疲れると戻る
言い直すこと

朗読で聴く
第一章 午前中
カーティス・レインは五十九になった。
大事な話は午前中にする、と決めている。
会議も、電話も、人を採る面接も、午前中に入れる。
午後にしか取れない予定は断る。
理由は言わない。忙しいことにしている。
三十五年、そうしている。
理由は一つだ。疲れると、訛りが出る。
出るのは午後の遅い時間だ。三時を過ぎたあたりから危なくなる。
毎日そうなるわけではない。前の晩によく眠れた日は、夕方まで持つ。
持つかどうかは、その日にならないと分からない。
分からないので、最初から午前中に寄せる。
寄せておけば、外れがない。
外れが無いようにすることを、三十五年やってきた。
やってきた結果、午前中の予定表だけが埋まっている。
予定表を見た人に、午後は何をしているのかと聞かれることがある。
書き物です、と答える。
嘘ではない。書き物はしている。
書き物を午後に寄せているのだ、とは言わない。
言えば、なぜかと聞かれる。
なぜかを言うには、三十五年前から話さなければいけない。
誰もそこまでは聞きたくない。
第二章 四年
南部の小さな町で生まれた。人口が二千を切る町だった。
二十四で北の都市へ出た。
最初の会社で、電話を取り次いだ相手に二度聞き返された。
二度目のとき、相手が少し笑った。
悪気は無かったと思う。いまでもそう思っている。
その週から直しはじめた。
直すのに四年かかった。
やったことは三つある。
母音を短くする。語尾を上げない。郷里でしか使わない言い回しを使わない。
三つ目がいちばん簡単で、一つ目がいちばん難しかった。
母音は、意識していないと伸びる。
意識していられるのは、起きている時間の前半だけだ。
四年目に、誰も聞き返さなくなった。
直ったと分かった日は、はっきりしない。
ある時期から、聞き返されなくなった。それだけだ。
直った瞬間は無い。
無いので、いつからかと聞かれても答えられない。
答えられないことを、少し不便に思っている。
直したという話には、ふつう「四年かかった」というような数字がつく。
数字はつけられる。四年だ。
だが四年目の何月に直ったのかは、自分でも知らない。
郷里には、年に一度帰る。
帰ると、母や兄と話す。
そのときは出る。出していい場所だから出る。
出していい場所で出るのは、戻るとは言わないのだと思う。
戻るというのは、出してはいけない場所で出ることだ。
その線を引いたのは自分だ。
引いたことを、母は知らない。
第三章 戻る
三十五年、仕事では出ていない。
午前中には出ない。昼過ぎまでは出ない。
ただし、疲れると戻る。
夜遅い会議の終わり。長い電話の最後。出張の帰りの車の中。
母音が伸びる。ほんの少しだ。自分の耳では分からないほどだ。
自分では気づけない。
相手の顔で分かる。
一瞬だけ、聞き取ろうとする顔になる。目が止まる。
その顔を見て、いま出たな、と分かる。
分かった時点では、もう言い終わっている。
出る音は決まっている。
特定の母音が伸びるだけで、単語が変わるわけではない。
意味は通じている。通じているのに、相手は一瞬止まる。
止まるのは、聞き取れなかったからではないと思う。
いつもと違う音がしたので、確かめただけだ。
確かめられるほうにとっては、それで十分こたえる。
こたえることを、相手は知らない。知る必要もない。
部下の一人が、去年、それを一度だけ口にした。
夜の会議の帰りに、エレベーターで二人になったときだ。
今日の最後のところ、少し違いましたね、と言われた。
悪気は無かった。面白がってもいなかった。ただ気づいたと言っただけだ。
そうか、と答えた。それだけ答えた。
その部下は、それきり何も言わない。
言わないのは、こちらが何も答えなかったからだ。
答えなかったのは、答えを持っていないからだ。
三十五年、この件について人と話したことがない。
妻とも話していない。
話していないものは、言葉になっていない。
第四章 言い直さない
言い直すこともできる。
同じことをもう一度、ちゃんと言えばいい。
若いころは、何度かやった。
言い直すと、相手は、いや、分かりましたよ、と言う。
その「いや」が、いちばんこたえる。
言い直すと、出たことが確定する。
出たかどうか分からないままにしておくほうが、まだいい。
だから言い直さない。
三十五年、一度も言い直していない。
言い直さない代わりに、次の言葉を短くする。
出たと分かった直後の一文を、極端に短く言う。
短くすると、伸びる母音が減る。
これは自分で編み出した。誰にも教わっていないし、誰にも言っていない。
三十五年、その場しのぎをやりつづけている。
その場しのぎだと分かっていて、やっている。
その場しのぎを三十五年続けると、それは方法になる。
方法になったものを、いまさら捨てられない。
第五章 午後
大事な話を午前中に寄せると、午後が薄くなる。
午後は、書き物と、確認と、移動にあてる。
部下には、午後は捕まらない人、と思われている。
そう思われても困らない。
困らないが、一日の半分を、話すことに使っていない。
三十五年、半分を使っていない。
――直したのは口だけで、その下にあるものは何も変わっていなかった。
変えられるものだとも、いまは思っていない。
若いころは、そのうち完全に直ると思っていた。
四十を過ぎたころに、そうではないと分かった。
分かってから、午前中に寄せる決まりが固まった。
固めたのは、諦めたということだと思う。
諦めたという言い方は、正しくないかもしれない。
諦めたのではなく、置き場所を決めただけだ。
午前と午後に分けて、片方に寄せた。
寄せた側には、三十五年ぶんの仕事が入っている。
寄せなかった側には、何も入っていない。
エピローグ
妻は南部の出身ではない。
結婚して三十年になる。妻の前で出たことは、何度もある。
妻は何も言わない。
一度だけ、いいと思うけど、と言われたことがある。
いいと思う、というのが、直さなくていいという意味だったのか、出てもいいという意味だったのかは、いまも分からない。
聞けばいい。聞いていない。
聞かないのは、どちらの意味でも困るからだ。
直さなくていい、という意味なら、四年が浮く。
出てもいい、という意味なら、三十五年が浮く。
浮いたものを、どこに置けばいいのか分からない。
置き場所が無いので、聞かない。
今日も午前中に、大事な話を一つ済ませた。
午後は書き物をして、夕方に帰った。
あなたにも、疲れると出るものがありますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所