名札は、読まれない
名前を呼ばれないこと

朗読で聴く
第一章 すみません
岩田は六十四になった。
父の代からの金物屋を継いで、店に立って四十年になる。
商店街の途中にある、間口の狭い店だ。
釘も、鋸も、蝶番も、ゴム手袋も置いてある。
新しいものは置いていない。
置いても売れないし、置く場所も無い。
四十年、扱う品はほとんど変わっていない。
変わったのは客のほうだ。
昔は職人が多かった。いまは家の修理に来る人が多い。
職人は品名で用を言い、いまの客は写真を見せる。
写真を見せる客のほうが、すみません、と言う回数が多い。
品名を知らないので、まずこちらを呼ぶしかない。
呼ばれる回数だけは、四十年で増えている。
客が入ってくると、たいてい、すみません、と言う。
すみません、これある。
すみません、これの大きいの。
四十年、その呼ばれ方でやってきた。
ほかには、お兄さん、おじさん、店長さん、と呼ばれる。
お兄さんと呼ばれなくなったのが何年ごろだったかは、覚えていない。
いつのまにかおじさんになり、いつのまにか店長さんが混ざった。
どれもこちらの名前ではない。
名前ではないが、間違ってもいない。
こちらは店の人で、客は店の人を呼んでいる。
商店街には、名前で呼ばれる店主が何人かいる。
魚屋と、豆腐屋と、それから青果店の女将さん。
三人とも、こちらより声が大きい。
声の大きさと名前で呼ばれることに関係があるのかは、分からない。
関係があるとしても、いまから声を大きくする気は無い。
父も声の小さい人だった。
父が客に名前で呼ばれているのを、見たことがない。
父の名札も、たぶん読まれなかった。
父の名札は、いま引き出しの奥に入っている。
同じ形の、もう少し小さいものだ。
捨てる理由が無いので、四十年そこにある。
父の名前は、こちらは知っている。
知っているが、呼んだことは無い。
子は親を名前で呼ばない。
第二章 名札
名札は、店に立った年からつけている。
父がつけていたので、そういうものだと思って始めた。
小さな金属の板で、胸に留める。
朝、上着を着るときに留める。
夕方、店を閉めてから外す。
外したものは、勘定台の引き出しに入れる。
四十年、毎日そうしている。
名札を読んで名前で呼んだ客が、いなかったわけではない。
いる。
数えられるくらいの人数だ。
薬局の主人と、隣の理容室の人と、税務署から来た人が二度。
四十年で、そのくらいだ。
三度目に来た税務署の人は、別の人だった。
その人は名札を見なかった。
読まないのは失礼だと思っているわけではない。
客は物を買いに来ているので、店の人の名前は要らない。
要らないものを、四十年つけている。
一度だけ、つけずに店に出た日がある。
十年ほど前の、寝坊した朝だった。
誰にも何も言われなかった。
夕方まで気づかなかった。
気づいたとき、少しだけ落ち着かなかった。
読まれないものでも、無いと落ち着かない。
落ち着かないのは、店の人になりきれていない感じがするからだ。
名札は、客のためではなく、こちらのためについている。
そう気づいたのは、その日の夜だった。
気づいても、次の日からも同じようにつけた。
第三章 先に向く
すみません、と言われると、体が先に向く。
言葉が終わる前に向いている。
はい、が出るのも、たいてい向いたあとだ。
これは考えてやっていることではない。
四十年で、そうなった。
最初の何年かは、呼ばれてから向いていたはずだ。
いつ入れ替わったかは、やはり覚えていない。
一度、妻に言われたことがある。
うちでもそうだ、と。
台所から呼ぶと、用を言う前に振り向いている、と言われた。
言われて気がついた。
店でついた癖が、家にも入っていた。
家では名前で呼ばれることもある。
妻は名前で呼ぶ。
それでも、先に向くのは変わらない。
向いてから、呼ばれ方を確かめている。
確かめる必要は、たいてい無い。
用のあるほうが呼んでいるのだから、行けば済む。
済むように四十年やってきた。
済ませるのが上手くなると、名前は要らなくなる。
要らなくなったものは、そのうち無くなる。
まだ無くなってはいない。名札はついている。
第四章 毎週の客
毎週来る客が一人いた。
水曜の昼過ぎに来て、たいてい何も買わずに帰ることもあった。
買うときは、蝶番だったり、油だったり、細かいものだった。
勘定台の横の丸椅子に座って、十五分か二十分いる。
話すのは天気と道具の話だけだった。
どこそこの道が工事している、とか、この鋸はよく切れる、とか。
二十年か、それ以上そうしていた。
年は、こちらより十ほど上だったと思う。
思うだけで、聞いたことは無い。
その人の名前を、岩田は知らなかった。
聞く機会が無かったのではない。
最初の何年かで聞かなかったので、そのあとは聞きにくくなった。
向こうも、岩田の名札を読まなかった。
読めば分かるところに書いてあるのに、読まなかった。
互いに知らないまま、二十年、毎週会っていた。
その二十年に、困ったことは一度も無かった。
困らなかったから続いた、とも言える。
名前を知っていたら、もう少し何かを聞いたかもしれない。
聞いたら、天気と道具の話が減っただろうと思う。
減ってよかったのかどうかは、いまも分からない。
第五章 名字
その人が来なくなったのは、去年の秋だった。
三週続けて来なかった。
四週目にも来なかった。
入院したのだろうと思った。
誰かに聞くことはしなかった。
聞くには、まずその人を何と言えばいいかが要る。
水曜に来る人、としか言えなかった。
商店街のほかの店に聞けば、分かったかもしれない。
聞かなかったのは、聞くほどの間柄だと思われるのが、なぜか気恥ずかしかったからだ。
二十年毎週会っていて、間柄ではないと思っていた。
春に、若い男の人が店に入ってきた。
すみません、と言った。
いつも父がお世話になりまして、と言った。
名字を名乗った。
そのとき初めて、あの人の名字を知った。
三月に亡くなったのだと言われた。
男の人は油を一本買って帰った。
岩田は、そうですか、としか言えなかった。
悔やみの言葉は言った。
言いながら、名字を口の中で一度繰り返した。
二十年、その音を一度も使わなかった。
使う機会は、これから先も来ない。
名前は、呼ぶために覚えるものだ。
呼べなくなってから覚えたものを、何と呼べばいいのか分からない。
エピローグ
その日の夕方、いつもどおり名札を外した。
外して、引き出しに入れる前に、少し見た。
四十年で表面が薄くなっている。
字は残っている。
読めば読める。
読まれなかっただけだ。
薄くなったのは、四十年、上着に擦れたからだ。
読まれて薄くなったのではない。
読まれて薄くなるものなら、まだよかった。
次の日も、朝につけた。
やめる理由が無いので、つけている。
水曜の昼過ぎに、丸椅子を見ることがある。
誰も座っていない。
座っていた人の名字を、いまは知っている。
知っているのに、呼ぶ相手がいない。
名前というのは、そういう順番で来ることがある。
水曜以外の日は、丸椅子のことを考えない。
考えないでいられるうちは、店を続けられると思う。
名札は、明日もつける。
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