同じ顔をした
分かってしまうこと

朗読で聴く
第一章 同じ話
ルース・パーマーは七十一になった。
夫のウォルターは七十六で、五年前に仕事を辞めた。
いっしょになって四十九年になる。来年で五十年だ。
ウォルターは、同じ話をする。
話は五つか六つしかない。工場に入ったばかりのころの話。最初に買った車の話。川で大きな魚を釣った話。
順番も決まっている。夕飯のあと、テレビを消してから始まる。
どの話も、始まりの一言で分かる。あの年の冬は寒くてな、と言えば工場の話だ。
一語まで同じだ。
そうしたら、そいつが言うんだ、というところで、必ず少しだけ間が空く。
間の長さも同じだ。二拍か三拍。
そのあいだに、ルースは息を吸う。次に何を言うか分かっているので、そこで吸っておく。
吸っておくと、返事が遅れない。
四十九年やっていると、そうなる。
どの話にも、飛ばす部分がある。
工場の話には、辞めていった同僚のくだりがある。そこは飛ばす年と飛ばさない年がある。
飛ばす年は、たぶん機嫌がよくない。
そういうことまで分かるが、聞いたことはない。
聞けば、飛ばしていたことをこちらが知っていたと分かってしまう。
知られてはいけない、というほどのことでもない。
ないのだが、言わないでいるうちに、言えないものになった。
第二章 それでどうなったの
ルースは、知らないふりをして聞く。
決まったところで、それでどうなったの、と聞く。
聞くと、ウォルターは続きを話す。
聞かないと、話がそこで止まる。止まると、ウォルターは少し黙って、それから別のことを言う。
一度だけ、黙ってみたことがある。二十年ほど前だ。
そのときウォルターは、この話は前にしたか、と聞いた。
聞いてないわ、と答えた。
嘘だった。三十回は聞いていた。
その日から、ルースは決めた。知らないふりを続ける。
嘘をついている、という気はしない。
相手が話したがっているものを、話せるようにしているだけだ。
そう思うことにしている。
思うことにしている、というのが、本当のところだと思う。
ウォルターが、こちらは知っていると気づいているかどうかは分からない。
気づいていない、とも思えない。四十九年だ。
気づいていて、気づかないふりをしているのかもしれない。
そうだとすると、二人でふりをしていることになる。
二人でふりをしているものを、何と呼ぶのかは知らない。
名前は無くていい。名前がつくと、やめなければいけなくなる気がする。
娘は、父の話を聞かない。
聞かないというより、聞いているふりもしない。三回目くらいで、その話は聞いたよ、と言う。
それが普通なのだと思う。
普通のほうが正しいのかもしれない。
正しくても、うちではやらない。
第三章 上手くなる
四十九年もやっていると、上手くなる。
どこで笑うかも、どこで驚くかも、全部決まっている。
笑うところで笑う。驚くところで驚く。
初めて聞いたような顔をするのは、もう努力ではない。
顔のほうが勝手にそうなる。
自分でも、どこからが演技でどこからが本当か、分けられなくなっている。
分けなくてもいい、と思っていた。
娘が一度だけ、その話何回目、と言ったことがある。
三年前の感謝祭のときだ。悪気は無かったと思う。
ウォルターは笑って、そうかそうか、と言った。
それから一週間、その話をしなかった。
ルースは娘に、あれは言わないでほしい、と言った。
娘は、分かった、と言った。それきり言っていない。
あの一週間のことを、ルースはよく覚えている。
家の中が静かだった。静かなのが、こんなに嫌なものだとは思わなかった。
ウォルターは、その一週間、何も言わなかった。怒ってもいなかった。
ただ、夕飯のあとにテレビを消さなくなった。
消さなければ、話は始まらない。
八日目に、自分でテレビを消した。
消したときに、ルースは少しだけ息が楽になった。
その日の話は、車の話だった。何度も聞いた話だった。
それでどうなったの、と、いつもより早く聞いた。
早く聞いたことに、ウォルターは気づいていないと思う。
気づいていたとしても、何も言わない人だ。
その日から、元に戻った。
元に戻ったというのは、こちらがふりを再開したということだ。
第四章 兄の話
去年の秋だった。
いつもの時間に、いつもの椅子で、ウォルターが話しはじめた。
最初は工場の話だった。途中まで同じだった。
途中から、聞いたことのない話になった。
戦争に行く前の、兄の話だった。
ウォルターに兄がいたことは知っている。若くして死んだことも知っている。
だが、その話は初めてだった。
兄が出ていく朝に、玄関で何を言ったか、という話だった。
その一言は、たいしたことではなかった。忘れ物をするなよ、というような言葉だった。
たいしたことではないから、四十九年出てこなかったのだと思う。
出てきたということは、何かあったのだと思う。
何があったのかは、聞いていない。
初めてだ、と分かった。
分かったのに、ルースは同じ顔をした。
決まったところで、それでどうなったの、と聞いた。
ウォルターは続きを話して、終わった。
終わったあと、いつもと同じように、そろそろ寝るか、と言った。
第五章 その夜
その夜、寝る前に気づいた。
初めての話を、初めてとして聞かなかった。
四十九年ぶんの型が、そのまま出た。
――上手くなりすぎて、本物が来ても分からなかった。
分からなかった、というのは違う。
分かっていた。分かっていて、同じ顔をした。
顔のほうが先に動いた。止める間がなかった。
止めようと思えば止められたのかは、分からない。
翌朝、聞こうかと思った。昨日の話をもう一度して、と。
聞けなかった。
聞けば、いままで聞いていなかったことになる。
四十九年ぶんが、そこで裏返る。
裏返して、そのあとどうするのかが分からなかった。
だから、朝はいつもどおり卵を焼いた。
卵を焼きながら、一度だけ手が止まった。
止まったが、それだけだった。
ウォルターは新聞を読んでいて、こちらを見ていなかった。
見ていなくてよかった、と思った。
そう思ったことのほうが、あとで長く残った。
見られていたら、何か言わなければいけなかった。
言わずに済んだことに、安心した。
安心したのが、いちばん嫌だった。
エピローグ
ウォルターは、あの話をあれきりしていない。
同じ話は、いまも同じ順番でする。
ルースは決まったところで相槌を打つ。
打ちながら、あの秋の夜のことを思い出すことがある。
思い出すが、口には出さない。
――ふりが上手くなりすぎた。
上手いというのは、この場合、褒め言葉ではない。
やめるかというと、やめない。
やめたら、ウォルターは話さなくなる。
話さなくなった家がどうなるかは、あの一週間で知っている。
あの一週間、二人とも黙っていたわけではない。
買い物の話もしたし、天気の話もした。
それでも静かだった。
話のある家と、話の無い家は、音の量では違わない。
だから続ける。上手いまま続ける。
あなたにも、分かっていてふりをすることがありますか。
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