引いたままにしている
軽蔑

朗読で聴く
第一章 カーテン
川瀬節子は五十七歳になった。
いまの家に十四年住んでいる。夫と二人だ。子どもは二人とも家を出た。
台所の窓は東を向いている。朝、いちばん先に光が入る場所だ。
その窓に、麻の生成りのカーテンがかかっている。丈は窓と同じで、床には届かない。
節子は毎朝、そのカーテンを引く。
朝食の支度を始める前に引いて、夜まで開けない。
夫は気にしていない。暗いね、と言ったことは何度かあるが、それだけだ。
窓の外は、隣の家の庭にあたる。
距離は三メートルもない。窓を開ければ、向こうの物干しがすぐそこにある。
十四年前に越してきたときは、引いていなかった。朝の光が入るのが気持ちよかった。
いつから引くようになったかは、はっきりしない。
五年目か、六年目だと思う。何かがあったわけではない。
何かがあったわけではないので、思い出せる日が無い。
最初は、日が強いときだけ引いていたのだと思う。夏の朝は東の光がまともに入るので、まぶしい。
まぶしいから引いた、というのは本当だ。本当だが、それだけではなかった。
秋になって、まぶしくない日にも引いていた。引いていることに、そのときは気づいていなかった。
気づいたのは、たぶんもっとあとだ。気づいてからも、やめなかった。
第二章 十四年
隣は、節子が越してきたときにはもう住んでいた。
夫婦と、当時は高校生だった息子がいた。息子はいま東京にいるらしい。
揉めたことは一度もない。
ゴミの日も守っている。音も出さない。挨拶をすれば返ってくる。
回覧板は隣から隣へ回るので、月に二度は玄関先で顔を合わせる。天気の話をする。
悪い人ではない。悪いところが、ひとつも無い。
ただ、見えると、思ってしまうことがある。
バスタオルを二つに折らずに干す。だから乾きが悪くて、夕方まで出ている。
車は少し斜めに停める。停められているので、それで困る人はいない。
庭の草は、伸びてから一度に刈る。節子は伸びる前に抜く。
どれも、隣の家の敷地の中のことだ。節子には何も関係がない。
関係がないのに、目に入ると、こちらの中で何かが一段下がる。
その下がり方が速い。見た、と思う前にもう下がっている。
下がるのは向こうではなく、こちらの中の目盛りのようなものだ。
目盛りが一つ下がって、そのまま戻らない。次に見たときも、下がったところから始まる。
十四年ぶん下がったのだから、いまはずいぶん下のほうにあるはずだ。
下にあるからといって、隣の人をどうこうしたことはない。挨拶もするし、いただきものもする。
外から見れば、良い隣同士だと思う。実際、悪いことは何も起きていない。
第三章 見えるもの
節子の干し方は、母から教わった。
バスタオルは二つに折って、真ん中を竿にかける。そのほうが早く乾く。
母は几帳面な人ではなかったが、洗濯物だけはきちんとしていた。
節子はそれを四十年続けている。
途中で変えようと思ったことはない。変える理由が無かった。
四十年やっていると、手が覚える。考えずにその形になる。
考えずにできるものは、たいてい、その人の中で正しいことになっている。
自分のやり方が正しいとまでは思っていない。乾けばいいのだから、干し方は人それぞれだ。
思っていないのに、隣の物干しを見ると、下がる。
下がるのを止めようとしたことは、ある。
見て、思って、そのあとで、いや違う、と打ち消す。打ち消すのだが、打ち消したという事実が残るだけで、思ったほうは消えない。
打ち消すのに毎回二秒か三秒かかる。一日に何度もあると、それだけで疲れる。
だから、見ないことにした。
カーテンを引けば見えない。見えなければ思わない。
思わなければ、打ち消さなくていい。
そのぶん楽になった。楽になったぶん、台所が暗い。
朝の台所で、包丁の刃が見えにくい。玉ねぎの薄さがそろわない。
照明をつければ見える。つければいいだけの話だ。
つけているので、困ってはいない。
困っていないことを、困っていないと言い切るのが、少し難しい。
第四章 二十二軒
班長は数える人だ。
四月に回覧板を持ってきて、今年からうちの班は二十二軒です、と言った。
去年より一軒減ったらしい。空き家になった家があると聞いた。
班長は軒数を数える。回覧板を何軒に回すかを決めるので、数えるのが仕事だ。
節子は数えていない。
カーテンを引いた日数は数えていない。八年か九年、毎日引いているので、三千日は超えている。
数えれば出る。出るが、数えたことがない。
電気代なら少し出る。台所の照明を朝からつけるようになったので、月に何百円かは増えているはずだ。
その何百円かを、節子は夫に言っていない。
言えば、なぜ引くのかという話になる。
なぜ引くのかを説明しようとすると、隣の物干しの話から始めることになる。
始めれば、こちらが感じの悪い人になる。実際、感じは悪いのだと思う。
だから言わない。言わずに、つける。
第五章 塀
去年の春に、隣が犬を飼いはじめた。
中くらいの大きさの、おとなしい犬だ。ほとんど鳴かない。
夏に、隣が塀を高くした。犬が出ないようにするためだと、奥さんが玄関先で言っていた。
工事は二日で終わった。
新しい塀は、節子の背より高い。台所の窓からは、もう庭が見えない。
――見えなくなった。
カーテンを引く理由が無くなった、ということになる。
工事の翌朝、節子は窓の前に立って、少し考えた。
考えて、引いた。
次の朝も引いた。その次も引いた。
開けてみようと思ったことは、二度ある。二度とも、手が先に引いていた。
いまカーテンを引いているのは、隣のせいではない。
隣は塀を高くして、こちらが見なくて済むようにしてくれた。犬のためだが、結果としてそうなった。
それなのに、こちらは引いている。
引いているのは、こちらの都合だ。十四年かけて、こちらの中に出来たものの都合だ。
出来たものに名前はついていない。
名前をつけようとすれば、たぶんつく。つけたくないので、つけていない。
つけないでおくと、それは無いことになるかというと、ならない。毎朝カーテンを引いているのだから、有る。
有るものを、名前をつけずに置いておく。置いておけるうちは、置いておく。
エピローグ
今朝も、支度の前に引いた。
引いてから、照明を点けた。
夫が起きてきて、明るいところで食べたいなあ、と言った。
節子は、そうかな、と答えた。
夫はそれ以上言わなかった。新聞を広げて、そのまま食べた。
――塀の向こうで、犬が一度だけ鳴いた。
鳴いただけで、姿は見えない。見えないので、何も思わない。
何も思わないというのは、楽なことだ。
楽なことのために、朝の光を十四年ぶん捨てている。
捨てているという言い方も、たぶん違う。捨てたのではなく、引いただけだ。
明日も引くと思う。
隣の奥さんとは、来月また回覧板で顔を合わせる。天気の話をすると思う。
その話をしているあいだ、こちらの目盛りは動かない。顔を見ているだけなら、動かない。
動くのは、物干しを見たときだけだった。だから、見ない。
あなたにも、見下しながら続けているものがありますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所