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消していない

待たせていること

消していない

朗読で聴く

第一章 月に一度

アーヴィンは七十になった。

妹のマージは六十六。

車で四時間ほどのところに住んでいる。

仲が悪いわけではない。

喧嘩をしたこともなければ、金の話でもめたこともない。

母の家を売ったときも、二人とも同じことを言って、その日のうちに決まった。

子どものころから、そういう兄妹だった。

言い争う前に、たいてい同じ結論が出ていた。

ただ、十四年、電話をかけていない。

かけていないのはこちらだけで、向こうは月に一度かけてくる。

だいたい、月のはじめの日曜の夕方に鳴る。

アーヴィンは出ない。

出ないというより、鳴っているあいだ、椅子から立たない。

呼び出し音が四回鳴って、留守番電話に切り替わる。

マージの声が入る。

だいたい一分か、それより短い。

庭の話をすることが多い。

去年植えたものがどうなったか、鳥が来るようになったか。

最後に、体に気をつけて、と言って切る。

いつからか、かけ直してほしいとは言わなくなった。

最初の一年は言っていた。

始まりに、理由らしい理由は無い。

十四年前の冬、マージがかけてきた晩、アーヴィンは外にいた。

帰って聞いて、明日かけようと思った。

次の日は雪で、その次の日は屋根の修理の人が来た。

かけないまま二週間たつと、二週間ぶんの説明が要る気がしてきた。

説明を用意しているうちに、次の月の電話が鳴った。

その晩も、かけ直さなかった。

二度めをかけ直さなかったところで、それは形になった。

第二章 受話器

メッセージが終わると、アーヴィンは立って、電話台の前へ行く。

もう一度、頭から聞く。

二度聞くのは、一度目は声の調子を聞いていて、話の中身が入ってこないからだ。

二度目でようやく、庭の話が庭の話として入る。

電話台は玄関の脇にあって、明かりが遠い。

立って聞くので、聞き終わるころには足が冷えている。

座って聞いたことはない。

座ると、長く聞くことになる気がする。

聞き終わると、受話器に手を伸ばす。

持ち上げるところまでいく晩もある。

持ち上げて、そのまま元のところへ戻す。

番号は覚えている。見なくてもかけられる。

かけない理由は、忙しいからではない。

言いにくいことがあるからでもない。

かけ直せば、話は済む。

済んだ話には、次の電話が要らない。

来月、マージは電話をかける理由を持たないことになる。

十四年、そう思ってかけていない。

この理屈は、誰にも話していない。

話せば、まともではないと言われるだろうと思う。

自分でもまともだとは思っていない。

ただ、十四年、月に一度、マージの声が家に入ってくる。

かけ直した月から、それが無くなる。

無くならない方法を、アーヴィンはひとつしか知らない。

第三章 消していない

メッセージは一件も消していない。

最初の機械はテープだった。

テープが伸びて聞きにくくなったので、九年前に新しいものに替えた。

替えるとき、テープの中身を全部、新しいほうに移した。

電気屋に頼んで、丸二日かかった。

金額は言われたときに少し驚いたが、払った。

電気屋には、大事な記録だと言った。

嘘ではない。

説明として足りないだけだ。

いまは中に百七十いくつか入っている。

数えたことはない。

数えれば十四年が数字になるので、数えていない。

電気屋の若い男に、これは何のテープかと聞かれた。

妹からの電話だ、と答えた。

男は、いい妹さんですね、と言った。

そうだね、と答えた。

それ以上のことは、聞かれなかったので言わなかった。

消し方は知っている。

ボタンを長く押せばいい。

一度も押していない。

妻は十一年前に死んだ。

妻がいたころ、マージの電話が入ると、妻は「かけてあげなさいよ」と言った。

言い方は軽かった。責めてはいなかった。

うん、と答えて、かけなかった。

妻はそれ以上言わなかった。

いま思えば、あれは待っていたのだと思う。

その人にも、返していない。

第四章 声

三年前の冬に、はじめから順に聞いてみたことがある。

二日かかった。

最初のほうは、マージの声が高い。

言い終わりが上がる。

途中で、上がらなくなる。

どこで変わったかは、聞いているあいだは分からなかった。

二日目の終わりに、もう一度、頭のほうへ戻って聞き直した。

七年目の春から、上がらなくなっていた。

その年、マージの夫が死んでいる。

六十一だった。

急な病気で、分かってから三か月だったと聞いている。

葬式には行った。

行って、二日いて、帰った。

そのときも、こちらから電話はしていない。

葬式のあとの最初のメッセージが、いつもより短かった。

庭の話がなくて、体に気をつけて、だけだった。

次の月から、また庭の話に戻っている。

戻したのだと分かる。

庭の話は、こちらのために持ってきている話だった。

夫が死んだ月も、次の月には持ってきた。

持ってこなければ、こちらが重く受け取ると思ったのだろう。

重く受け取らせないために、庭の話をしていた。

十四年ぶんの庭の話を、アーヴィンは全部聞いている。

聞いていることを、マージは知らない。

第五章 鳴って、切れた

今年の秋、月のはじめの日曜に、電話が鳴った。

四回鳴って、留守番電話に切り替わった。

何も入らなかった。

切れる音だけが入っていた。

間違いだろうと思った。

次の月も、同じ時刻に鳴って、同じように切れた。

その次の月も。

三度続いて、間違いではないと分かった。

四度目のとき、鳴っているあいだに時計を見た。

呼び出し音は四回で、切り替わるまでが二十秒ほど。

マージはそのあいだ、受話器を持って黙って立っている。

二十秒、こちらのために立っている。

マージは、話すことを持ってこなくなった。

庭の話は、話したいから話していたのではない。

電話をかけるのに、何か要るから持ってきていた。

持ってこなくなったということは、要らなくなったということだ。

鳴らして、切る。

それだけで、まだいる、と伝わる。

十四年、待たせているのはこちらだと思っていた。

待たせているのはこちらで、合図を送っているのは向こうだった。

こちらは十四年、返さないことで関係を続けていた。

向こうは十四年、返させないことで続けていた。

どちらも同じものを守っている。

守っているものの名前を、二人とも言わない。

名前が付くと、どちらかが先に動かなければいけなくなる。

エピローグ

十二月のはじめの日曜、アーヴィンは電話台の横に立って待った。

時計を見て待ったのは、十四年ではじめてだった。

鳴った。

一回目で受話器を上げた。

何も言わなかった。

向こうも何も言わなかった。

息の音だけが、少しした。

二十秒か、三十秒か、そのくらいで切れた。

こちらから切ったのではない。

受話器を戻して、椅子に座った。

留守番電話には、何も入らなかった。

残るものは、何も無かった。

次の月のはじめの日曜、また鳴った。

アーヴィンは、また受話器を上げた。

何も言わない。

向こうも言わない。

話は、まだ済んでいない。

済ませないために、二人で電話を使っている。

ソウルミッション358

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