先に、名前が書いてあった
引き受けたことになっている

朗読で聴く
第一章 一本しかない
カール・ベイリーは六十八歳になった。
町の集会所の鍵を持っている。
鍵は一本しかない。上着の右のポケットに入れていて、入れているので、右のポケットだけが下にたれている。
集会所は町の東の外れにある。木の板を張った平屋で、前に段が一つある。中には折りたたみの椅子が並んでいて、奥のほうは昼でも暗い。
週に二度か三度、開けに行く。
誰かが使いたいときは、カールに言う。言われた時間に行って、開けて、終わるころにまた行って、閉める。
行って帰るのに、家からは十分ほどだ。
使うのは、たいてい決まった集まりだ。月に一度の町の話し合い、婦人会、冬のあいだの子どもの集まり。秋には選挙の投票所になる。誰かが死んだあとの集まりに使うこともある。
どれも、カールが出る集まりではない。開けて、閉めるだけだ。
扉の錠前は古い。建物と同じ年のものだと言われている。鍵は真鍮で、先のほうが少し細くなっている。四十年以上まわしているうちに、そうなった。
まわすときに、少し持ち上げるようにしないと入らない。それを知っているのはカールだけだと思う。誰にも言ったことがない。
合鍵は無い。作ろうという話が一度あって、その話はどこかへ行った。誰が言い出したのかも、いまは思い出せない。
だから、鍵はカールが持っている。持っているというより、そこにある。
ポケットの重さで、あることが分かる。着替えるときは、必ず次の上着に移す。移すのを忘れたことは、四十年以上して、二度しかない。
二度とも、その日の夕方に気がついて、取りに戻った。
第二章 いちばん古い
いつから持っているかを、思い出そうとしたことがある。
思い出そうとすると、いちばん古いところで、もう持っている自分が出てくる。
冬の朝で、ポケットに手を入れて歩いている。鍵は手の中にある。何歳のときなのかは分からない。
その手前が無い。渡された場面が無い。誰から受け取ったのかも無い。
去年、妻のドーラに聞いた。
わたしがあなたと結婚したときには、もう持ってたよ、と言われた。
結婚は四十六年前だ。カールは二十二だった。
二十二より前ということになる。ドーラはそれ以上のことは知らない。知らないというより、聞かれるまで考えたことがなかったという顔をしていた。
カールもそうだった。四十六年、考えなかった。
考えなかったのは、考える必要が一度も出てこなかったからだ。鍵は毎日ポケットにあって、毎日困っていない。
困っていないものについて、人はいつからかを調べない。
兄がいれば聞けたかもしれない。兄は九つ上で、十二年前に死んだ。生きているうちに、この話をしたことはない。
父は集会所の建て替えのときに手伝った人だが、その建て替えは、カールが生まれる前だ。
聞ける相手は、毎年減っている。減っていることに気づいたのは、ドーラに聞いたあとだった。
聞いておけばよかった、とは思わない。聞いておくという考えが出てくるためには、いつからかが分からないという困りごとが、先に無ければいけない。
その困りごとが、六十八まで無かった。
第三章 断る相手
断ろうと思ったことは、無い。
思わなかったのは、断る相手が出てこないからだ。
誰かに頼まれたのなら、その誰かに言える。集まりで決まったのなら、次の集まりで言える。
どちらも無い。
頼んだ人がいないので、返す先が無い。返す先が無いものは、置くこともできない。
役場に持っていって、これはそちらのものです、と言うことはできる。できるが、言ったところで、役場の誰かが困る。困った人は、たぶん、じゃあ引き続きお願いしますと言う。
それは、いま起きていることと同じだ。
合鍵の話が消えたのも、たぶんそれだと思っている。作れば二人になる。二人になると、どちらが開けるかを決めることになる。決めるには、いまどうなっているのかを誰かが言葉にしなければならない。
誰も言葉にしたくなかったのだと思う。カール自身も、そのときは何も言わなかった。
嫌なわけではない。十分歩くだけのことだ。
ただ、引き受けた覚えが無い。
覚えが無いまま、四十六年より長く続いている。
六年前に、一週間だけ町を離れたことがある。ドーラの妹のところへ行った。
出る前の日に、隣のフレッチャーの家に鍵を預けた。預けるときに、来週の火曜に集まりがあるから、と説明した。
帰ってきたら、鍵は郵便受けに入っていた。紙も何も入っていなかった。
フレッチャーとはその後も普通に話すが、あの一週間の話は、どちらからも出ていない。
あのとき、預けたままにすることもできた。できたはずだと、あとから何度か思った。
思っただけで、実際には次の日からまた右のポケットに入っている。
第四章 四十一回
町の書記は数える人だ。
いまの書記はミセス・ケインという人で、集会所を使った回数を毎年つけている。
三月の報告で、今年は四十一回開いていますと言う。去年は三十六回でしたというところまで言う。
カールは数えていない。
数えれば分かるのだろうが、数えたことがない。開ける日は、開ける日として来る。前の回と次の回のあいだに、番号は付いていない。
一度、ミセス・ケインに、大変ですねと言われたことがある。
カールは、いや、と言った。それ以上のことは出てこなかった。
大変ではない。大変ではないことを説明しようとすると、どうしても長くなる。長くなるので、いや、で止めた。
ミセス・ケインは四年めだ。前の書記も、その前の書記も、数を言った。三人とも、鍵のことは数えていない。
鍵は数の外にある。回数のほうは毎年きれいに切れて、報告の紙に載る。鍵のほうは載らない。
第五章 先に
去年の秋に、家の裏の下水のことで、昔の記録を見る用があった。
役場の地下に古い書類の棚がある。ミセス・ケインが場所を教えてくれて、あとは自分で探した。
目当ての紙は見つからなかった。見つからないまま、隣の綴じを開けた。
三十年前の、集会所の管理についての紙だった。
建物の点検の欄があって、その下に「鍵」という欄があった。
その欄に、カールの名前が書いてあった。
――書いたのは、自分ではない。
字に見覚えが無かった。誰の字なのかも分からない。その紙にはほかに三人の名前があって、三人とも、もういない人だった。
三十年前、カールは三十八だ。すでに持っていた。持っていたから書かれたのだろうと思う。
思うが、確かめようが無い。書いた人は、もういない。
棚に戻して、階段を上がった。上がりながら、変な感じがした。
自分が引き受けた覚えのないことが、紙のほうでは三十年前にもう決まっていた。
悪い気はしなかった。いい気もしなかった。
その日の夕方も、集会所を開けに行った。
エピローグ
先週、町の北側に越してきた若い夫婦が、カールの家に来た。
集会所を借りたいという話だった。
鍵はあなたに聞けばいいんですよね、と男のほうが言った。
カールは、そうです、と答えた。
答えてから、その人が誰にそう聞いたのかを聞かなかったことに、あとで気がついた。
聞かなくても分かる。この町では、最初からそういうことになっている。
越してきた人は、いつからかを教わらない。教わるのは、いまどうなっているかだけだ。
――ポケットの右側だけが、いつまでも下にたれている。
新しい上着を買っても、半年もすると同じところがたれる。たれるのを直したことはない。
来週も、たぶん開けに行く。
あなたにも、引き受けた覚えのないまま続いているものがありますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所