触れる仕事
触れないこと

朗読で聴く
第一章 八人
ドナルドは六十六になった。
訪問の介助を二十年している。
朝の七時半に最初の家に入り、夕方の五時に最後の家を出る。
一日に八人。
多い日は九人になる。
二十年で、担当した人はたぶん四百人を越える。
そのうち、いま生きている人は半分もいない。
人数は覚えていないが、家は覚えている。
玄関の段の高さと、廊下の幅と、手すりの位置は、いまでも言える。
人より家のほうを覚えているのは、たぶん、そのほうが仕事に要るからだ。
することは、だいたい決まっている。
起こす。支える。腕を伸ばす。背中に手を当てる。足を持ち上げる。
どれも、相手の体に触れないとできない。
一日のうち、人の体に手を置いている時間を足すと、三時間を越える。
二十年で計算したことは無い。
計算しようと思ったこともない。
二十年やっていると、手のほうが先に覚える。
どの人がどこを痛がるか、体が近づいた時点で手が調節している。
考えてやっているわけではない。
仕事を始めたのは四十六のときだった。
前は倉庫にいて、物ばかり運んでいた。
人を運ぶほうが軽いわけではないが、扱いはまるで違う。
物は落としても謝れば済む。
人は、落とす前に伝わる。
だから介助の手は、力より先に速さを抜く。
これは教わったのではなく、二年目に自分で分かった。
分かってからは、迷わなくなった。
力を入れる直前に、相手の体が分かってしまう。
第二章 先に言う
触れる前には、必ず一度、そう言う。
これから腕に触りますよ。
これから背中に手を当てますよ。
短く、同じ調子で言う。
最初の年に、一度だけ言わなかったことがある。
九十になる男の人で、目がほとんど見えていなかった。
肩に手を置いたら、ひどく驚かれた。
驚いたというより、怖がらせた。
その人は何も言わなかったが、体が固くなったのが分かった。
それから二十年、言わなかったことは一度も無い。
言い方も変えていない。
変えると自分のほうがぎこちなくなる。
ぎこちない手は、相手にすぐ伝わる。
だから同じ言い方を、二十年続けている。
同僚には、丁寧すぎると言われることがある。
丁寧なのではない。
あの日の固くなった肩を、まだ覚えているだけだ。
その人は、その年の冬に亡くなった。
葬式には行かなかった。
仕事で入っている家の葬式には行かない決まりになっている。
決まりの理由は、線を引くためだ。
線を引かないと続かない仕事だと、教えられた。
二十年、その線をきちんと引いてきた。
引いた線は、こちらの側にも引かれている。
最後まで、こちらの声は分かっていたと思う。
第三章 九年
妻のアイリスは九年前に死んだ。
子どもはいない。
アイリスがいたころは、帰ると背中を軽く叩かれた。
お疲れさま、という意味の叩き方だった。
毎日ではない。週に三度か四度だったと思う。
それが一日の終わりの合図になっていた。
いま思えば、あれが最後の接触だった。
最後の一回がいつだったかは、覚えていない。
覚えているのは、死んだ日のことだけだ。
九年、誰にも触れられていない。
握手はある。
月に一度、事務所の集まりで新しい人と握手をする。
あれは数に入らない。
数に入らないと決めたのは自分だが、入れようとしても入らない。
触れられる、というのはそういうことではない。
どう違うのかを言葉にしようとしたことがある。
できなかった。
用のある手と、用の無い手の違いだろうかと考えた。
仕事の手には用がある。握手にも用がある。
アイリスの手には、用が無かった。
用が無いのに触る手が、家から無くなった。
用のある手なら、いくらでもある。
いくらでもあるほうを、毎日八人ぶん使っている。
第四章 背中
去年の夏、背中に湿疹ができた。
背中の真ん中で、腕を回しても指が届かなかった。
鏡を二枚使って見た。
赤い、銀貨ほどの大きさだった。
薬局に行った。
薬剤師は塗り薬を出して、一日二回、と言った。
それから、こう言った。
自分では届かない場所ですから、誰かに塗ってもらってください。
ドナルドは、そうします、と答えた。
家に帰って、頼めそうな相手を数えた。
三人思いついた。
三人とも患者だった。
九十を過ぎた人が二人と、脳梗塞のあとの人が一人。
その人たちに、こちらの背中を頼むことはできない。
結局、届く端のほうだけ塗った。
治るまでに二か月かかった。
真ん中は、たぶん一度も薬がついていない。
治ったのは、薬のおかげではなかったことになる。
そのあいだ、仕事は休まなかった。
毎日、人の背中に手を当てていた。
自分の背中だけが、二か月のあいだ誰の手も届かなかった。
そのことを、誰にも言っていない。
言えば、同僚の誰かが塗ってくれただろうと思う。
頼むという動作が、二十年で錆びていたのかもしれない。
思うのに、言わなかった理由は自分でも分からない。
第五章 取っ手
秋に、鞄を買い替えようかと思って、古いほうをよく見た。
黒い革の鞄で、入った年から使っている。
取っ手が、へこんでいた。
掌の形にへこんでいた。
指のところが四つ、はっきり分かる。
持つ場所がいつも同じだから、そこだけ革が締まって黒くなっている。
二十年で、こうなった。
しばらく見ていて、あることに気がついた。
二十年、人の体に毎日触れている。
それなのに、跡が残っているのは鞄のほうだった。
患者の体には、何も残らない。
残るように触れてはいけない。
強く握れば痣になるし、長く置けば相手が困る。
仕事の手は、跡を残さない手だ。
跡を残さないように二十年やってきて、その結果が、この取っ手だった。
鞄は買い替えなかった。
買い替えれば、この形は無くなる。
二十年ぶんが無くなるわけではないが、見えるところには何も残らなくなる。
いまは、玄関に置いてある。
毎朝それを持って出るとき、指がへこみに合う。
合うようにできている。自分でそうしたのだから、当たり前だ。
当たり前のことなのに、気づくのに二十年かかった。
エピローグ
十二月に、ハーパーさんの家に行った。
九十一で、足が動かない。
その日は冷えていた。
ドナルドが腕を取ろうとしたとき、その人が先に手を出した。
両手で、ドナルドの手を包んだ。
あなた、手が冷たいわね、と言った。
三秒ほどだった。
ドナルドは、これから腕に触りますよ、と言おうとした。
言えなかった。
順番が逆になっていた。
その人は手を離して、じゃあお願い、と言った。
いつもどおりに起こして、いつもどおりに支えた。
帰りの車で、記録をつけた。
その欄は無かった。
書く場所が無いことは、起きなかったことではない。
その晩、家に帰ってから、自分の手をしばらく見ていた。
冷たかった、と言われた手だった。
言われるまで、冷たいことに気づいていなかった。
自分の体のことは、自分ではいちばん分からない。
背中と同じだった。
誰かがいれば、その人が先に気づく。
あなたの魂のテーマに気づく場所