数字だけ、入ってくる
飽き

朗読で聴く
第一章 千八百軒
広瀬達也は五十二歳になった。
水道メーターの検針をしている。二十年になる。
受け持ちは市の東側の一区画で、千八百軒ある。月に一度、そこを全部回る。
やることは決まっている。門の前でしゃがんで、地面の蓋を開けて、数字を読んで、端末に入れる。蓋を閉じて、立って、次の家へ行く。
一軒にかかるのは十秒か、長くて二十秒。歩いているほうが長い。
千八百軒を、十二日か十三日かけて回る。回り終わると、また最初の家に戻る日が来る。
回る順番も決まっている。達也が決めたのではなく、達也が入る前から決まっていた。効率のいい順で並んでいるので、変える理由がない。
雨の日は蓋の中に水が溜まる。夏は蓋が熱い。冬は指がかじかんで、端末のボタンを押しそこねる。そういうことは二十年前も同じだった。
端末は何年かに一度、新しいものに替わる。替わっても、押すところは同じ位置にある。
この仕事に、やめるという操作は無い。辞めることはできるが、それは職を失うことで、達也が考えているのはそういうことではない。
というより、達也は何も考えていない。
来月も、同じ千八百軒がある。決まっていることについて、人は考えない。
第二章 終わってから
最初の何年かは、家が見えていた。
同じ家に月に一度行くので、変わったところが分かる。犬が増えた。物干しの位置が変わった。庭の木が切られた。表札が二枚になった。二枚が一枚に戻った。
達也はそれを面白いと思っていたわけではない。ただ、目に入っていた。
いまは入ってこない。
蓋を開けると、数字がある。読んで、入れる。蓋を閉じる。その家に犬がいるかどうかは、分からない。
夕方に帰ると、妻の文子がたまに聞く。今日はどのへんを回ったの。
地区の名前は言える。何丁目のどこ、まで言える。それは順番が決まっているからで、思い出しているわけではない。
何か見た、と聞かれると、答えられない。
見ていないのではない。目は開いていたし、家の前に立っていた。入ってこなかっただけだ。
一日が終わって、風呂に入って、飯を食べて、そこまでは覚えている。そのあいだに何を見たかを取り出そうとすると、道の形と、蓋の並びしか出てこない。
文子は、そう、とだけ言って、次の話をする。それで済んでいる。
休みの日に、文子と買い物へ出ることがある。帰りに受け持ちの区画を通ることもある。
文子がどこかの家を指して、あそこの塀、新しくなったね、と言う。達也は、そうだな、と言う。
言ってから、自分が先週その塀の前でしゃがんでいたことに気づく。
第三章 猫がいますね
三年前の春に、新しく入った田口という若い男の研修に三日ついた。
達也が回り、田口が横で見る。二日目からは田口が読んで、達也が確かめる。
田口はよく喋った。歩いているあいだ、ずっと何か言っている。達也は返事だけしていた。
二日目の午後、田口が蓋を閉じながら言った。この家、猫がいますね。
達也は顔を上げた。玄関の脇に、猫用の小さな出入り口がついていた。
言われて見たら、見えた。二十年、月に一度この家に来ている。前からあったのだろう。
三軒先で、達也はもう一度見ようとした。何かあるはずだと思って、門のあたりを見た。
何も入ってこなかった。
見ようとすれば見えるものではないらしい。田口が言ったから見えたので、次の家では、また数字だけになった。
田口は毎日、その日に回った軒数を数えていた。今日は百四十軒でした、と帰りに言う。
達也は軒数を数えていない。決まっているからだ。田口が数えているのは、たぶん数えられるものが欲しいからだろうと思ったが、言わなかった。
田口は二十四か五だった。この仕事を長くやるつもりなのかどうかは、聞かなかった。聞くようなことでもなかった。
三日目の夕方に田口は別の地区へ行き、それきり会っていない。
いまでも、あの家の前を通ると、猫の出入り口があることは分かる。分かるだけで、他の家は前と同じだ。
第四章 変わり目
去年の冬に、控えを見返した。
端末になる前は紙で、二十年ぶんが押し入れに積んである。捨てろと言われたわけではないが、捨てていない。
いつから入ってこなくなったのかを知りたかった、というのとも少し違う。ただ、開けた。
押し入れの紙は、思っていたより重かった。二十年ぶんの紙は、ちゃんと重い。
一年目の紙も、十年目の紙も、去年の紙も、同じ字だった。
数字の書き方が同じだ。四の書き方、七の頭の払い方、桁のあいだの空け方。二十年、一度も変わっていない。
変わり目を探したが、無かった。
どこかで入ってこなくなったはずなのに、紙のほうには何も出ていない。字が乱れた年も、丁寧になった年も無い。
途中で二か月だけ、別の人の字が混ざっているところがあった。達也が入院したときのぶんだ。その二か月だけ字が違って、そのあとまた達也の字に戻る。
戻ったところの字も、入る前と同じだった。
達也はそれを見て、少し座っていた。
それから、紙を戻して、押し入れを閉めた。
第五章 来月も、ある
やめようと思ったことは、一度もない。
嫌なわけではない。しんどいわけでもない。給料は下がっていないし、上がってもいない。
二十年やっていると、たまに褒められる。早いですね、正確ですね、と言われる。
早いのは順番が決まっているからで、正確なのは数字しか見ていないからだ。どちらも達也がやったことではない。
辞表を出せば辞められる。でも達也が考えているのはそれではない。
――やめる、というのが何をすることなのか、分からない。
入ってこないまま続いている、そのほうをやめる方法が無い。入ってくるようにする方法も無い。田口が言った日は見えたが、あれは田口が言ったからで、自分では起こせない。
だから達也は、来月も回る。回ることに決めたわけではなく、来月も千八百軒があるからだ。
文子は、達也が仕事の話をしないことを知っている。話すことが無いのだと思っていて、それは合っている。
合っているが、当たってはいない。
話すことが無いのではなく、話せるかたちで残っていない。数字は端末に入っていて、道は足が覚えていて、どちらも言葉にする手前で終わっている。
それを文子に説明したことはない。説明しようとすると、こちらの言い方のほうが大げさになる。
エピローグ
今日も、東側の一区画を回った。
しゃがんで、蓋を開けて、数字を読んで、入れて、閉じた。それを百四十回くらいやった。
途中で一度、風が強くなって、蓋の裏に落ち葉が溜まっているのが見えた。指ではらった。
それだけだ。それだけのことが、今日いちばん覚えていることになる。
帰りに、朝と同じ道を通った。朝も通ったことは分かっているが、朝どうだったかは思い出せない。
家に着いて、端末を置いて、手を洗った。
夕飯のあいだ、テレビがついていた。何をやっていたかは、もう思い出せない。
――二十年、字が変わっていない。
変わっていないことにも、何も感じない。
あなたにも、続いているのに何も起きなくなったものがありますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所