起こしてもらってから、はじまる
受け取ること

朗読で聴く
第一章 六時四十分
緒方節子は五十七歳になった。
四年前から、自分では起き上がれない。上体を起こすところだけができない。座ってしまえば、そのあとはかなりのことが自分でできる。
朝、六時四十分に人が来る。
時刻は決まっている。曜日によって来る人は違うが、時刻は同じだ。玄関の鍵は預けてあるので、節子は寝たまま待っている。
入ってくる音がして、名前を呼ばれて、それから体を起こしてもらう。
起こし方は人によって少し違う。背中に腕を回す人もいれば、両手を引く人もいる。節子はどちらでも構わない。構わないと言えるようになるまでに、一年ほどかかった。
はじめのころは、やり方を頼んでいた。もう少し右から、とか、ゆっくりで、とか。いまは言わない。言わなくなった理由を、節子は自分では説明できない。頼むことが増えるのが嫌だったのかもしれない。
起こされてから、一日がはじまる。
起こされるまでのあいだ、節子は天井を見ている。何かを考えているわけではない。六時四十分までは、まだ一日が来ていない。
目は五時ごろに覚める。一時間半ほど、そのまま横になっている。眠っているわけでも、起きているわけでもない時間だ。
この一時間半を、節子は嫌ってはいない。ただ、自分の裁量で終わらせられない時間ではある。
第二章 返せるもの
返せるものが、こちらにはない。
これは、節子がはっきりわかっていることだ。
相手は仕事で来ている。給料が出ている。だから、返す必要はない。それは制度の話で、節子も理解している。
理解しているのと、収まっているのとは別だ。
制度の話は、四年のあいだに何度も聞いた。娘からも、担当の人からも。あなたが気に病むことではありません、と言われる。
気に病んでいるのとも、少し違う。負い目とも違う。もっと単純に、片側だけが動いている、というだけのことだ。それに名前がついていないので、話すと必ず負い目の話に聞こえてしまう。
だから話さない。
節子の中では、毎朝、何かが一方向に動いている。向こうからこちらへ来て、こちらからは何も出ていかない。
出せるものを、節子は探したことがある。
話し相手になること。相手の子どもの話を覚えていて、次のときに聞くこと。手が空いているときに、洗濯物をたたんでおくこと。どれもやってみた。どれも、返したことにはならなかった。
ならなかった、というのは、相手がそう言ったのではない。節子の中で、収まらなかった。
洗濯物をたたんでおいたとき、相手は、助かります、と言った。本当に助かったのだろうと思う。それでも、朝に起こしてもらうことと、洗濯物をたたむことは、節子の中で同じ皿に乗らなかった。
何を乗せれば釣り合うのかも、わからない。
第三章 ありがとう
ありがとうを、毎朝言う。
起こしてもらった直後に一度。帰りぎわにもう一度。四年で三千回近く言っている計算になる。
言うたびに、少し軽くなる。
軽くなるというのは、言葉が減っていくような感じだ。はじめのころは、言うと少し楽になった。いまは、言っても何も動かない。口が動いて、音が出て、それだけになった。
言わないでいると、もっと悪い。
一度、試したことがある。朝、黙っていた。相手は気にせずに仕事をして帰っていった。何も起きなかった。何も起きなかったことが、その日ずっと引っかかった。
だから言う。効かなくても言う。
言わないと、受け取っているだけの人になる。言っているあいだは、まだ何かをしていることになる。それだけの意味しかないが、それだけの意味はある。
効かない薬を飲みつづけるのに似ている、と節子は思ったことがある。思ってから、その言い方は相手に失礼だと思って、やめた。
第四章 仕事だから
相手は仕事で来ている。
節子はそう思うことにしている。思うことにしている、というのが正確なところだ。
仕事だと思えば、受け取っていることにならない。給料の分の作業が行われて、こちらは対象になっている、というだけになる。そう思えると、朝が少し軽い。
思いきれない朝もある。
冬の寒い朝に、手を温めてから触れられたことがあった。仕事の手順にはたぶん入っていない。そういうものが入ってくると、仕事だという説明が薄くなる。
薄くなると、返せないほうが濃くなる。手を温めてくれた人のことは、いまでも覚えている。名前も覚えている。覚えていること自体が、返せていないことの記録になっている。
娘の絵美は、月に二度ほど来る。娘には別のものを感じている。娘には返せない上に、娘は仕事でもない。だから娘のほうが重い。
絵美はそれを知らない。来るたびに、お母さん元気そう、と言う。節子は、元気よ、と答える。
絵美に何かをしてもらったとき、節子はありがとうと言わないことがある。言うと他人行儀になるからで、それは母娘のあいだでは正しい。
正しいはずなのに、言わなかった日のほうが、あとで少し残る。
誰も間違ったことを言っていない。
第五章 四年
受け取るだけの日が、四年続いている。
慣れた、とは言える。手順に慣れたし、人にも慣れた。朝が来るのが嫌だと思うことは、いまはほとんどない。
慣れたのは扱い方で、量ではない。
四年前、はじめて起こしてもらった日のことは覚えている。病院のベッドで、看護師に上体を起こされた。そのとき節子が思ったのは、明日は自分でやろう、ということだった。
明日も同じだった。その次の日も同じだった。いつのまにか、明日は、と思わなくなった。
思わなくなったのがいつかは、覚えていない。
毎朝、同じだけ受け取っている。減っていない。四年で三千回近く受け取って、一度も返していない。
――返せるものが、こちらにはない。
そのうち返せるようになる、とも思っていない。四年前より、上体はさらに起きなくなっている。この先も同じだろう。
これは終わらない、ということが、四年でわかった。医者がそう言ったのではない。誰も言わないまま、四年かけて自分で結論した。結論してからのほうが、朝は静かになった。
わかっても、朝は来る。六時四十分になれば人が来て、節子は起こしてもらう。
終わらないとわかってから、少しだけ楽になったところもある。返せる日を待たなくてよくなった。待っているあいだは、返せていない自分をずっと数えていた。
いまは数えていない。数えないだけで、量は同じだ。
最近、節子はときどきこう考える。受け取る側にいる人は、世の中にいくらでもいる。赤ん坊も、病人も、年寄りも、みんなそうだ。そう考えると、少し薄まる。
薄まるが、消えはしない。自分の朝は自分の朝で、六時四十分に一度ずつ来る。
エピローグ
鍵の音がする。名前を呼ばれる。
節子は、はい、と答える。
体を起こしてもらって、ありがとう、と言う。
――起こしてもらってから、はじまる。
あなたにも、返せないまま受け取っているものがありますか。
あなたの魂のテーマに気づく場所