた。
仕事の話を少しした。
切る前に、言おうとしたことがある。
言わなかった。
本名の発音を教えるには、四十年ぶんの説明が要る。
説明を始めると、初日の二秒の話からになる。
二秒の話をするには、こちらがまだそれを気にしていると言わなければならない。
気にしている、と言えるかどうかが、分からなかった。
電話を切って、台所で自分の名前を言ってみた。
ドラガン、と言った。
正しい発音だった。
この家で、正しい発音を知っているのは一人だけだ。
一人しか知らないものは、その一人が忘れたら無くなる。
忘れないように、ときどき言っている。
声に出すのは、たいてい台所で、誰もいないときだ。
外で言う相手は、もういない。
いないので、こちらが言う。
言えば、その音はまだこの家にある。
この家にあるうちは、無くなっていない。
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