触らなかった日が、一日も無い
信じること

朗読で聴く
第一章 柱
関口正一は六十三歳になった。
いまの家に生まれて、いまも同じ家にいる。建てたのは祖父で、正一で三代めになる。
玄関を出るとき、正一は柱を一度だけ触る。
引き戸を開けて、外へ出て、開けたほうの手とは逆の手で、柱の同じところに手を置く。
置くだけだ。押しもしないし、叩きもしない。指の腹が当たって、離れる。
一秒もかからない。
人が見ていても同じようにする。隠したことはない。隠すようなことでもない。
近所の人と一緒に出るときも触る。相手は気づいていないと思う。気づかれても困らない。
柱は玄関の右側にあって、太さは手のひらより広い。表面は五十年ぶん黒くなっている。
触るところだけ、色が違う。まわりより薄くて、少しつるつるしている。
そこに手を置いてから、正一は歩き出す。
毎朝そうしている。仕事に行く日も、行かない日も同じだ。
雨の日は傘を持つので、傘を持ち替えてから触る。
急いでいる日も触る。触る時間があるかどうかを考えたことはない。考える前に手が行っている。
妻は知っている。四十年見ているので、知らないほうがおかしい。
一度も聞かれたことはない。癖だと思っているのだと思う。
癖なのかどうかは、正一にも分からない。癖なら、意味は無い。意味が無いなら、やめても何も起きない。
やめても何も起きないのなら、やめてもいい。そこまで考えて、いつも止まる。
止まるのは、朝だからかもしれない。朝は考えている時間が短い。
夜に考えれば違うのかというと、夜に考えたことはない。夜は玄関を出ないので、思い出さない。
第二章 母
母がそうしていた。
正一が子どものころ、母は出かけるときに必ず柱に手を置いた。
買い物でも、近所でも、同じようにした。
なぜそうするのかを、正一は聞かなかった。
聞こうと思わなかったのではない。聞く場面が来なかった、というほうが近い。
毎朝のことなので、話題にならない。話題にならないことは、そのまま何年も過ぎる。
母は十九年前に死んだ。八十一だった。
葬式の日に、正一はいつもどおり柱を触って家を出た。
そのときも、なぜ、とは考えなかった。
いま考えると、聞いておけばよかったとは思う。思うが、それほど強くは思わない。
理由が分かったところで、たぶん、やることは変わらない。
変わらないのだから、聞いても聞かなくても同じだ。同じなので、聞かなかったことを惜しむ気持ちも薄い。
母がどこでそれを覚えたのかも知らない。祖母がやっていたのかもしれないし、母が一人で始めたのかもしれない。
どちらでも、いま柱に手が行くことは変わらない。
変わらないものについて、人は出どころを調べない。
母は信心深い人ではなかった。仏壇に手を合わせるのも、月に何度かだった。
だから、あれが何かの信心だったとは思っていない。
思っていないが、では何だったのかと言われると、それも言えない。
言えないものを、四十年続けている。
子どもたちはやらない。二人とも家を出て、それぞれの家に住んでいる。
教えなかったので、当たり前だ。母も教えなかったし、正一も教えなかった。
教わらずに移ったのは、正一のところで止まる。止まって困ることは、たぶん何も無い。
第三章 やめてみる
触ったから何かが起きたのかどうかは、分からない。
大きな病気はしていない。事故にも遭っていない。二人の子どもも育った。
だが、それが柱のおかげかどうかは分からない。
分からないのは当たり前で、比べる相手が無いからだ。
触らなかった日が、一日も無い。
四十年、一日も無い。だから、触らなかった日と触った日を並べることができない。
並べられないものは、確かめようが無い。
確かめる方法はある。一日やめてみればいい。それだけのことだ。
やめてみて、何も起きなければ、それは関係なかったということになる。何か起きれば、そのときはそのときだ。
やってみればいいのだが、正一はやっていない。
やろうとして、やめたのではない。
やめてみる、という考えが、四十年出てこなかった。
いま書いていて、初めてそう思った。思っただけで、明日やめてみようとは思わない。
思わない理由も、うまく言えない。
第四章 築五十二年
工務店の人は数える人だ。
去年、屋根の点検に来て、この家は築五十二年ですね、と言った。
図面を見て言ったらしい。正一は五十二という数を、そのとき初めて聞いた。
工務店の人は年数を数える。あと何年もつかを見積もるので、数えるのが仕事だ。
正一は数えていない。
柱を触った回数は数えていない。四十年、一日も欠かしていないので、掛け算をすれば出る。
一年三百六十五日として、四十年で一万四千回を超える。
出るが、数えたことがない。
数えたところで、その数が何かを証明するわけではない。一万四千回でも、一回でも、確かめられないことは同じだ。
むしろ、数が増えるほど、やめにくくなる気はする。
気はするが、それも確かめようが無い。数える前からやめる気が無いので、比べられない。
工務店の人は、柱のことは何も言わなかった。
柱は太くて、傷んでいない。傷んでいれば言われただろうし、そのときは替える話になったと思う。
替える話にならなかったので、色の違うところもそのままある。
そのままあるのは、点検の結果であって、正一が守ったからではない。
第五章 五歩
一度だけ、忘れかけたことがある。
十年ほど前の朝で、前の晩に電話があって、寝不足だった。
引き戸を閉めて、そのまま歩き出した。
五歩ほど行って、気がついた。
戻って、触って、また歩き出した。
――戻った時点で、その日はもう「触らなかった日」ではない。
あのとき戻らなければ、四十年で唯一の日ができていた。
できていれば、いま比べるものがあった。
戻ったのは、比べたくなかったからではない。そんなことは考えていない。気がついたら足が戻っていた。
考える前に体が動いたので、機会のほうが先に潰れた。
潰したのは自分だが、自分で決めたという感じはしない。
いまでも、その朝の五歩ぶんのことは覚えている。覚えているのに、悔しいとは思わない。
思わないのは、たぶん、あれで正しかったと思っているからだ。
何が正しいのかは、やはり分からない。
あの朝以来、忘れかけたことは一度も無い。
気をつけているわけではない。気をつけようと思ったこともない。
ただ、あの五歩のことを覚えているので、体のほうが少し早くなったのかもしれない。
早くなったかどうかも、測っていない。
測ろうと思えば測れる。何秒で戻ったかを、次に忘れかけたときに数えればいい。
次が来ないので、測れない。来ないことを願ってはいない。ただ、来ていない。
エピローグ
今朝も触った。
引き戸を閉めて、左手を柱に置いて、離した。
色の違うところは、四十年で少し広がった。母のころより上に広がっている。正一のほうが背が高いので、手の位置が違う。
同じ柱の、少し違うところを触っていることになる。
――同じことをしているつもりで、同じ場所ではない。
それでも、母と同じことをしていると、正一は思っている。
思っているだけで、確かめる方法は無い。母はもういない。
いなくても、明日も触ると思う。
あなたにも、確かめないまま続けているものがありますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所