そこだけ、草が違う
懐かしさ

朗読で聴く
第一章 遠回り
森下達夫は五十三歳になった。
いまの会社は、家から自転車で十五分だ。まっすぐ行けば十二分で着く。
達夫はまっすぐ行かない。
二つめの信号を右に折れて、川沿いに出て、そこから戻るように走る。三分ぶん長い。
その道の途中に、更地がある。
六十メートル四方くらいの、何も建っていない土地だ。かこいも無い。看板も出ていない。
三年前まで、そこに工場があった。
達夫は自転車の速さを落とさない。落とさないが、顔はそちらを向く。向いているのは四秒か五秒で、そのあいだに更地は後ろへ行く。
毎日そうしている。雨の日も通る。雨の日は川沿いが滑るので、そこだけ少しゆっくりになる。
三分は、朝の三分だ。起きる時間を三分早くすればいいだけの話で、実際そうしている。三年前から目覚ましは六時十二分に鳴る。
その十二分の意味を、達夫は誰にも言っていない。妻も知らない。
妻は、達夫が川沿いを通ることは知っている。景色がいいから、と一度言った。それで話は終わった。
嘘ではない。川沿いは実際に気持ちがいい。
気持ちがいいのと、そこを通る理由は、たぶん別のところにある。別のところにあるということだけが分かっていて、それがどこなのかは分からない。
第二章 十九年
達夫はその工場に十九年いた。
金属のプレスをやる会社で、いちばん多いときで社員が二十六人いた。
やめたのは、会社がたたんだからだ。社長が七十を過ぎていて、跡を継ぐ人が、いなかった。
半年前に話があって、みんな順番に次を探した。達夫は三月に決まった。
いまの会社も金属で、やっていることはほとんど同じだ。機械は新しい。
新しい機械は、前のより静かで、力の加減が細かく決められる。慣れるのに三か月かかった。慣れてしまえば、こちらのほうが楽だ。
前の機械は、達夫が入った年からあったものだ。癖があって、湿気の多い日は戻りが少し遅かった。遅いぶんを見越して手を出す。それを教わるのに二年かかった。
その癖は、いまはどこにも要らない。要らないので、忘れていくのだろうと思っていたが、三年たってもまだ手に残っている。
給料は、前より少しいい。年に二十万ほど上がった。休みも増えた。
だから、悪くなったわけではない。むしろ良くなっている。
そのことを、達夫は自分でもよく分かっている。分かっているので、前の会社の話を人にしない。話すと、いまが不満なように聞こえる。
不満ではない。いまの現場の人たちとも普通にやっている。飲みにも行く。
前の会社の人とは、二年めから会っていない。最初の年に一度だけ集まった。
その席で誰かが、また集まろうと言った。誰も次を決めなかったので、それきりになった。
連絡先はいまも携帯に入っている。消していない。かけたこともない。
第三章 入らない
建物が壊されたのは、やめた次の年だ。
夏に足場が組まれて、九月には無くなっていた。
達夫は工事のあいだも通った。日ごとに減っていくのを、自転車の上から見た。
全部無くなったあと、しばらくは土がむき出しだった。
次の春に草が生えた。生えかたが、場所によって違った。
建物の基礎があったところは、コンクリートが浅いところに残っているらしい。そこだけ草が短い。短くて、まばらだ。
周りは、腰くらいまで伸びる。
だから、上から見なくても分かる。四角い形が、草の高さの差として残っている。
入ろうと思えば入れる。かこいは無いし、誰も見ていない。
達夫は入ったことがない。三年、一度もない。
工事のあいだ、一度だけ、中の人と目が合った。ヘルメットの人が、こちらを見て、軽く会釈をした。
達夫も会釈を返した。それだけだ。
その人は、達夫があの工場にいたことを知らない。ただ、毎日通る人だと思ったのだと思う。
入らない理由を、考えたことはある。
人の土地だから、というのが表向きの理由だ。それは本当だが、それだけなら一度くらい入っている。
もう少し正直に言うと、入ると、ただの草の生えた土地になる気がする。
道から見ているあいだは、まだ形がある。
そういうふうに思っていることを、達夫は言葉にしたことがない。いま書いたようなことを、頭の中でこの順に考えたわけでもない。
自転車を止めない、という形で、それは毎日決まっている。
第四章 年に二回
市の人は数える人だ。
あの土地は、いまは市が管理している。持ち主が市に譲ったらしい。
年に二回、草刈りが入る。六月と九月だ。
去年の秋、刈っている人に道で会って、少し話した。作業服の腰に、水筒を下げていた。
今年で三年めですね、と達夫が言った。
その人は、そうですね、と言って、ここは年に二回でやってますから、六回めですね、と言った。
六回め、というのが数だ。達夫はその数を聞いて、そうなんですか、と答えた。
達夫のほうは数えていない。三年、というのは知っているが、それは工場がたたんだ年から数えているだけで、通った日を数えているわけではない。
数えれば出る。だいたい平日だけなので、年に二百四十日として、七百日を超えているはずだ。
出るが、数えたことがない。
草刈りのあとは、四角い形がいちばんよく見える。全部が短くなるので、かえって地面の色の差が出る。
それを見に行くために六月と九月を待っている、というほどのことでもない。ただ、刈ったあとだと、ああ刈ったのか、と思う。
第五章 薄い
今年の六月に、刈ったあとを通って、少し違うと思った。
四角い形が、去年より見えにくい。
コンクリートの上にも土がのってきたのだと思う。三年ぶん、風で運ばれて、草の根が入るだけの厚さになった。
中の草が、去年より高い。
去年は、外と中で膝と足首くらい違った。今年は、膝とすねくらいだ。
――そのうち、同じになる。
なると思う。あと何年かは分からない。二年かもしれないし、五年かもしれない。
同じになったら、そこはただの草の土地になる。四角は無くなる。
そのときも、達夫は川沿いを通ると思う。
通るが、そのときには、何を見ているのか分からなくなっているかもしれない。
分からなくなっても、通ることは通る。そういう気がする。
薄くなったことに気づいた日、達夫はいつもより長くそちらを見た。四秒が、七秒か八秒になった。
自転車は止めなかった。
その日の夜、妻に、あそこの草がねえ、と言いかけて、やめた。
言いかけたところまでは声になっていたので、妻が、なに、と聞いた。
達夫は、なんでもない、と言った。
説明しようとすると、三年前の話から始めることになる。始めると長い。長いわりに、着くところが無い。
妻は、そう、と言って、それきり聞かなかった。
エピローグ
今朝も六時十二分に起きた。
二つめの信号を右に折れて、川沿いに出た。
草は伸びている。九月の草刈りはまだだ。
四角い形は、目を細めれば分かる。細めなくても分かると思っていたが、今年はもう、少し細めている。
――まだ、見えている。
それだけのことを確かめて、達夫は会社へ行った。
着いたのはいつもと同じ時刻で、機械の電源を入れて、その日の分をやった。
昼に、若い人から前の会社の話を振られた。潰れたんですよね、と言われた。
達夫は、うん、と言って、それ以上は言わなかった。
言うことが無かったわけではない。言えることはいくらでもある。
ただ、いま言うことでもないと思った。
帰りは、まっすぐ帰った。帰りに通ったことは、三年で一度もない。
あなたにも、もう無いのに毎日そこへ行くものがありますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所